日本明慧
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夫婦のトラブルの中で自分の執着を見つけた(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)落ち着いて考えてみると、私の前に現れた妻のいろいろな状態は、必ず私に修めるものがあります。私は無条件に内に向けて探し、自分の根本的な執着を掘り出そうとしました。師父は内に向けて探そうとする私の心を見られて、その後の学法の中で、私に啓示してくださいました。私がどの大法の本を勉強しても、見えたことは全部内に向けて探す法で、師父が指摘されたのは私そのものであると感じました。
 
 「実は、皆さんが乗り越える関はほかでもなく、皆さんの魔性を取り去っているのです! しかし、皆さんはその都度各種の口実をもって、あるいは大法をもってそれを覆い隠し、心性を向上させることができず、機会をその度に逸しています。皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです」(『精進要旨』「再認識」)
 
 「誰でも何かのことに出会った時いつでも外へ向かって探します。『あなたはなぜわたしにこのようなことをしたのか?』 心の中に不平を抱き、自分の問題を考えません。これは全ての生命にとって、一つの最大かつ致命的な障害です」(『シンガポール法会での説法』)
 
 大法の仕事をするとき、妻はときに私に行かせませんでした。私はどんなことでも大法の仕事ほど重要ではなく、妻が私を妨害していると思い、大法をもって自分の執着を覆い隠しました。私は自分ができることであれば、妻にもやってもらいたいと、いつも自分の観念を相手に強制的に押し付け、自分は正しいと堅持し、相手が受け入れられるかどうかを考えず、相手はいつも自分を修めず、法に基づいて考えないなど相手の不足ばかりを見て、よくできた部分を見ませんでした。
 
  実際、妻にはよくできた部分がたくさんあります。私が外で大法の仕事をしているとき、彼女は家で子供を育てながら農業をやったり、家事をやったり、私に安心して大法の仕事をさせました。大法を実証することで、同修たちはよく家に来ました。毎回、同修が来たとき、妻はいつも親切にお茶を出し、料理を作って同修をもてなしました。彼女はいつも黙々と協力し、共に法を実証して衆生を救い済度する仕事がよくできるように苦労を厭いませんでした。私は今までどうして見えなかったのでしょうか?
 
 彼女が数回の病業に妨害されたとき、私は妻と交流せず、彼女と一緒に学法して内に向けて探さず、逆に彼女に、学法が少なく、あまり心性を修めなかったから難関が多いのだと責め、妻を押さえつけて、魔難を大きくさせました。
 
 何かをするとき、私は彼女がどのように考えているかを考えず、自分の今までどおりのやり方でやりました。自分は法に基づいてやっているから、あなたが賛成しないことは法に基づいて考えていないのだと思いました。私はいつも相手を変えたくて、自分を変えたくありませんでした。彼女を見ると、いつも気分が悪くて、見れば見るほど目障りでした。妻との間に知らないうちに隙間が生じ、旧勢力の按排に陥り、衆生の救い済度に障害をもたらしました。
 
 同修は修煉者ですが、神ではありません。まだ修めていない人心を法の中で修めています。各自の法理に対する悟りはそれぞれですから、同修の不足を包容し、同修と交流し、共に向上すべきです。自分に向けて探し、やった一つ一つのことは皆、法に基づいていたのかと探したとき、驚きました。執着心がいっぱいあり、まだ取り除いていない中共の党文化の要素が多すぎました。今まで、私はいつも自分に厳しいと思っていましたが、実際、本当に自分の内に向けて探していませんでした。
 
 自分の不足を見つけた後、私の心の容量が大きくなりました。私は妻に「私たちは交流してみよう。私は自分を堅持し、自分を実証するという根本的な執着を見つけました。私は他人を軽蔑する心を持ち、相手に指摘させず、自分を顕示し、独りよがりで、他人が受け入れられるかどうかを考えず、自分は正しいといつも思っていました」と話しました。
 
 妻はこの話を聞いて泣きながら、「あなたはやっと分かったのですね。あなたが見つけたことは本当にそのもので、その心です。今回はあなた自身が本当に悟りました。あなたは今まで私のために考えたことがなく、自分がやりたければやり、私の考えに気を配りませんでした。この数日、私も自分の内に向けて探しました。今まで、怒るとすぐ罵り、私もあなたのためを考えず、あなたの心は私のせいでもありました」と言いました。私は「私たちはお互い相手に魔難をもたらしました。見つけたものを直し、共に精進しましょう」と言いました。
 
 内に向けて探した後、空間場もきれいになり、慈悲になりました。私たちは時間をかけて交流し、自分を修めれば、さらに多くの衆生を救い済度できると思いました。慈悲かつ偉大な師父の何度もの啓示に感謝いたします。同修の助けにも感謝いたします。
 
 (完)
  
2011年01月24日

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