文/浄月(口述) 同修が整理
【明慧日本2014年6月27日】(次の文へ)
私は2005年に法を得た大法弟子で、今年で59歳です。大法から多すぎるほど頂きましたが、一回もそれらを修煉体験で表そうとしませんでした。同修と交流した後に思ったのですが、自分の修煉体験を書き出すのも大法を実証することですし、師父に答案の提出も兼ねて、そして大法弟子のウェブサイト上で全世界の同修と交流できるのも幸いなことだと思いました。
法に沿わない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
一、大法を得て、九死に一生を得た
私は皆が羨ましがる家庭を持っています。主人は海外で貿易を行い、その後国内に戻って不動産に投資し、息子は海外で留学しています。私は別荘に住み、ブランド服を着て、家事は全てメイドに任せ、優雅に人生を満喫する資産家の奥さんだと見られています。誰もが私は幸せだと思っています。
ハンサムな主人は書道に長けて、各国の彫刻や骨董品を集め、事業も順調で、多くの友達に囲まれ、夜に帰宅しないことは度々です。彼が男女問わず多くの各業界の友達に囲まれているのを見る度に、糟糠の妻である私は心の痛みと寂しさを感じ、家庭の危機を感じていました。私の気性は益々悪くなり、何かがあればすぐかっとなって、夫婦間の喧嘩が絶えず、時には物の投げ合いもしました。時間が経つにつれて、私の体は益々悪くなり、胃炎、貧血、失眠、三叉神経痛にかかり、結腸炎にも20年近く悩まされ、体重は僅かの35キロになりました。睡眠薬以外、結腸の充血で潰瘍が出来るため、ご飯の前に薬を飲まないと、食後すぐに下痢になってしまいます。20数年間、私は冷たいものや堅いものを食べられず、果物も食べられませんでした。私は薬で命を維持し、毎日力がなく、横になっていることが多く、これらの慢性病に悩まされ、苦しくてたまりませんでした。
新築に引っ越す前、私はしばらく友達の家に泊まることにしました。その隣人のお姉さんは法輪功を修煉していて、弱い私を見て言いました。「法輪功を勉強してみては如何ですか?」私は「いいですね」と答えました。彼女は一冊の『轉法輪』を持って来て、私に五式の功法を教えてくれました。それは2005年5月11日です。私の永遠に忘れられない日です。
大法の本を読んで23日経ったとき、私は薬を飲みたくなくなり、排便には漢方薬の臭いがしていました。5日目に、私は全ての薬を捨てて、冷たいものも食べられるようになり、本当に不思議でした。20年間アイスクリームや果物を食べられなかった私が、10個のアイスクリームを食べて、その後イチゴも食べました。更に不思議なのは、寝る前に薬を飲まなくても、頭を枕に当てればすぐに寝てしまい、しかもぐっすり寝られるようになりました。師父が私の鼻炎を治して下さる際も不思議でした。外でお客さんに会う際は大丈夫ですが、家に戻った途端、鼻水が出てきました。
一回、私の右顔が腫れて、主人はどうしても私を病院に連れて行こうとしました。私はこう言いました。「3日間待って下さい。治らなければ一緒に病院に行きましょう」「いいよ、3日後治らなければすぐに病院へ行きますよ」と主人は言いました。その日から、私は一日に『轉法輪』を二講読み、説法ビデオを一講聞き、残りの時間で後期の師父の説法を学び、動功も一時間増やしました。腫れていた顔が日に日に良くなり、3日後に完璧に治りました。主人は笑いました。一回、主人の友達が家に遊びに来ていて、咳をする私を見て薬を買おうとしました。主人は言いました。「要りません。彼女は薬を飲まなくてもすぐに治ります」主人も大法の体を浄化する効果を信じるようになりました。
一年後、私の全ての病気が治り、心理状態も良くなって、何を食べても美味しく感じ、体重も50キロを突破しました。主人は喜びを抑えきれませんでした!
二、学法し、心を修め、怠らない
大法を得た日から、私は貪るように学法し、学べば学ぶほど手放せなくなり、テレビを見なくなり、旅行にも行かなくなり、学法を生活の柱としました。新築は割と辺鄙な所にあり、市内からかなり離れているので、私はそこに引っ越してからほぼ一人で修煉する状態に入りました。師父と大法があれば、他に何が必要でしょう? 私は時間を有効に利用し、毎日の午前中に二講の説法を学び、2007年から今日まで、私は毎日三講の学法を継続してきました。『轉法輪』は既に数百回学びましたが、本当に手放せません。午後と夜は新経文を学びます。『オーストラリア学習者への説法』のビデオを、私は続けて35回見ました。去年のニューヨーク法会での説法を、私は毎日一回、既に50数回読みました。学法時に眠くなれば私は顔を洗ったり、立って法を読んだり、あるいは発正念し、絶対に睡魔に妥協しません。数年来、私は毎日15〜16回の発正念をし、毎日に5式の功法を欠かさず煉り、多方面において怠らないようにしてきました。
私は気性が悪く、他人に我慢しません。修煉後、頭には多くの法理が入って、常人の物が少なくなり、物事を自然と修煉者の立場から対応できるようになりました。
ある日の夜、主人は帰宅後、私にご飯を用意して欲しいと言いました。私は残りものでいいかと聞きました。「残りものは食べない」と彼は答えました。「今日はどうしたのだろう?」と私は思いました。「あ、これは師父が按排した心性の関だ」と私は気づきました。私は微笑みながら夕飯を用意しました。このような小さな心性の関にはすぐに気づくことができ、そして簡単に乗り越えることができます。
家族が言うには、学法してから私は変わりました。今まで利己的で、金を重んじていた私も、徐々に相手の立場に立って物事を考えるようになりました。一回、主人の不動産の資金が回らなくなったのを知り、私は自ら自分の30万元の貯金を出してあげました。主人はびっくりして、その後益々私の修煉を支持するようになり、公安警察の友達の所から数冊の大法の本を持ってきてくれました。
ある時、主人は海外旅行に行くと言い、私が彼のデスクを片付けたとき、引き出しにある二枚の航空券と二冊のパスポートを見つけした。同伴するのは若い女性でした。「主人は賢い人で、こんなうかつなことをしないでしょう。師父はまた私に試練を与えられたのでしょう」と思って、私は心を動ぜず、パスポートを元の場所に戻し、主人には何も言いませんでした。
その後、主人は私がこのことに気づいていると察し、申し訳なさそうに言いました。「あなたは本当に良い人です。どうして私に問い質さないの? どうして私と喧嘩しないの? 私と喧嘩してくれれば、私はまだ気持ちが楽になれます」。
私は自分が修煉者であることを常に覚え、常に自分を省み、主人には何も要求せず、時間が経つにつれて、私が変わり、主人も一緒に変わってきています。彼は外泊の習慣を直し、私には益々良くしてくれるようになりました。大法は私たち夫婦間のトラブルを解消して下さり、家庭の危機もなくなりました。大法を学び始めてから、彼とは既に9年間夫婦間の親交がありません。同修が言うには、私の正念の場が彼を制したということです。
私の食事も益々簡単になり、よくカップ麺で済ませます。主人と一緒に外出するとき、私は薄い化粧をし、シンプルでありながら上品な服を着て、見た目では30歳過ぎに見えると言われています。同修も言いました。「私はずっとあなたが30~40歳だと思っていました」。そうです。大法は性命双修の功法であるため、精進しつつあれば、必然的に益々若くなっていきます。
大法は私を変え、一つの家庭を救い、周辺の人々は私の身から大法の素晴らしさを目にしました。
三、正念を持って邪悪を取り除き、弛まない
家族は皆、大法の素晴らしさを見てきたので、大法のことであれば全員が支持してくれます。例えば、息子の嫁はよく夕方の六時に娘を迎えに来ます。私は彼女に、「この時間に、お母さんはちょうど用事があり、6時10分に終わりますので、その時間に来てくれる?」と伝えました。翌日から、嫁は6時10分に入室するようにしてくれました。時には、彼女は早く着いても部屋に入らず、車の中で持っていたと言ってくれました。その後、彼女は会社で少し残業をしてから、6時半頃に来るようにしています。
孫にも私は「お婆ちゃんはちょっと用事があるから、静かにしていてね」と伝えています。孫は「分かった。終わってから私と遊んでね」と言ってくれます。
数年来、私は毎日4回の発正念を逃さず、毎日16~17回の発正念をし、随時に邪悪を取り除き、自分の空間場の純潔さを保つようにしています。
四、大法はわが家の長年の恩讐を解消して下さった
私の母と四番目の叔母は、十年来の恩讐により往来を断ち切っていました。学法後、私は叔母との関係を回復するようお母さんを説得し、その後、お土産を買って彼女を訪ねました。最初、彼女は私を見向きもせず、私は謝りました。「叔母さん、以前の私は物事を知らない世間知らずで、大変失礼しました。どうかお許しください」。彼女は私の謝りを聞き、笑ってくれました。その後、私は彼女一家に真相を伝え、全員の三退をしてあげました。
姑も、私の母と家庭内の様々な事情で怨みを買い、数十年来付き合いがありませんでした。私は魚やお肉を買って彼女の家に行きました。私の行動によって、わが家の長年の恩讐が解消され、姑の息子と嫁も三退しました。
(続く)