正念で邪魔を滅し、堂々と衆生を済度する(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年2月25日】(前の文へ)(次の文へ

 迫害に反対し、法をしっかりと守る

 1999年に、邪悪は狂気のように大法を破壊し、師父に濡れ衣を着せ、私のような末端組織の村の党書記は当然、地元の重点人物になりました。県の紀律委員会の人、郷の副書記などは毎日のように、私に修煉を放棄し、本を上納するように説得に来ました。私は断固として拒否しました。兄(同修)は恐れる心が重く、「だめだったら、すこし本を上納して、適当に対処すれば」と言いました。私は「唐の三蔵法師は途中で妖怪に出会ったら、経典をもう取りに行かないのか」と言いました。

 県の紀律委員会と郷の副書記は一斉に私に圧力をかけました。彼らは私に「中央の重大決定に対して、あなたはどう見ますか?」と言いました。私は強く「捏造だ、誹謗だ、陥れだ」と言いました。その時、その場に居合わせた人はみんなとても驚いて、党中央の重大決定に対してこのような態度で対応するのは勇気があり過ぎると言いました。すると、今度、派出所の所長が私に圧力をかけに来ました。所長は私に大法の素晴らしさを言わせようとせず、彼はテレビの捏造の話ばかり言いました。私は所長に聞き返して、「もし1人の医者があなたの病気を完全に治してくれたなら、あなたは彼が悪いと言うのですか? あなたはこのような人でしょうか」と言いました。彼はすぐに「いいえ、いいえ」と言いました。私はさらに「もし誰かがどうやって治ったのか」と聞かれたら、私がそのお医者さんの名前を言ってはだめですか」と言いました。彼は「当然言っていいです、いいです」と答えました。私が毎回彼らに協力しないため、県の迫害の重点人物となり、しかも、公安局長が私を担当することになりました。

 ある日、公安局の局長と派出所の所長が私の所に来て、「あなたはまだ煉功していますか?」と尋ねました。私は笑いながら、「しています」と答えると、局長は「あなた達の反革命分子は中南海を包囲攻撃した」と怒鳴りました。私は冷静に「人は自分の言葉に責任を持たなければならないですよ。テレビにも出ましたね。包囲攻撃と言いますが、いったい、何を持って包囲し、何を持って攻撃したのでようか」と言いました。局長は答えが出なくなりました。

 2000年7月、県と郷政府は小麦を収穫する頃に私を連行して、私に反省文を書かせる予定でした。私はその情報をキャッチしてから、7月13日に再度北京へ行き、法を守る陳情に行きました。その後聞いた話ですが、県の郷・鎮幹部大会で、県の党委員会の書記は私の郷の仕事がよく出来て、しかもXXさん(私を指す)はある程度「転向」したと言いました。しかし、県党委員会書記がその話をした途端に、事務所主任に北京から報告の電話が入りました。私がまた北京に陳情に行ったという報告でした。電話を受けた県の党委員会書記はがっくりと気落ちして、仕方なく「今の話はなしにしてください」と言ったそうです。

 「正念は神威を顕し」[1]、警官が慌てふためいて逃げた

 私は二度北京へ行き法を実証しました。その後、1年の不法な労働教養を強いられました。労働教養所で、私は断固として邪悪に協力せず、警官の目の上のたんこぶとなりました。ある日、1人の警官が私を取調室に呼び出して、いくつかの文字を書いてほしいと言いました。これらの文字の順番を並べ替えれば、大法を中傷する言葉となるので、私は邪悪のからくりを見抜いて、断固として拒否しました。それと同時に、私は警察官を直視して、心の中でこの警官の背後に潜んでいる邪魔を一掃しようと思いました。このように思うと、警官はソファーから立ち上がって、慌てて出て行きました。この時、私は自分の体は師父によって無限大に加持され、もう少しで飛びそうになると感じました、あの一刻、私は本当に師父が私の傍にいらっしゃると感じ、大法の力と神秘を改めて体得しました。

 2001年7月、私は出獄して家に帰りました。労働教養所は地方公安局の連絡用紙に「転向しない」と書きました。

 2002年3月、私の家は国保大隊に家宅捜査されました。警察は「1枚のビラは3年の労働教養に値する」と暴言を吐いて私を再び連行しようとしました。師父のご加護のもと、親戚の助けにより、私は地方の炭坑で食事を作る仕事を見つけました。そこで、私は心を静めて法を学び、人に出会うと真相を話しました。しかし、その場所には人口が少ないので、ある日、私は座禅して、縁のある人を私に導いてくださいと師父にお願いしました。翌日、本当に3人が荷物を背負って仕事探しに来ました。夜に私は彼らに真相を話し、翌日、彼らは真相が分かって、そこを去って行きました。

 真相手紙を書き、法輪が筆先で回転していた

 私は地元を出たため、地元の610弁公室と政府、公安局はとても緊迫した様子でした。彼らは至るところで私の行方を捜し、見つからなければ、私の友人を通して私を探しました。しかし、全部失敗に終わりました。最後に、彼らは私の親戚を騙して、私を逮捕しないからただ会いたいと嘘を言いました。親戚は邪悪の腹黒さが分からず、私を呼び戻しました。私は親戚に彼らの邪悪な意図を説明して、地方に戻ってから、国保大隊の大隊長に電話をかけました。私は「私を探して何の用ですか」と聞きました。彼は「聞きたいことがある」と答えたので、私は「聞きたいことがあれば、聞いてください」と言いました。彼は「あなたはどうして公安局に黙って、ここを出たのか?」と言いました、私は「法律では、公民が出稼ぎに行く場合、公安局に届けなければならない規定はないでしょう」と言うと、国保大隊長は言葉がなく、最後に、「5月1日に帰って来い」と言いました。私は「忙しかったら、帰れない」と言って電話を切りました。その後、私は彼らに真相手紙を書いて、真相を伝えるべきだと思いました。

 この一念が生じた時、慈悲なる師父は私を加持してくださいました。私は平和で純粋な気持ちで彼らに大法の病気治療と健康保持の不思議な力、大法の素晴らしさ、修煉者の思想と道徳の向上の実態、また、共産党の大法に対する誹謗中傷及び私が労働教養所で見た大法弟子に対する迫害などを書きました。また、ある麻薬中毒者は、大法修煉後に、見事に麻薬から回復し、道徳の高尚な人になった実例も書きました。私は、「これはいかなる政党、団体、いかなる科学者もできなかったことです。しかし、このように高徳な大法をどうして誹謗中傷をするのでしょうか?」と書きました。また、私は彼らの疑問に対して、なぜ大法弟子は真相資料を配るかを書き、また師父の『洪吟二』「如来」の「如意真理を帯びて来る 洒脱として四海を歩む 法理を世間にくまなく撒き散らし 衆生を満載して法船は出帆す」を引用して、彼らに、聖人が世に下り、人間の言葉で真相を伝え、人の心を測り、すべての人の心を評価し、それによって、法は世間を正す時に、人を淘汰するか否かを決めると説明しました。また、彼らに自分のため、家族のため、善良を選択し、天意に順応してもらいたい、さもなければ、とても恐ろしくて、とても悲惨な結末に直面することになりかねないとも書きました。同時に、憲法に違反して、法を知りながら法を犯し、人命をおろそかにして、人間の基本的な人間性と人権を迫害する場合、深刻な悪い結果になることを警告し、何度も彼らの善の気持ちを啓発し、ある日天象が大いに現れ、あるいはあなたが真相を分かったならば、あなたは自分が迫害に参与したことに対して、恥ずかしくて居ても立ってもいられないだろう……と書きました。

 手紙を書く全過程で、筆先には法輪がずっと回転していました。師父のご加持がなければ、私はその手紙を書けなかったでしょう。その手紙を出したその夜、私はとてもはっきりした夢を見ました。夢の中で天女が花を散らし、大きな法輪が花の中で回転して、非常に素晴らしく、殊勝でした。あの素晴らしさは人間の言葉でとても表現しきれないものです。

 地元警察は私の手紙を受け取った後、郷、県、市の関係部門の人が集まって、気が狂ったようにあちこちで私を探しました。彼らは私の居場所を知った後、すぐに車を走らせ、私を捕まえに来ました。しかし、途中で暴雨に遭遇して、激しい洪水は彼らを遮りました。一方、私は師父のご加護と啓発の下で、無事にその場所から離れました。

 その後、私の親戚が公安局の人に会ったとき、あの手紙は実によく書かれていたと言いました。親戚の言葉からその手紙を読んだ人はみんな真相が分かったと知ることができました。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「師父からの新年の挨拶」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/1/27/285807.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/2/11/145331.html)
 
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