内に向けて探すことの素晴らしさ
文/中国の大法弟子
(明慧日本)ある日、ある同修が我が家のパソコンに、システムを取り付けるために来てくれました。同修はパソコンを開いた後、機嫌を悪くして言いました。「このパソコンはどのように使っているの? 滅茶苦茶になっているよ。どうにもならない。この地区の同修のパソコンを全部かき集めても、あなたの家のパソコンほど滅茶苦茶になっていないはずだ!」
彼はそう言いながらパソコンにシステムを取り付けていましたが、1時間経っても取り付けることができませんでした。彼はますます機嫌を悪くして振り向きました。そして、私が学法しているのを見て、彼は、「大法の本を置いてください。このような状況下で法の勉強はできないでしょう。あなたは大法の仕事を何もやろうとしないで、金儲けばかり考えているのだから、あなたは大法の本を読む資格があると思うのですか?」と、怒鳴られました。
彼の慌てる様子を見て、本を置いた私は手伝い始めました。私はパソコンにシステムの取り付けを全く知りませんでした。しかし、私は無意識のうちにキーボードの上で、ピアノを引くのと同じように、素早くパソコンのキーを押していました。そして、気がつくとシステムの取り付けに成功したのです。同修は目を大きくして、「自分でできるじゃないの?」と言いました。「私は本当にできないのです」と言って、学法を始めました。
しばらくしてから同修は、また怒り出しました。「あなたは自己中心な人だ。自分だけ金儲けするのならともかく、同修にまで物売りを頼んでいる。形だけの学法をやめてください。あなたに学法する資格はない」私は同じようなことを、同修から二度も言われたので、心が動じました。この同修は混乱を引き起こそうとしているのではないか、同修の隔たりを作ろうとしているのではないか、と思うようになり、そして私は同修に弁解し始めました。「同修を使って金儲けしているのではなく、私は同修の手助けをしている・・・」結果として私は弁解すればするほど、同修は怒りがますますつのり、顔色まで変わり、大きな声で怒鳴り始めました。
私はなぜこうなったのかを考えたとき、邪悪による妨害であると悟り、邪悪の妨害を取り除かなければならないと思いました。私は経文を置き、座禅して発正念をし始めたのですが、同修はやめることなく不平不満を話していました。私はそこで一念が現れました。「この数年来、問題に遭うと、すぐ邪悪の妨害だと思いましたが、なぜ自分の内に向けて探していなかったでしょうか? 自分のどこに不足があるのでしょうか? どのような執着心があるのでしょうか? 今日はしっかりと探して見ましょう!
この一念が現れたとき、奇跡が起きました。私はすぐに入静することができ、考えがはっきりし、身体は天まで届くほど大きくなり、大きな山のようにどっしりと座り、心地良くすばらしく感じていました。そして、私は悟りました。人に指されて罵声を浴びせられたとき、人に濡れ衣を着せられたとき、心が動じないのは、修煉者として最初にできなければならないことではないでしょうか?
内に向かって探したときの素晴らしさを楽しんだ後、結印を解いたときは、同修の怒りや愚痴も収まり、別人のようになっていました。同修はパソコンの修理を終わらせ、ため息をついて、「今日は、心性を守ることができませんでした。あなたの修煉の手助けになったと思いますが、自分の修煉は台無しになりました」と、後悔した様子で話してくれました。
2010年10月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/20/231229.html)
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