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全体に協力し、修煉環境を大切にする(一)


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は修煉の道を今日まで歩んできましたが、実は全ては「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)です。全ては師父が私達の願望通りに成就させ、私達の心性の高さに合わせて威徳を打ち立てられるよう按排してくださいました。
 
 ここで、私は主にグループ修煉の環境は、修煉者の向上に不可欠なものであるということについて交流します。
 
 一、グループ学法の環境を開拓する
 
 2002年に、迫害を避けるために地元を離れて遠いところに行きました。現地の修煉者達は一緒に法を学ぶ時もありますが、随意で決まっていませんでした。しばらく経ってから、私は自分の家があればいいなあ・・そうすれば皆を家に呼んで一緒に学法できるのにと思いました。するとその後、師父が私の条件に合わせて按排してくださいました。私は新しい家を持つことができ、引っ越し当日、同修が家に来て「皆で学法したい」と言ってくれました。
 
 その後、私の家で学法グループを作りました。時間が経つにつれ、打ち合わせや交流会なども私の家で行うようになりました。学法グループは最初3人から始まり、次第に10数人に増え、一番多い時には20数人にまで増えました。7、8人になった時、ある同修は「人数が多すぎて危ない」と言いました。夫(同修)も心配し始め、「この家で学法しないで」と言いました。
 
 幸いなことに、チーム内のある同修が正念を持って皆の観念を変えてくれました。その同修は「確かに家は私達のものですが、師父が賜ってくださったものなので、皆はそれを正しく運用する権利があります」と言いました。私もその時、法理がはっきり分からなくなり、ただグループ学法の環境を提供することはとても光栄だと思い、心の中では誇りと神聖さを感じて、これは大法のことであり、拒むわけにはいかないと思いました。同時に、自分が間違ったら皆に損失を被らせてしまう心配もありました。
 
 ちょうど私が迷っている時、『明慧週刊』に連続して、同修達のグループ学法の交流文章を掲載してくれました。このことは私に大きな啓発を与えてくれ、正念を増強してくれました。そして、皆で一緒に学法するとき、法理も絶えず認識できるようになり、私達は次ように悟りました。グループ学法、煉功、交流は師父が私達に残してくださった唯一の修煉形式です。7.20以降、私達の修煉環境は破壊されましたが、グループ学法に参加することは師父の要求に従い、迫害に反対し、旧勢力の按排を否定することです。グループ学法に参加すると向上も早いのです。
 
 さまざまな困難に直面しながら今日まで歩んできて、最初にグループ学法に参加した同修達は、現在、皆自分の家で家庭資料拠点を作り、グループ学法の場所を提供し、法の実証、及び衆生済度の中で、自分の役割を果たしています。私の家のグループ学法も依然存在しており、絶えず人が入れ替わっています。地元の同修達は、皆自分のグループ学法の環境があります。
 
 グループ学法の道を歩んでいる中で、人心がもたらした妨害や、心性上の摩擦などは、私達を試しています。しかし、師父と大法を堅く信じ、内に向かって探しさえすれば、道はだんだん広くなります。
 
 二、互いに協力し合い、衆生を済度する
 
 私達の学法グループは若い同修が多く、しかも夫婦の同修が多く、子供も小さいのですが、修煉状態はそれぞれ長所があります。その中の若い女性同修は、昼間いつも女性同修を誘って、子供を連れて助け合いながら資料を配布したり、シールを貼ったりしています。夜の活動のとき、子供の面倒を見るために1人だけ家に残ります。
 
 ある時、隣地区の何人かの同修が連行される事件がありました。私達は地元の人に迫害を暴露しなければならないと思い、オートバイの運転ができる人は他の人を乗せて、2人で1組になり、4組で同修を連行した派出所の近くの住宅街で資料を配りました。1人の同修は家に残って子供の面倒を見ながら発正念しました。資料の配布が完了し、皆が申し合わせたかのように集まってきましが、1組だけが戻ってきませんでした(その中の1人は夫です)。私は内に向かって探し、情や心配する心を捨てなければならないことに気づきました。しばらくすると彼らは戻ってきました。
 
 (続く)
 
2010年12月17日

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