懲役11年の判決を下された李国俊さんが迫害死
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 【明慧日本2020年7月21日】遼寧省朝陽市の法輪功学習者・李国俊さん(女性)は、法律に基づき、法輪功迫害を発動させた江沢民を告訴したが、当局の警官に報復され、懲役11年の重刑を言い渡された。朝陽市留置場と遼寧省女子刑務所に拘禁されていた期間中に、残忍な拷問を受けた李さんは、危篤状態に陥り、治療のために帰宅したが、2020年5月5日、無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。享年53歳。

 臨終の際、李さんは心から「法輪功は間違っていない」と言った。

李国俊被迫害化疗后的照片
化学療法で迫害された後の李国俊さん

 李さんは1967年に生まれ、大学を卒業後は朝陽県政府に就職し、県政府の広告部の部長になった。李さんは1995年に法輪功を学び始め、心身ともに受益した。

 しかし、1999年7.20に江沢民が法輪功に対する弾圧を発動し、李さんは数回にわたって警官により連行されて拘留され、労働教養処分を科された。勤務先や上司など、多方面から信仰放棄の圧力をかけられ、馬三家労働教養所に拘禁された際、李さんは「転向」してしまった。その後、6年間李さんは法輪功を止めて享楽的な生活を送ったが、心から楽しめず、生命の本性の迷いの苦しみを味わった。その後、李さんは再び法輪功を学び始め、心身ともに浄化された。

 再び修煉の道に戻った李さんは、良い人になろうと努力している法輪功学習者が残酷な迫害を受けているのを目の当たりにして、黙々と学習者に手を差し伸べた。

 何事も他人を優先に考えるべきという大法の法理を理解している李さんは、共産党の入党を勧める勤務先の仕事に悩まされた。中国共産党の体制がいかに邪悪かを知っているため、その仕事から離れようとしたが、なかなか思い通りにはいかなかった。

 2015年5月、政府は「案件があれば必ず立案する、訴えがあれば必ず受理する」という「立案登記制度の法改正」を行った。李さんはその法律に従って、自分が受けた冤罪を訴え、法輪功迫害を引き起こした江沢民を告訴した。しかし、冤罪を取り消されるどころか、再び冤罪を被せられた。

 2015年11月9日午前、家にいた李さんに勤務先から電話が入り、急いで仕事場へ来るように呼び出された。李さんは嫌な予感がしたが、すぐに家を出た。マンションから降りたところで、南塔公安支局の治安大隊の隊長・劉雷など数人の警官が見えた。警官は李さんの名前を聞いた後、李さんを南塔公安支局まで連行した。李さんに対する連行は朝陽県委書記・李貴平と朝陽県公安局局長・張猛の同意の下だった。その後、警官は李さんの家を家宅捜索し、パソコン、法輪功関連書籍などの私物を押収した。李さんの夫が修理していたお客様のプリンター、修理用工具まで押収された。

 その日、公安局局長・李超は市の警官を出動させ、200人ほどの法輪功学習者に対して嫌がらせや連行を行った。百人近くの学習者が不当に拘留され、五十数人が不当判決を下された。懲役12年を下された学習者もいた。

 李さんは連行されてから、朝陽市留置場に拘禁された。2015年の真冬、留置場側は部屋の窓を開け、李さんに綿服を着ることを許さず、半袖一枚で過ごさせた。李さんは下半身からの出血が止まらず、生理用品も与えられなかったため、部屋の所々に血痕が残り、受刑者らに罵られた。その間、李さんは朝陽市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に「前市委書記・王明玉が法輪功を迫害した件を暴露したのは誰なんだ」と何度も尋問されたが、答えなかった。

 朝陽市委書記・蹇彪、政法委・劉朝震、盖永武の指示の下、李さんは朝陽市双塔検察庁、双塔裁判所のでっち上げの罪により、懲役11年の重刑と罰金1000元(約1万5000円)を言い渡された。さらに、執行費50元(約700円)の支払いを命じられ、仕事も解雇された。法律を無視し、法輪功学習者に恣意的な重刑を下すことに弁護士たちも憤慨した。「政府は自分たちの放火は許すのに、国民が家で灯りをともすことは許さない」は、法輪功学習者の無罪を答弁する弁護士たちがいつも言っている言葉だった。

 李さんは判決を不服として、朝陽市中級裁判所に控訴した。そして、2016年6月6日午後、中級裁判所は李さんに対して第二審を行った。法廷で、裁判官・孟凡石は発狂したかのように、李さんの発言を拒否したり、中断させたりした。十数分で裁判を終わらせ、原審維持と法的根拠のない結果を出した。李さんは自身の積立金も凍結され、家族が冤罪を訴えたくても受理してくれるところはなかった。

 2016年8月16日、警官は李さんを瀋陽女子刑務所に送った。入所の身体検査後、刑務所側は李さんの入所を拒否した。しかし、警官は李さんに「お前が入所に同意すれば、身体検査の費用は支払わなくてもよい。同意しなければ自己負担になる」と言って騙した。李さんは家族がショックと圧力を受けていると知り、これ以上迷惑をかけたくないという想いで同意した。

 遼寧省女子刑務所第四監獄区に収容された李さんは、刑務所側に悪辣な手段で「強制転向」を行った。刑務所側は「転向」しなければ、李さんを監視する受刑者たちの購買権利もはく奪すると言い出し、弱々しい体の李さんに圧力をかけた。

 それにより、李さんの健康状態はますます悪化し、2018年2月8日に瀋陽739病院に搬送されて手術を受けた。刑務所側は李さんの病気のことを家族に通知せず、手術費が必要になってやっと家族に連絡した。手術後、李さんの仮釈放の手続きも、遼寧省刑務所管理局はさまざまな口実をもって進めなかった。李さんの病状がさらに悪化したため、2018年7月18日に再度、瀋陽腫瘍病院に入院して2度目の手術を受けた。23日間入院した後退院し、刑務所に戻された。その後、李さんは4回の化学療法を受けたが、1回につき7~8千元(約10~12万円)の治療費は全額自己負担だった。

 仮釈放の手続き中、李さんの病状が悪化し続けているにも関わらず、再三再四に引き延ばされた。危篤状態に陥ったため、2019年11月5日にやっと取り進められた。息絶え絶えの李さんは手足かせをつけられたまま、警官に護送されて帰宅した。朝陽市に入って、やっと刑具を外されたという。

 双塔区光明司法所は李さんの重い病状を知りながら、電話をかけたり、監視したり嫌がらせをした。警官も2回李さんの家に立ち入り、重病の李さんに恐怖と圧力を与えた。李さんは帰宅してからも、安心して療養できなかった。

 3月28日、李さんは病弱な体で、数年間会っていなかった田舎の老いた母親に会いに行った。しかし、到着するやいなや、双塔区光明地区の警官から2回も電話があり、地域が超えたからという理由で、早く帰るようにと促された。李さんはすぐに帰宅するしかなく、帰宅後、李さんは起き上がれなくなった。ペンを手に持つ力さえなかった李さんに対して、司法所の人員は「三書」を書くように要求した。家族は苦しいそうな李さんをみて心を痛め、仕方がなく、代わりに「三書」を書き、李さんの手を取って拇印を押した。

 2020年5月5日午後4時、冤罪が晴れないまま、李さんは帰らぬ人となった。臨終の際、李さんは「法輪功は間違っていない」と言った。

 4年間、刑務所に拘禁されたが、李さんは残酷な迫害を思い出したくないため「刑務所でたくさんの苦痛に遭った」とだけ周りに話した。多くの苦痛を受けたにも関わらず、李さんは一度も他人を恨むような話をしなかった。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/9/408764.html)
 
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