文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年2月21日】(次の文へ)
苦難の日々に大法に出会う
私は共産党の末端組織である村の党書記を務めていました。無神論に毒害されて拝金主義に走り、名利のために奮闘した結果、病気だらけになり、鼻炎、胃腸炎、肝炎などを患いました。当時、肝炎はすでに肝硬変に変異し、私と家族は僅かな希望を持ってあちこちへ名医を求め、病院を一軒一軒訪ねましたが、毎回希望はすべて絶望へと変わりました。私は様々な民間の処方も求めましたが、いずれも効果がありませんでした。生活は私にとって、無限の苦痛と絶望だけになり、両親は望みのない中、こっそりと私の葬儀の事を相談し始めました。
あの果てしない苦難の中で、奇跡はひそかに表れました。ある日の夜、家の壁に、14インチ程の大きさのスクリーンが現れ、突然大きな佛が現れました。弥勒菩薩のようでした。私が静かにそれを数秒間見た後、スクリーンは自然に消えてなくなりました。私は驚いたり喜んだりして、また信じられない気持ちでした。もしかしたら佛が私を済度しに来られたのだろうかとも思いました。
約1カ月後のある日、1人の若者がビデオを見ようと私を誘ってくれました。その内容は法輪功でした。私は彼に法輪功とは何なのかと聞くと、彼は佛や道を修めるものだと答えました。私は「病気がこれほどこじれたのに、佛や道を修められるのか」と疑いながらも、試してみたい気持ちも捨てきれず、こうして、何も知らないまま、幸運にも大法修煉の道を歩み始めました。
師父の啓発
私が法を聞いた翌日の夜、師父は私の体を浄化してくださいました。師父の説法を聞いたごく短い9日の間に、私はよく法輪が回転しているのを見ました。食事をする時、法輪は食べ物の上で回転し、歩く時、バスに乗る時も、法輪は目の前で回転していました。師父が私を励ましてくださっていたのでした。
当時、毎朝3時50分に、私は煉功場へ煉功に行きました。時々寝坊して起きられない場合、必ず誰かが私の耳元で「起きて煉功に行きましょう」と呼びかけてくれました。ある日の夜、私が早く寝ようとしたら、耳元に誰かが「あなたは修煉しても精進していません」と言いました。またある時、2人が喧嘩していて、私はそのうちの1人を助けようと思って頭を上げると、大きな法輪が回転しているのを見ました。私は直ちに師父が私に喋らせないように啓示されていると分かりました。
絶え間なく法を学ぶことによって、心性も絶えず向上しました。ある日、私は金の箱を拾った夢を見ました。後ろから3人が私を追って来て、それは彼らのものだと言って、私を殴ろうとしました。夢の中で私は慌てずゆっくりと「あなたのものなら私は要りませんが、中に何が入っているのか見たいです」と言いました。箱を開けると、中に大きな佛が座っており、私に微笑んでおり、目が覚めました。私は心から喜びました。それは師父が私を試しておられ、自分のものでなければ絶対に要らないのだと励ましてくださったのです。
1998年春のある日の朝、私の家の果樹園にある何本かの多年生のナツメの木が誰かに掘られ、持って行かれました。妻に派出所へ届けを出して欲しいと言われましたが、私は心を動かしませんでした。2日後に人が来て、「あなたのナツメの木は誰々の庭に移されました。早く取り戻さなくてはならない」と言いました。私は心を動かしませんでした。『轉法輪』の中で師父が説かれた「失と得」の関係を思い出して、私は根気よく妻を説得しました。結局2カ月後、掘られたナツメの木の場所に、また新しい苗が出てきました。
ある日、私は1人でベッドに座って法を学んでいました。突然テーブルの上に供えた師父の法像からピンク色の球が上がり、それは蓮の花に変身し、師父の法身がその蓮の花に立って屋根へ抜けて行かれました。時には、法を学ぶとき、『轉法輪』から色とりどりの金色の光が放たれているのも見ました。特にある日の深夜、法を学んだ後、片付けして就寝しようと思って、部屋を出たら、晴れ渡っている夜空に師父が袈裟をお召しになって、私に向かって来られました。黄金色の袈裟は夜風の中でかすかに揺れていました。
こうして、師父は様々な形で私を啓発し、励ましてくださいました。私のような頭に無神論の弊害がいっぱい詰め込まれた人間も、少しずつ虚言と欺きを捨て、神仏を信じるようになり、修煉を信じるようになり、真の返本帰真の道を歩むことになりました。
(続く)