文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年12月27日】(前の文へ)
真相を伝え、人を救う
2005年に、師父の経文『世間に向かって輪を回す』と『共産党についての九つの論評』(以下、『九評』)を手に入れてから、私は三退を人に勧めるようにしました。最初の頃、親族や親友にしか言えず、恐れる心が重く、経験も少なく、効果はあまり良くありませんでした。繰り返し『九評』を読むことによって、またネット上の様々な予言や同修たちの真相伝えや三退を勧める体験の交流文章を読むことを通して、次第に経験が豊かになりました。しっかりと法を学ぶことを基本にして、正念も次第に強くなり、いつも発正念を重視し、師父に加持をお願いして、三退を勧める効果はますます良くなりました。
病気になってから2008年までの44年間、私は内気な性格によって見知らぬ人とは交流したくなく、街に出て人に接触することも、ほとんどありませんでした。師父の法を学んだ後、大法弟子が真相を伝え、衆生を済度することの重要性が分かり、それによって以前の自分を変え、三退を勧める大きな流れの中に身を投じました。
2008年から、私は午前5時に、街頭で清掃する労働者に真相を伝え、三退を勧めました。彼らはほとんど脱退しました。また自由市場で野菜を買う人や通行人にも伝えました。2010年、公園にはたくさんの人がいて、しかも時間帯によって人が異なることに気づきました。1時~3時の間は高校生が多く、3時以後は退職した幹部が多くなるという特徴をつかみました。公園の中で真相を伝えた人は多く、高齢の幹部の多くは真相が分かり、三退しました。しかし、少数の人は共産党の毒害を深く受け、三退を拒絶し、妨害までしました。
私は2011年の下半期から、毎日午後1時半に公園で高校生に真相を伝え、三退を勧めました。効果は比較的良好でした。私は行く途中で発正念をし、また師父に別の空間を清浄にするようお願いして、また縁のある人に来てもらうようにもお願いしました。師父が本当にすべてを下準備して下さり、毎日新しい人が多く来て、重複する人は少数でした。
最も多く三退させたのは今年の春でした。その日、たくさんの子供達がそこで遊んでいて、私は中に入って真相を伝え、三退を勧めました。子供達はみんな三退に賛成し、その後、2人の中学生も三退して、全部で14人が三退を選びました。彼らは私に多くの質問をし、私は一つ一つに答えました。こうして、そこにちょっと長く止どまり、話に夢中になって、警察官が来たのも気づきませんでした。警察官は何人かの子供を呼び出しました。私の心はとても落ち着いていて、恐れず、そのまま無事に家に帰りました。
公園のベンチには4人が座ることができ、毎回1人から4人まで三退を勧められます。真相を伝える時、私ははっきりと説明ができることを目標にして、予言から蔵字石、また獣の印を取り除くことから将来の平安を守ること、天安門焼身自殺の捏造事件や傅怡彬の殺人事件、大法が世界中に広く伝えられていること、三退者数が日に日に激増していること、神佛が法を伝えて人を済度すること、1989年の六四(天安門事件)で当局が大学生を弾圧したこと、さらに江沢民が「共産党が法輪功に勝てないなんて信じない」と叫んだこと、6万5千人の法輪功修煉者が生きたまま臓器を摘出されたこと、また、「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と念じれば福の報いを得られること、社会の腐敗から汚職役人、天災、人災、現在の社会に現れたさまざまな危機とその原因などを話しました。子供達は皆それに比較的賛成し、真相を受け入れ、自らの意思で三退しました。
また、近所の人達に三退の話をします。私達の所に、臨時に住んでいる世帯も含めて10数家族が住んでいます。人々の出入りが激しく、三退に多くの便宜をもたらしています。ここには毎日近所の人の親戚や親友がやって来て、いつも縁のある人に出会え、彼らに真相を伝え、三退を勧めることができます。例の金を借りて返さない隣人の男性が亡くなった後、彼の奥さんや兄弟姉妹も、その中に党員もいましたが、全員が私の勧めにより三退しました。
真相を伝え、三退を勧める中で、色々な人に出会えます。勧められるとすぐに脱退して、自分が退くだけでなく、家族まで三退させる人もいます。しかし、やはり本人が同意しなければならないと思いました。時には、たくさんの友人を呼んで来て三退する人もいます。もちろん、三退しないで、通報しようとする人もいます。どんな人にも出会います。私の親戚の中には、何度も脱退するように勧めましたが、退かないだけでなく、「共産党から金をもらっていながら、党、団、隊を退くように勧めるなんて。公安局にはとっくにあなたの名前が上がっているよ。もしあなたが障害者でなければ、もっと前に逮捕されているのだ」と怒鳴る人もいました。
私は妻と結婚して、もうすぐ40年になります。その間、妻の実家に行ったことがありません。2009年の夏、ちょうど義母の3回忌で、妻は車椅子で私を押して、彼女の村に行きました。ついでに三退を勧めたいとも思いました。私達は午前7時に出発して、道中はずっと大通りを歩きましたが、分かれ道に来た時、どちらに行けばいいか分からず、結局、ダムの堤に着いた時、やっと間違いだと分かりました。ちょうどそこに5人が坐っており、私が道を尋ねると、彼らは地元の人ではないと分かりました。私は彼らに真相を伝え、三退を勧めると、1人は脱党、2人は脱団、2人は脱隊をしました。
私達が分かれ道まで戻って来ると、年配の農民が畑でジャガイモの根元に土をかけていました。私は前に出て彼に真相を伝え、彼は少年先鋒隊を退きました。私の弟と妻の弟と妻の妹婿が私を探しに来ました。妻の村に来ましたが、その道の傾斜はあまりにも大きくて、行きづらく、真相を伝えるのはとても不便でした。結局8人だけ三退させました。
修煉は、正念を持って正しく行い、初心の如く
私は今、毎日法を4、5時間学びますが、ほとんどは夜に学んでいます。昼間は補う程度です。今年になって、ネットで法を学ぶことが多くなりました。大法の本は全てが揃っていませんが、ネットでは全部見られます。毎日の学法、煉功、発正念、三退を勧めること、明慧ネットで同修の交流文を読むことを堅持しています。スケジュールはびっしりです。
私達の所には同修がとても少なく、私達兄妹の3人は様々な原因で学法チームができず、それぞれ家で法を学び、何日間かごとに一緒に交流しています。私と上の妹は三退をより多く勧めていますが、下の妹は僅かです。彼女の夫は村の幹部で、それが理由で、迫害が開始されて14年来、村は私に妨害をしてきたことはありませんでした。しかし何よりも、これまで安定して歩んで来られた根本的な保障となったのは、やはり師を固く信じ、法を固く信じることだと思います。私は恐れる心を放下して、師父が按排してくださった道をしっかり歩み、法を正す時期の長さを気にせず、どんなに環境が変化しても、たとえ邪悪が迫害の最も狂暴な時でも、終始法を師にし、修煉は初心の如く、しっかりと実修します。
私がこの原稿を書こうと決意した時、私はベッドに布団をかけて眠っている夢を見ました。私が掛け布団をめくった時、全身の皮膚が大きな塊となり、ざらざらしていて、温かく、また薄いピンクの水を帯びて、大量に脱落するのを見ました。私の全身は瞬く間に生まれたばかりの赤ちゃんの肌と同じように、柔らかくてみずみずしくなりました。私の本体は再度転換し、昇華しました。
以上がこの数年間、私が修煉して体得したことです。同修の皆さんと一緒に交流したいと思います。初めての投稿で、法に対する認識が不足している所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。
(完)
(明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)