文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年6月4日】(次の文へ)
修煉をしていく中で、私は益々自分を良く修めることの重要性を実感してきました。自分を良く修めて初めて、万古の誓約を果すことができ、衆生を救うことができ、修煉の道のりにおいてより多くの奇跡を現すことができます。
以下に、自分の学法や法の暗記、心性の修煉等における経験を皆と交流したいと思います。法に沿わない部分があれば、同修のご指摘をお願いします。
一、引っ越し
ある時、私は翌日に引っ越しを控えており、ある同修は最後に一緒に早朝の煉功をしようと誘ってくれました。翌朝、煉功時間の前にその同修が来ました。そして、そのすぐ後に、もう一人の男性の同修も来ました。私は彼の突然の出現を意外に思いました。彼も私に「今朝、私に電話しましたか?」と問いかけてきました。私は「いいえ」と答えました。彼はこう言いました。「おかしいですね。3時20分に確かに電話が二回鳴りました。私はあなたからの電話かと思いました」。彼は家中に荷物があるのを見て、「引っ越しですか?」と聞きました。私は頷き、彼は言いました。「今日、私はちょうど休みなので、手伝いましょうか?」 私はありがたく思いました。
新居はまだ内装中のため、私たち一家はしばらく姪の家に住むことにしました。引っ越しの当日、主人と私は一歩先に姪の家に行って、娘は古い家で引越し屋さんを待っていました。10時頃、娘から電話が掛かってきました。電話の向こうで娘はこう言いました。「母さん、今日、私は本当に嬉しいです。大勢の人が引っ越しを手伝いに来てくれています。70歳を超えた爺さん、祖母さん、伯父さんや伯母さん、そして煉功するお婆さん、伯父の王さん、沢山の人が来ていて、ここは非常に賑やかです」 娘からの朗報を聞いて、私は再び周辺の人々の助けに感動を覚えました。
娘は引き続き言いました。「母さん、今日は母さんも大変だから、何もせず早めに休んでください。私が着いてから片づけをしますから」。その瞬間の暖かい言葉に、私は娘が成長したと実感しました。以前の彼女は、社会という大きな染めものがめ影響で考えが変異し、冷たく、悪習慣も多く、私はそのことで心労を抱えていました。今日の彼女は心が洗われ、一種の超越、一種の昇華があったように可愛くなりました。私は娘に言いました。「あなたも今日頑張りましたね。今日のあなたも私を感動させました。そしてあなたが20数年私達が住んできた場所の最後の場面を見届けてくれて良かったです」。
二、師尊の教え「この心をよく修める」
師尊は『轉法輪』の中で仰いました。「心を修めなければ誰も成就できるはずがありません」 姪っ子の家に引っ越したその日の夜、夕飯のときに、私は壁に貼ってある五つの文字を見ました。「修好這顆心(この心を良く修める)」 私は再びあまねく存在する師尊の慈悲を実感し、感動を覚えました。姪っ子はこれが友達からのプレゼントで、壁に貼ったばかりだと言いました。 彼女は小さいなレストランを営んでいます。私は三つのことを実行する以外の時間、彼女の手伝いをしています。彼女は社長ですので、私は目上という身分を放下し、言われる通りにします。皿洗い、床掃除、テーブル拭き、暖炉の炭の補充、炭の燃えかすを取り出す、野菜洗い、下ごしらえ、そして料理を運ぶまで何でもやります。機会があれば真相を伝え、時間がなければ私は「またのお越しをお待ちしております」と声をかけ、いつも最後に「法輪大法は素晴らしいと覚えてください」と言ってあげます。微笑んでくれる人もいれば、ありがとうと言ってくれる人もいます。
ある日、親戚が姪っ子に電話をかけてきました。「あなたの叔母はそこに住んでいて、手伝いなどをしてくれるの?」と聞いてきたとき、姪っ子は「叔母は忙しいから、そんな時間はありませんよ」と相手に答えました。(ちょうどそのとき、私は姪子の家で餃子作りを手伝っていました) 彼らの会話を聞き、私は心が穏やかでした。真っ先に思いついたのは師父の説法でした。「皆さん考えてみてください。はっきり分かっていながら苦しみに耐えているのは、あなたではありませんか。犠牲を払うのはあなたの主元神ではありませんか。常人の中であなたが何かを失う時は、あなたははっきり分かっていながら失うのではないですか?ならばこの功はあなたが得るべきで、それは「失うものが得る」からです」(『轉法輪』)
この環境の中で、私にも苦しみや汚さから避けようとする人心があります。心性の摩擦もあります。しかし、師父の教えを思い出した途端、心が開き、明るくなり、淡々といられるようになります。師尊のお教えに感謝いたします。
三、法を暗記する中で心性が昇華する
いつも通り、私は朝の六時半頃に家を出て、一緒に真相を伝える同修との待ち合わせ場所に向かいます。そこに着いてから、しばらく待っても彼女は現れて来ませんでした、私が時計を見ると、既に七時半を過ぎていました。本来でしたら、とっくに来ているはずです。私は引き続き待つことにしました。
天気が寒く、私の手足は痛いほど冷たくなってきました。そこであっち行ったりこっちへ来たりしていました。突然、法を暗記する事を思いつきました。毎日、『轉法輪』を二、三講ほど通読する以外、私は時間があれば法を暗記することにしています。今日はちょうど「走火入魔」を暗記する番になっています。
往来する通行人や車が徐々に多くなってきていますが、私は常人の一切に気を取られずに法を暗記し、法の文字の一つ一つが心に、脳裏に、そして体の細胞の一つ一つに溶け込んでいくように感じました。私は寒さを忘れ、待つことを忘れ、心が温かくなって、自分がこの世で最も幸せな人だと感じました。
法の暗記をひと段落終えましたが、同修はやはり来ておらず、既に8時半が過ぎました。私は彼女が来るはずの道に沿って歩いてみました。心に怨みや一切の執着心はありませんでした。
午後のグループ学法の時、彼女は来ていました、私を見るや否や真っ先に「ごめんなさい」と言いました。私は、「いいですよ。来ましたか?」と聞きました。彼女は、「行きましたよ。しかし、パトカーが見えて、私は奥の方に入りませんでした」と言いました。彼女の答えを聞き、私は内心で思いました。「あ、それは...」そう思い始めた途端、私は自分にこう言い聞かせました。「同修を怨まず、同修を悪いように思いません」。そう考えて、私の心は再び平然となりました。
(続く)