【明慧日本2014年5月31日】(次の文へ)
先日、私は地方に行きました。ごく短い一週間の中で多くのことを悟り、修煉の中で昇華することの幸福を味わったと同時に、私たちを済度するために師父はどれほどの苦難を嘗めたかを、改めて実感し、感銘を受けました。
一、内に向けて探して、自分を修める
1、同修の間のトラブルを見て内に向けて探す
先日、私は近隣のA市に行きました。A市の同修たちは真相を伝える方面でとてもしっかりやっていますが、同修の間の隔たりが大きく、互いに譲らず、互いに気に入らなくて、協力と円容することができませんでした。長期にわたりとても複雑な状況が生まれ、多くの同修はどうしたらよいか分からず、手の施しようがありませんでした。私と交流した時、皆が言ったのはすべて相手の不足です。それを聞くたびに、どうして皆は私の前でそのように振る舞うのか、私にはどんな執着心があるのか、私が取り除くべきものはいったい何か、もしも私がそのような環境に置かれたら、私は真の大法弟子のように正しく対処できるか、と私は常に内に向けて探してみました。
A市の女性同修AさんとBさんは、長期にわたって対立して、互いに非難し合っていました。Aさんは夫婦ともに修煉者ですが、多くの同修は陰で、彼ら夫婦はとても金銭に執着して、資料を作るための経費にさえ手を出したり、また大法書籍を作って同修に売って金儲けをしたりすると告げました。話を聞いた後、どうして彼女たちの対立を私は知ったのか、私自身に金銭に対する執着があるのではないかと私は考えました。現地の協調人の一人であるBさんは、Aさん夫婦が気に入らず、互いにますます対立してきました。Bさんが私に訴えた時、彼女の嫉妬心、闘争心、利益に対する執着、人に指摘されたくない心が私には見えました。
そこで、自分にも同じような心があるか、私は黙々と探してみました。結局、自分にも同じ執着心があることに気付きました。私はBさんと心を開いて深い交流を行い、彼女は自分の不足にやっと気づきました。後日、彼女はAさん夫婦を自宅に誘って、自分の問題点と法理に対する理解を話しました。その夜、私たちの会話はとても和やかな雰囲気の中で終わりました。大法の光に覆われて、内心は幸せで安らかでした。
大法弟子は本当に1つの全体であり、トラブルが起きた時、内に向けて探す修煉者が一人さえいれば、大法の力は皆を正すことができると私は悟りました。師父が『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』で「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」とおっしゃったとおりです。私たちが進んで内に向けて探す時、その慈悲なる力は旧勢力のいかなる要素をも砕くことができ、同修に内に向けて探すように促すこともできます。
2、難関に陥る同修を見て内に向けて探す
Cさんは姑の家では長男の嫁で、家族のためにたくさん貢献しましたが、その苦労はずっと家族に理解してもらえませんでした。彼女の訴えを聞いた時、私は彼女の嫉妬心、闘争心、見返りを期待する心、利益を求める心などが見えました。私は内に向けて自分を見て、自分にも同じ執着心を発見しました。私はそれらの執着心に「滅!」と話して、その後Cさんと腹を割って交流しました。
Dさんは主に真相手紙を送ることを担当しています。しかし彼女が作った真相手紙はあまりきれいにきちんと作っておらず、内容も古くて、一部の内容は数年前の情報を使っていました。意見を彼女に言うかどうか私は少し迷って、最後にやはり自分の意見を素直に言いました。言い出しながら、その前の迷いは「相手を傷つけることを避けたい」という善良な心遣いに由来したのではなくて、ただ彼女に怒られたくないという気持ちに由来したものだと気づきました。
Dさんは私の言葉に反発をせず、資料をきちんと作っていないことを認めましたが、やはりずっと弁解していました。私は「彼女は自分のために弁解している」と思いました。そこで、自分にも同じような執着があると気づきました。相手に不足を指摘されたら、無条件に内に向けて探すことができず、いつも表面では相手の意見を受け入れたように見えますが、心の中では自分のために弁解しています。そこで、私はその執着心を解体しようと思っていました。すると、在席の同修たちは次々と自分の不足を探し始めました。内に向けて探すことの力を、私は再び体得しました。
3、同修と意見が食い違う時、内に向けて探す
現地のある協調人Eさんは、田舎の同修たちに会って交流を行いたいと考え、私に同行してほしいと誘いました。私はあまり行きたくありませんでした。Eさんはあまり学法を重視しておらず、何かに遭った時にあまり内に向けて探すことができず、いつも人情で対応するからです。彼女の家に行った時、いつも大人数の同修が集まって食事をしながら雑談しています。とても時間の無駄で、必要がないと私はずっと思っていました。実は、私は彼女を気に入らず、自分の観念で彼女を見ています。
そこで私は自分に「どうして行きたくないのか」と問いかけました。答えは、自分の私心でした。Eさんは私に行ってほしくて、みんなと交流して共に向上すると望んでいます。私はどうしてこんなに冷たいですか? 自己に固執しているからです。そこで、私は発正念してその私心を解体し、翌日に田舎に一緒に行こうと思い、Eさんに承諾しました。不機嫌だった彼女の顔はすぐに笑顔になり、不愉快なことは何もなかったようでした。さらに素晴らしいことに、翌朝、彼女は進んで法理に対する理解をたくさん話してくれて、とても誠実に自分の不足を暴き、内に向けて探し始めました。これは本当に大法の力です。」
(続く)