文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2020年8月1日】夫と私は1994年に法輪功を学び始め、当時、私の家は煉功の拠点であり、日々決まった時間に煉功と学法をしていました。
私の家は修理店を営んでいるため、毎日することが多くて忙しいです。1998年秋のある日、顧客が大きなアルミニウム製の酒缶を持ってきて、缶の蓋に大きなヒビが入っていたため、溶接をしてほしいと頼まれました。仕事を受けた後、息子はこの仕事を自分で「やってみる」と言い、溶接の工具や材料を準備して、私に協力して欲しいと言いました。 私は、缶の中にもしお酒が入っていると爆発を起こしやすいため、息子も中を見て大丈夫だと言ったので、2人で溶接し始めました。
その頃、夫も帰って来ました。溶接がまだ終えていないこの時に、この缶が突然爆発し、大きな火玉が飛び出し、爆竹のような音がした途端、衝撃波の振動で後ろの隣家のガラス窓が粉々に砕けてしまいました。私の髪に火玉が降りかかり、燃え始め、顔は火傷を負い、多くの大きな水ぶくれができました。私は急いで、素手で火を消しました。
当時、私の顔のほとんどが火傷を負い、見るに耐えられないほどでした。子供たちは皆私の顔が治るのかを心配していましたが、私は「大丈夫! 私は大法を学んでいるので、師父の助けがあり、何も恐いものはありません」と言いました。 その結果、数カ月後には私の顔の皮膚はすべて剥がれ落ち、また新しい皮膚が造られました。本当に不思議です。周りの人々は、大きな大法の超越と素晴らしさを目にしました。
そして、私の夫は当時、強い気流と衝撃波によって建物の1階分の高さまで持ち上げられた彼は、顔と額はコンクリートの階段を叩きつけられ、大きな傷を負いました。血まみれになった夫は、片方の足の足首から上の方へと骨折していました。
爆発音を聞いた周りの人々は、何が起こったのかわからなかったため、急いで駆けつけてきましたが、空中から落ちてきた夫は動かず、感覚もない様子で目も動いていませんでした。現場にいた医者はそのままにしておくようにと言い、しばらくして夫は意識を取り戻した。足首が折れたのを見て、家族は急いで車に乗せて病院へ行きました。そして、麻酔もかけられずに、顔から額まで何針も縫い、足はギプスで固定され帰宅しました。その後も薬を使わずに『轉法輪』を読むだけで、ほかの同修とともに学法をしたり、オンドルに座って師父の説法ビデオを見たりしたため、あまり痛みを感じませんでした。
40日以上が経過して、夫はかゆみを感じたので、小さなのこぎりでギプスを開いて見ました。まだ治っていないので、もう一度ギプスを付けました。その時、足に骨の破片があり、その骨が突き出ているので、これから歩けないだろうと他の人は言いました。しかし、夫は『大法の修煉者です、師父が私を見て下さいます。大丈夫です、私はきっと治ります』。 思ったとおり、3カ月で足は完治しました。足の骨が突き出ることもなくなり、この足は以前より良くなっていました。
振り返ってみると、それは本当に不思議でした。師父は私たち2人の代わりに多くの代償を払われ、私たちの大きな業を取り除き、家族全体を大きな事件から守って下さいました。師父のご加護がなければ、その結末は想像に絶するものだと思います。
今、私はこのことを文章にして、偉大な師父の慈悲と済度に感謝するとともに、より多くの人々に法輪大法の素晴らしさを知っていただきたいのです。三つのことをしっかり行ない、さらに精進して師父に感謝し、御恩に応えなければなりません。