新しく修煉を始めた大学生の体験談
文/イリノイ州の大法弟子
(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは、みなさん、こんにちは。
私は2007年の初めに修煉を始めました。今はイリノイ大学で勉強しています。法輪功を修煉してもう2年が過ぎました。大法に出会う前は、私はほとんど無神論者で、科学だけを信じていましたが、武術と気功の不思議な力について聞いたことがあり、興味を持っていました。高校生の頃、歴史の先生は東洋と西洋のさまざまな宗教について話してくれました。私にとって最も印象深かったのは、道家の「自然に任せる」という思想です。なんとなく、この考えが正しいと信じ、ずっとこれを基準にしてきました。
2007年の初め、おばとおじは家で祝日を祝っていました。彼らは最近、法輪功を学んでいて、結構いい感じがしているので、私たちにも学んでほしいと言いました。五つの功法を学びましたが、本を読んでいないので、医学の観点から理解して、健康のための体操として練習していました。その後、おばは『転法輪』を読んでね、と何度も注意してくれましたが、学法の重要さを知らなかったので、長い間『転法輪』を読みませんでした。『転法輪』を読むのは、私にとって観念を完全に変える過程でした。『転法輪』の中に書かれた道理は最初は信じにくいのですが、私は心から師父が説かれたのは全部正しいと信じました。
その当時、私は修煉しているとは言えず、ただ大法から人間としての心構えを学んだに過ぎませんでした。私と同じ部屋に住んでいた人はアメリカ人で、彼と彼の友人は毎日たばこを吸ったり、酒を飲んだり、ゲームをしたりして、刺激を追求していました。それを見ると、私は師父が説いてくださった人類の社会における道徳の低下がよく分かりました。彼らは深夜まで酒を飲んだり、ゲームをしたりしていました。最初は、私は腹が立ちましたが、それは業力の輪廻と応報かもしれません。人は借りを返すべきだと思ったら、だんだん落ち着いてきました。その1年、自分はよく忍び、良くできたと思いましたが、今から見ると、その時の心性は低いものでした。
当時、私の顕示心が強く、自分が誰よりもきちんとして、道徳も高いと思っていました。しかし、それは常人の変異した基準だと気づきませんでした。さらに、私の名利心、色欲の心も強く、常人と同じように落ち込んでいました。成績は良いのですが、考えはとても悪いものでした。
法を学び続けるにつれて、自分の不足を見つけました。私はできる限り、法によって自分を要求し、以前の悪い習慣を取り除くことができました。けれども、法をきちんと学ばない時は、常人の状態に陥りやすいのです。学法がとても大切だと私は認識しました。大学生活は忙しいのですが、私はできるだけ時間を作り、毎日の学法を確保しています。少し前、私は学法に専念できなかったので、法を暗記しようと考えました。なぜなら、精神を集中しないと、法を暗記できないからです。私は2回やってみましたが、続けることができませんでした。『転法輪』を全部暗記できる同修たちはとてもすごいと思いました。さらに、私は発正念の大切さを悟りました。真相を伝えていると、私はある時、心がドキドキして、あれこれとくだらないことも考え込んでしまいます。その時には、私はとりあえず座り、発正念に集中すると、身体と思想上の邪魔がなくなりました。
勉強について、私はできるだけ周りの人を手伝い、同時に成績について重く見ないで、きちんと勉強しました。修煉する前、私は成績にとても執着していました。試験や宿題の成績をもらい、間違っているところがあれば、どんなに小さくても必ず先生に点数を変えてくださいと求めました。もし、成績が悪かったら、ずっと気になり、気持ち悪いままでした。修煉してから、私は師父が説いてくださった「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」という理に従っています。学ぶべきものをきちんと学び、結果について執着しません。それができてから、私の成績はずっと良くなり、成績に対する心配と圧力もなくなりました。何かを放下できない時には、私はよく師父が書かれた次の詩を思い出します。
無存
生きて求める所無く
死して留まるを惜しまず
妄念を蕩尽すれば
佛を修するは難からず
一昨年から、私は学校のコンピュータ室で働き、ユーザーの技術問題に回答しながら、コンピュータ室の衛生を管理しています。多くの人は、主にこの仕事は質問の回答だと思い、コンピュータを片づけることやコピー用紙を運ぶのですが、誰もやりたがらないため、私はいつも急いでやりました。不満がありますが、自分は大法弟子なので、大法に従って要求すべきだと思うと、心が穏やかになれます。まるで、師父が『転法輪』の中に書かれたように、「考えてみてください。皆さんは煉功者なのですから、高い基準であなたを律しなければならないでしょう? 常人の理で律するわけにはいかないでしょう? あなたは修煉者ですから、得たものは高次元のものではないでしょうか? したがって、高次元の理であなたを律しなければなりません」
修煉を始めた1年目に、私は発正念と真相を伝えることを全然知りませんでした。だんだん法を学ぶにつれて、大法弟子であれば法を守るべき、師父からたくさんのものを与えられたので真相を伝えるべきだと認識できました。どうするべきか分かっていましたが、最初はうまくできませんでした。私はメンツを重んじるので、面と向かって真相を伝えたくなかったのです。それで、私はいつも友人と交流のために使っているウェブサイトで大法の文章を発表しました。その後、私は無形の圧力を感じてしまいました。今考えれば、全部自分の執着心があったからです。私は大法に対する正しい信念により、耐え忍びましたが、効果は良くありませんでした。
その後、私は、集団学法と煉功の重要さを認識して参加しました。また、法を伝え、真相を伝える集団の活動にも参加しました。集団学法に参加したばかりの時に、よくあれこれを思ってしまい、常人の友人に見られたら、理解してくれないと心配しました。最後に、私は修煉者になりたいのであって、常人が理解してくれなくても、私は修煉するつもりだと決意したら、心も穏やかになりました。
昨年、セントルイス市は神韻芸術団の公演を迎えるため、週末に手伝わなければなりませんでした。ちょうどその時、私の宿題は大変多く、何日も深夜までやりました。長い間、私は行こうかどうかと迷い、いろいろな執着と争いました。最後に、神韻は人を救うことであり、同修も援助を必要としており、私はどうしても行かなければならないと決意しました。チケットを販売している2週間に、私は確かに神韻の神聖さを感じました。そして、その数日間に師父が加持してくださったことを感じました。私の意識はしっかりしていて、いつもの悪い考えと邪魔もなくなりました。まだ取り除いてない執着も抑制されたようでした。
三つのことをする過程で、私の恐れる心とメンツの心が弱くなりました。今は、落ち着いて真相を伝えることができます。しかし、相手が中国人だったら、まだ話しにくいので、もっとしっかり修煉すべきです。
最近、私は確かに周りの環境が変わったと感じています。しかし、そのゆったりした環境によって私は緩んでしまいがちです。これは、以前感じた最も大きな圧力よりも怖いものです。頑張って、圧力を乗り越えたら向上するに違いありませんが、このゆったりした環境の中で、いつの間にか向上する心を忘れてしまいます。そのため、この機会を利用してこの問題を書きだし、認識を深め、自分とすべての同修がもっと精進できるように望んでいます。
2年間の修煉により、私の人生観が徹底的に変わりました。人間が生きている本当の目的も分かりました。私は取り除くべき執着がまだたくさんありますが、今後の修煉の道をもっと勇猛邁進しようと思います。もっと多くの衆生に真相を伝え、大法の良さを知らせて救い済度しましょう!
師父にお礼を申し上げます、皆さんにお礼を申し上げます。
(二〇〇九年米国中部法会での体験発表)
2009年11月6日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/29/209213.html)
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