日本明慧
■印刷版   

難に向って前進し、法を実証する道を歩む(一)

(明慧日本)私は1998年から修煉を始めて、現在まで、すでに10年が過ぎ去りました。しかし、精進している同修と比べると、とても大きな差があります。同修の交流文章を読んでから、自分も書き、自分の修煉に対して総括してみたいと思うようになりました。同時に、文章を書く過程も修煉の過程であり、今後の修煉の道でもっと精進し、師父の慈悲なる済度に申し分が立つようにしたいと思います。

 私は高校の時から他の気功をしていました。師父がおっしゃったような人生の真諦に対してずっと追究していました。各種の気功の書籍を好んでよく買っていましたが、その時『転法輪』、『中国法輪功』も買いました。しかし2、3ページめくってからそのまま置いてしまいました。法輪功の修煉を始める前、多くの偽の気功を練って、憑き物に取り付かれていることも自分では気付きませんでした。

 1998年の春、かつて、私と一緒に他の気功を練っていた人が、当時すでに大法の修煉を始めていました。その人に紹介してもらって、私は『米国法会での説法』、『シドニー法会での説法』を買って一気に読み終え、大法の奥深い法理に心から敬服しました。その後、自分が以前買った『転法輪』を探し出して、真剣に読み始めました。一陣の熱い流れが頭のてっぺんから下へと全身を駆け抜けていくのを感じました。「第三講 憑き物」を読んでいた時、自分の頭から身体の左側に1匹の大蛇がいるのを見ました。「これは何だ?」 その時、恐怖心が生じましたが、思い切って読み続けました。涼しい気が左の足から抜けていくのを感じました。

 その後、「先ほど憑き物の問題についてお話しした時、わたしはすでに本当に大法を修煉できる人の身体に取り付いている憑き物を、どんなものであれ、身体の中から外まであらゆる良くないものを全部取り除いたのです。真に修煉しようと思う独学の人にも、この大法の本を読んでいる時に、同じように身体をきれいに浄化してあげます」(『転法輪』)の部分を読んでいた時、私は感激で涙が溢れました。それから、今まで習った気功を全部捨てて、専一に大法の修煉を始めました。

 7.20以前は集団学法の環境があり、修煉を始めて1年しか経っていませんでしたが、向上は非常に早いと感じました。7.20以降は、この集団学法の環境を失ってしまい、ほとんど同修との接触がありませんでした。北京へ法を実証するために行きたかったのですが、人心があってずっとこの一歩を踏み出せませんでした。師父が経文『根を掘る』の中でおっしゃいました。「一回一回の機会はいずれも二度と訪れはしないのです」 この機会を失ったらこれは永遠に失ったことになります。

 あの期間中、多くの同修が天安門へ法を実証しに行き、捕えられたという報道を見ると、それは常に私の心をさいなみました。こんなに優れた功法がなぜ共産党に弾圧されるのか。このように、大法が迫害されてから1年後、私は陳情の手紙を書きました。他の同修は迫害を受けているのに、自分だけ目先の安逸をむさぼっていてはならない、たとえ、捕えられようと、労働教養を強いられようと恐れはしないと、この陳情の手紙を送りました。送ってからまた、「自分が捕えられるのは大丈夫だが、子供はまだ小さく、両親は年をとっており、家族を驚かせたらどうしよう」などの人心が生じてきました。勤め先は国営企業で、後で勤め先に非法に1週間監禁されました。圧力と肉親の情に動かされ、いわゆる「三書」を書き、修煉の道に汚点を残してしまいました。

 (続く)

  2010年2月16日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/7/217692.html

■関連文章
根本的な執着を取り除く
「心の隙間」について
師父にしっかりと付いていく(一)
苦難な人生の道、輝かしい正法の道(一)
修煉者は法輪大法のみを認めるべし