師父の法話講習会とその光景の思い出
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年9月24日】私は幸運なことに、3回にわたって直接師父の法話講習会に参加し、5回も師父にお会いしました。修煉を始めてから27年が経ちましたが、当時の光景を忘れたことはありません。ここでその大切な思い出を文章にして、同修の皆さんと交流させていただきます。

 一、貴州の法話講習会で大法の奇跡を体験した

 1993年8月15日、貴州省貴州市で師父の第三回目の法話講習会が開かれました。初日は貴州省政府の講堂で師父が説法されましたが、講堂の座席は限られており、参加した人数が多かったため、講堂の両側、後ろの通路、それに入口の所にまで人が溢れていました。そのために翌日、会場を貴州省の青少年会館に移しました。

 私は初めて師父の講習会に参加し、初めて師父にお目にかかりました。背が高く、優しい表情の師父が講壇に立たれた時、どこかでお会いしたようで、とても親しみを感じました。

 私は会場の真ん中よりやや前の席に座っていました。師父は毎日2時間ほど説法され、講壇には1枚のメモの紙しか置かれませんでした。師父の説法は分かりやすく、会場はとても静かで、学習者たちは皆師父の説法に惹きつけられ、感服させられました。

 しかし、師父の説法が始まり数分と経たないうちに、私はすぐに寝てしまいました。一緒に講習会に参加した夫が側で注意してくれても、全く目が覚めませんでした。不思議なことに、師父の説法が終わると、ぱっと目が覚め、とても元気になりました。9日間の講習会で、毎日同じ状態でした。

 実は、私の頭の中に病気があり、師父はそれを調整してくださるために、私を眠らせたのです。私は大脳をひどく損傷したことがあります。ある日、大事故で前夫が亡くなりました。当時は娘が5歳で、息子は2歳でした。まだ20代だった私は、とても衝撃を受け、悲しみのあまり、何度も自分の頭を壁や木にぶつけて失神していました。それ以降、私の頭はひどく傷つきました。

 師父は私に法を得させるために、私を熟睡させて私の大脳を調整してくださいました。師父が語られた通り「ところが、聴覚には問題がないので、ぐっすり眠っているのに、一言も聞き落とさず、全部耳に入っており、その後は、元気が出て、二日間一睡もしなくても、まったく疲れを知らないという人もいます」 [1]ですから、私もその通りで熟睡していましたが、師父の説法内容は全部聞き取りました。ここで例を二つ上げます。

 師父の法話講習会が終了して、間もなく中秋節になりました。夫は生きた鶏と魚を買って、殺して調理すると言いましたが、私は「師父は殺生してはいけないと語られましたよ」と反対しました。夫は「私には聞こえなかったのに、どうして寝っていたあなたにそれが聞こえたのか? 不思議だね!」と言いながら「最後に1回だけさせて、もう二度と殺生はしないから、それでもダメか?」と続けようとしました。私は「師父は自分に対して厳しく律すべきだと教えてくださいました。今から師父のお教え通りにしましょう」と言うと、夫は何も言わなくなりました。

 また、ある日、夫が何かの事で突然怒って、私に暴力を振るおうとした時、私は「師父が『殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず』」 [2]と教えてくださったのに、それが聞こえませんでしたか?」と聞くと、夫は「そうか? どうして私には聞こえなかったのか?」と言いながら、すぐ暴力をやめました。それ以降、私と夫は一緒に法輪大法を修煉し、喧嘩をすることもなく、近所や親友の中で仲のいい夫婦だと評判になりました。

 修煉する前、私はB型肝炎、片頭痛、血小板減少症、メニエル症候群、関節リウマチ、腎炎、貧血、神経性肩周炎など10数種類の病気で苦しんでいました。 何年もの間、あちこちの病院を回り、毎日何種類かの薬のほかに漢方の煎じ薬も飲んでいましたが、効果は全くありませんでした。

 貴州の法話講習会で、ある日、師父は説法を始められる前、すべての学習者を立ち上がらせ、一人一人に自分の病気があるかを思いだすように指示されました。師父は「1、2、3」と合図を出され、足を踏みつけ、病気を排除されます。しかし、私は呆然と立っていて、頭が空になり、病気すら思い出しませんでした。実は、私は熟睡している状態で師父の説法を聴いている間、すでに病気を取り除かれたので、当然病気のことは思い出せませんでした。

 それ以降、私は全身の病気が治り、27年間病院に行ったことはなく、薬を服用したこともありません。そしてトラブルに遇った時、私は師父のお教えに従って内に向けて探すことができ、心身ともに軽くなり、とても幸せです。

 私は夫と一緒に法話講習会に参加した当初の目的は病気治療のためでしたが、9日間の講習会が終了した時には、病気を治そうという心すらなくなりました。このような変化は、私自身も考えられませんでした。今思い出すと、本当に不思議に思います。講習会が終わった後、私は1冊の『法輪功』を買い求めて宝のように大切にし、2日に1回全部読み終え、このペースで繰り返して学法を続け、たくさんの法理が分かるようになりました。

 二、峨眉山で師父にお目にかかりました

 1994年5月29日、成都で師父の法話講習会が開かれると知り、私は2度目の参加をしました。講習会の前日、私たち貴州の学習者は成都行きの列車で会い、今、師父は重慶で法話講習会を開かれていると聞きました。成都の会場はある招待所の講堂で、すでに全国各地から大勢の学習者が集まりました。師父は重慶の講習会を終了された後、夜遅くに成都に到着され、翌日に成都の法話講習会を開かれたそうです。師父はわれわれを救い済度するために、忙しく動かれ本当に感謝いたします。

 師父が説法される時、会場はとても静かでした。毎日2時間ぐらいの説法の中で、師父はお水を一度も飲まれません。説法が終わると、担当の学習者は講壇で煉功の動作をしました。師父は会場を歩かれながら、会場で煉功する学習者たちの正しくない動作を直してくださいました。学習者たちは皆幸せに包まれました。

 会場の下の食堂にはいろいろな料理があります。ある日、私と数人の学習者は食堂で、何を食べるか選んでいた時、すぐそばに師父が一人で座られているのを見かけました。師父のテーブルには漬物がのった小さい皿と1皿の饅頭しかありませんでした。師父の生活のシンプルさに感動した私は、すぐにいろいろと選ぶのをやめて、簡単で、質素なものを注文しました。

 成都の法話講習会が終了した翌日に、私たち一部の貴州の学習者は一緒に峨眉山を見物することにしました。途中で、偶然にも師父に二度もお目にかかりました。

 楽山に行った時、岷江のモーターボートに乗っていた時、私たち十数人の学習者は師父にお会いしました。 モーターボートには30~40人が乗っていましたが、そのほとんどが成都講習会の学習者でした。貴州省や湖北省、その他の地域の大法責任者は師父と同行しました。私はモーターボートの後ろに座り、師父は一番前に立っておられ、前方の楽山大佛をじっと見つめられているのを見て、私たちも遠くにある楽山大佛を見ていました。

 下山の時、私はほかの人達とは10分ぐらい遅れて歩いていました。平らな石板の道で、師父にお会いしました! 師父は私の目の前1.5メートルぐらいのところで、少し立ち止まってくださいました。その瞬間、私は驚きと喜びに満ち、何を言えばいいか分かりませんでした。師父は「早めに下山しなさい。山道はかなり複雑です」と微笑みながらおっしゃいました。師父のお言葉をいただき、私は師父に合掌し、急いで前に進みました。2、3歩踏み出して振り返ると、師父のお姿はすでに消えていました。とても不思議でした。

 三、広州の法話講習会とその時に見えた満天の法輪

 1994年12月21日、広州の法話講習会は天河体育館で開かれました。全国の各省や都市、それに香港、台湾などの地域から来た5、6千人の学習者が集まっており、そのほかにも数百人の入場券を持っていない学習者が体育館の外で待っていました。最も遠くからの学習者は、黒竜江省ジャムス市やチチハルで、遥々広州まで来て、師父の説法を拝聴しました。

 私は幸運にも3度目の法話講習会に参加出来、4回師父にお目にかかりました。

 私の席は端から2番目で、1番目の席には40代の男性が座っていました。北方から来て初めて法話講習会に参加したそうです。師父が他の気功や憑き物、それに宇宙語などの内容を語られると、この男性は意味不明な音が聞こえてくると言い「師父は何度もこっちを見ておられ、視線には光るものがある」といいました。彼は「師父が説法される中で、邪魔する良くないものを取り除かれていると悟りました」と言い、法話講習会の最後の2、3日になると、その怪しい音がなくなり、男性はとても真剣に説法を聴いていました。

 私が泊った青雲旅館には、数十人の法輪功学習者が宿泊していました。知り合いではありませんでしたが、皆が親切に助け合っていました。3日目、越秀公園で集団煉功があると聞き、数十人の学習者は一斉に越秀公園に向かって出発しました。着くと、広い公園の中で、すでに大勢の法輪功学習者が坐禅をしていました。その翌日の集団煉功中、奇跡的な光景が現れました。越秀公園の上空に数え切れないほどの法輪が現れ、そしてきれいな瑞雲(ずいうん)が浮かび上がっていました。色とりどりの法輪は大きさが様々で、キラキラと光っていて、学習者の頭の上や体の周り、そして公園の隅々を自転しながら回りました。学習者たちは目の前の素晴らしい光景に驚き、思わず拍手をしました。

 四、貴陽市で師父に5回もお会いした

 1997年9月23日、私は幸運にも5回も師父にお目にかかり、これが最後でした。

 師父が貴陽市に来られると聞き、また師父にお会いできると思うと、嬉しくてたまりませんでした。師父は1時間ぐらい説法をされましたが、その場にいた学習者たちは皆感動して、ずっと涙を流している人もいました。師父にお目にかかれることは、この上ない光栄で、とても幸せに思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「シンガポール佛学会成立式典での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/15/411825.html)
 
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