90年代生まれの若者と大法の縁
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文/中国の新しい大法弟子

 【明慧日本2020年6月17日】私は90年代生まれの新しい大法弟子です。本格的に法輪大法の修煉を始めてから1年も経っていません。今日は同修の皆さんに、私がどのようにして大法の修煉を始め、何を悟ってきたかについてお話したいと思います。

 まだ幼い頃のことからお話しします。

 私は3歳の頃に修煉を始めました。1994年に大法の修煉を始めた母は、よく公園の集団煉功に参加していました。当時の私は、いつも喜んでついて行っていましたが、まだ何も分かっていませんでした。

 本当に「法輪大法は素晴らしい」と感じ始めたのは小学生の時です。私は数人の友達と卸売市場に向かっていました。楽しくおしゃべりをしながら歩いていたのですが、信号を渡るとき、友達は皆すでに渡りきっていたのですが、私だけが一番後ろを歩いていて、取り残されてしまいました。そこに黒い乗用車が1台、かなりゆっくりとしたスピードで走ってきました。そして不幸なことに、私が一歩前に踏み出した足の甲の上を通りました。私はサンダルを履いていたのですが、すぐ心の中で「法輪大法は素晴らしい!」と念じていました。車が足の上を通ったとき、まるでコットンが足の甲を擦り通ったような感じでした。友達は本当に驚いていました。帰宅して母に話したら「大法の師父があなたを守ってくださったのよ」と言いました。

 2回目に大法の恩恵を受けたのは、私が山東省イ坊市にいた時です。当時私は大学生で、ある販売業界でインターンとして働いており、毎日外出しなければなりませんでした。

 上司と一緒に電動二輪車に乗って外出したときのことです。私は、電動二輪車の後ろに乗っていました。対向車線から1台の車が走って来て、私の左脚(訳注:中国では車は右側通行)にぶつかった後、そのまま走って行ったのですが、急に止まりました。私の左脚にぶつかった衝撃で、車のバンパーが外れて落ちたのです。とても強い衝撃を受けていたようでした。上司はその車を一目見て、こんなに強くぶつかったのかと呟いた後、慌てて私に「脚は大丈夫か、病院に行かなくてもいいのか」と聞きました。私は「大丈夫です」と答えました。左脚にぶつかった瞬間に私の脳裏に浮かんだのは「法輪大法は素晴らしい」の言葉でした。車のバンパーが衝突で落ちたにも関わらず、私の脚には何の問題もありませんでした。そしてさらに不思議なことに、私たちが乗っていた電動二輪車も壊れていました。つまり両方の車がひどく衝突したにも関わらず、私の脚は無傷でした。

 ほかでもなく師父が私を守ってくださいました。当時の私はまだ修煉していませんでしたが、何の疑いもなく心から大法を信じていたため、師父は私を守って下さったのです。

 こんなこともありました。当時、私は別の職場で働いていましたが、勤務時間中、不注意で足を捻挫してしまいました。非常にひどい状態だったため、同僚は私を無理やり病院に連れて行こうとしましたが、私は拒否しました。奇妙に思われましたが、足を捻挫してから10秒と経たないうちに足首がひどく腫れあがりました。「痛くないのか?」と聞かれ、とても痛かったのですが、私は大法を信じており病院には行きませんでした。帰宅後、母と動功を一通りやりました。私は大法を信じれば回復できると固く信じていました。回復するまでは本当に苦しくて、本当に痛かったのです。そして、不思議なことに半月と経たないうちに私は回復し、普通に歩けるようになり、出社できるようになりました。周りの同僚もみな本当に不可思議に思っていました。しかも後遺症は全くありません。もし普通に病院で治療を受けていたら、歩けるようになるまでどのくらいかかったでしょうか。

 いま思い返しても、師父には感謝の気持ちでいっぱいです。

 私の身に起きた不思議な事は、他にもまだあります。どれも私が本格的に修煉を始める前だったにも関わらず起きたことです。

 勤務先でトラブルが発生し、イライラしていた時のことです。母が私に、もう大法を修煉するべきではないかと言いました。私は、機縁が整ったのではないかと思い、母の言葉をすぐに受け入れました。

 それから私は母と『轉法輪』を読みました。九つの講義を毎日読み続けました。夜勤後に帰宅しても、私は学法を終えてから寝ていました。意識が非常にはっきりとしている状態で法を学んでいました。初めて法輪椿法を行った時、私は1時間堅持できました。私は発正念をはじめ、いつでもどこでも自分の考えをクリアにしていました。また真相を伝え人を救っていました。全てはごく自然であり、私は、本当に法輪大法という天に通じる大道を修煉し始めました。

 私の師父、大法との縁は、本当に師父が少しずつ築きあげてくださったものです。この最後の時期に私は大法と縁を結び、大法を修煉する道を歩むことになりました。もしかしたら、私の生命は本当に長い間、実に長きにわたってこれを待ち望んでいたのかも知れません。

 法を得てから、たくさんの気づきがありました。心から悟ったことも、たくさんありました。すでに非常に差し迫った時期に入り、真相が次第に明らかになり、まもなく天門は閉まってしまうということを私は知っています。このような状況下で、正しい道に入り法を得られたことは、なんと幸運なことでしょうか。古い学習者ほど深く悟っていませんが、私は法の大切さを知っており、師父の浩大な佛恩を知っています。

 師父の御恩を仰望(ぎょうぼう:尊敬して慕うこと)し、師父の変わらぬご加護に感激です。

 私の話を聞かれる機会があった方、法輪大法を大切にしてください。大法は本物です。遠い昔から巡り合えなかった高徳大法です。

 最後にもう一度、師父の慈悲なる救いに感謝申し上げます。合掌。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/3/403317.html)
 
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