日本明慧


自分を放下して、全体で高まる

文/ヨーロッパ大法弟子

【明慧ネット2005年12月8日】尊敬する師父、同修の皆さん、こんにちは!

 2000年の末、私は『転法輪』を初めて読み終えて、修煉するのは難しい、しかも引き返すことはできないと思った。当時、自分は常人の中での生活がとても心地よく、各種の利益に対する執着心を放下する決意はなかなかできなかったため、ずっと躊躇していた。一度、学習者の集まりで、私たちの地区の責任者から明慧ネットの翻訳の仕事に参加しないかと誘われて、私は修煉する決意をまだしていなかったが、大法の素晴らしさを知っていたので、喜んで承諾した。

 私が明慧ネットの仕事が好きな原因は、翻訳の仕事には独立性があるためだ。文章の選択から、翻訳、審査に至るまで他の人の助けがいらないし、他の人を手伝う必要もない。つまり基本的には他の人と交流の必要がない。しかしその後の協調の仕事に参加したことで、私の最初に参加した動機が変わった。

 1年前に、大部分の明慧翻訳者は、ほとんど別のプロジェクトを支援しにいっており、みんな新しい人が入れ替わり、しかもほとんど経験がない人ばかりだった。彼らから翻訳の仕事を受け取ったら、まず私が最初に校正して、それから二次校正グループに送付することになっていたので。最初の校正は、ほとんど直さなければならず、昼間、私はコンピューターの前でずっと書く仕事をしており、退社して家に帰っても、また深夜までキーボードをたたき続けなければならなかった。私は書きながら、時には手間がかからないように、むしろ自分で翻訳をしたかった。ある時私は、一つ一つ彼女にドイツ語の基礎知識を教えようとした時もあったが翻訳の人数が足りないので、もし彼女の感情を傷つけたら、翻訳グループの仕事に妨害をもたらし、中断したら大変なことになるので、私は全部一つ一つ自分で校正していた。絶えず法を学び内に向け探すうちに、明慧の仕事に対する理解はますます明確になってきた。

 明慧ネットは、外部に対する大法の窓口で、法を正す過程と大法弟子全体の姿形をも表している。また学習者に交流の場を提供することができ、全体で高まる作用があると思う。明慧の仕事に参加している学習者はみな大法の仕事に関わる中で修煉し、法を実証する道を歩んでいる。修煉の要素があるため、仕事の能力の大小は修煉とはあまり関係ない。文章の翻訳量の多少も決して学習者の修煉状態を量る基準ではない。協調者の主な責任はこれまで自分が学んだ知識を十分に生かして学習者に機会を提供し、仕事の中の各方面の障害を排除し、学習者が明慧の仕事を通じて穏やかに法を実証することによって、自分の威徳を作り上げることにある。学習者の能力を育成し、大法の仕事に対する理解を強化し、深めて、みんなが積極的に働くようにさせるのが協調者の役割である。一人一人の学習者がしっかり行い、全体の学習者がみなしっかり行えば更に法の威力を表すことができる。

 私はいつも翻訳量が少ない学習者に定期的にメールを送っている。時には挨拶、時にはお知らせだけで、たとえその学習者の翻訳が少なかったにしても自分は明慧の一員としての自覚を持たせ、自分は大法弟子の中の一粒子だと感じさせることが大事で、彼らが仕事をしない場合でもこうするべきだと思う。時にはいくつかのメールを送っても返信がない時、焦りと責める心が出てくるが、自分のやり方が正しい、当然こういう効果を得るはずだと思い込んでも、うまくいかなかったら、自分の認識が間違ったのではないかと疑い、次元が落ちたのではないかと心配になる。これらの心はすべて法を正す時期の修煉での無私無我の基準に合わない。そして、もしグループの学習者との連絡を維持するのが、自分が法からの理解、この仕事に対する理解であれば、その結果を気にすべきではない。出発点をきちんと正しくした後に、どのようにすべきかで、その段階の法理が現れてくる。突然ある日、グループの学習者から「私は今時間があるので、文章を送ってね」とメールをくれた。

 この間ドイツの学習者は協調者の問題について長く議論した。間もなくみんなは胡錦涛がヨーロッパを訪問することを知っていて、胡錦涛の訪問期間に具体的にどんなことをするべきかを交流した。ドイツの学習者は、胡錦涛の訪問について十分な注意を払っていなかった。この事は法を正す後期に法理からの交流が十分に出来ていなかったからだ。あまりにも学習者の修煉問題を重んじると、邪悪に彼らを迫害する口実を作ってしまう、それによって私達の全体は本当に重要な事件への注目力を牽制してしまう。私はとても焦っていて、グループのみんなに電子メールを送って自分の意見を言いたかったけれど、邪悪に妨害されて出来なかった。

 先週私は一通の中国語の電子メールを受け取った。それは1つのヨーロッパのグループの交流のまとめだった。それはカナダの学習者の準備がとてもよくできていて、このことが全体の過程の中で重要な役割を果たしたという体験で、みんなにメールを書くのがとても大事だと思った。そこで一人の学習者に電話をかけ、みんなが妨害を受けないように注意を払って、十分に胡錦涛の訪問の機会を利用して大量に悪を取り除き、全面的に真相を伝え、徹底的に旧勢力の按配を否定するというメールを書いて欲しいと頼んだ。彼女は聞き終わった後に「あなたはどうして自分で書かないの」と聞いた。私は「書いても賛成してくれないかもしれない、それにその交流文はドイツ語の訳文がなければ、西洋人の学習者も分からない」と言うと、「ならあなたはどうしてもっと早くドイツ語に翻訳しないの」と言い返された。私はこれでやっと認識できて、徹夜してすぐ交流文のまとめをドイツ語に翻訳した。その夜、ベルリンの学習者は全国的に準備の会議を行った。私はこの交流の原稿を書く時に、署名募集の活動を全国の各都市で積極的に行っていた。私は自分を制御する物質が少なくなったと感じて、本当に法の中に溶け込み、無私無我の境地を体得した。

 私はまだ多くの執着心を取り除いていません、不足なところは同修の慈悲の指摘をお願いします。

 先生にお礼を申し上げます、同修の皆さんありがとうございます。

(2005年明慧ネットの編集者修煉体験交流原稿)

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/12/8/116004.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/1/3/68629.html