資産家夫人:九年間修煉し、精進を怠らず(二)
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文/浄月(口述) 同修が整理

 【明慧日本2014年6月28日】(前の文へ

 五、真相をはっきりと伝え、より多くの人を救おう

 主人には沢山の友達がいて、商売人、公務員、政府や公安部門に勤める人もいます。彼らが麻雀や雑談をしに来るとき、あるいは食事会をするときに、私は知恵を働かせ、彼らの三退を手配してあげました。主人は退役した元軍人で、私の三退の話を聞かず、運転の際に人をぶつけてしまいました。その後、再び彼に三退を薦めるとき、彼は本名で三退をしました。

 主人の友達は一人残らず、我が家に来たら必ず三退します。ある日、長い間会えなかった一人の友達が麻雀をしに来ました。私は必ず彼に三退を薦めようと思いました。私のこの一念で、彼はわざわざ二階に上がってきて、私に千元を渡そうとしました。私は最初に彼に真相を伝え、彼は喜んで三退をしました。夜、私はその千元を主人に渡しながら言いました。「あなたのお金なら貰いますが、賭博のお金は貰いません」。夜、座禅の時、私は自分の体がグルグル回っているのを感じ、軽くて気持ちが良かったです。この素晴らしい感覚は10分ほど続きました。

 学法や、交流文章を通じて私は真相資料を配ることの重要性を認識していましたが、しかしどう配るかは分かりませんでした。ある日、私が大法を得るまで導いてくれた高齢の同修が、沢山の真相資料を抱え、マンションの上層階に向かって階段を上りながら、私に発正念をするよう言いました。「なるほどこんなに簡単なことですか」と私は思いました。それから毎週、私はその同修と一緒に真相資料を配りに行き、高層ビル群の中には30棟近くのマンションがあって、どれもが20階ほどあります。私たちは一軒一軒訪ね、毎回3~4棟ほど回ることができます。

 初めて真相資料を配った日の帰り、私の両脚は飛べるように軽く、本当に奇妙でした! 帰宅後、発正念をするとき、私は右顔の方から1束の白い光が天に向かって走っていたのを感じ、目の前に紫の花弁が漂い、自分の体が回っているのも感じました。これは多分、もっと多くの衆生を救うようにという師父からの励ましだと思いました。

 住民と雑談をするとき、私は偶然、数棟のマンションの暗証番号を知るようになり、資料配りはもっと便利になりました。私は資料を門の取っ手に挟んだり、門に貼ったり、郵便受けに入れたり、衆生を救う資料を彼らの門の前に持って行きました。毎回、私は資料をどの棟、どの番地まで配ったかを覚え、次に行ったら続けて配れるようにしています。資料を配る際、私は常に正法の口訣を暗誦し、同修と会話を交わさず、黙々と協力しました。マンションから離れる際、私は合掌し、資料を受け取った衆生が救われるよう願いを込めました。

 六、真相紙幣を持って衆生を救おう

 紙幣の流通は一番早く、私はずっと真相紙幣で衆生を救ってきました。最初の頃、私はわざわざ真相紙幣を消費し、果物を買いましたが、大量には買えません。売主に真相を伝えてから真相紙幣を交換したりします。「小銭は要りますか? このような真相紙幣(小銭)を使えば商売は益々繁盛しますよ」。私は一回当たり300~500元を交換します。再び市場に行くとき、前回の人は自ら真相紙幣を求めてきました。「お姉さん、あなたの言う通り真相紙幣を使ったら商売は本当にうまく行きますね。もっと交換してくれませんか?」「真相紙幣を使うのもあなたの福です。頑張って下さい」と私は言いました。

 以上は私の長年の修煉体験ですが、同修が言うには、私の修煉状態は他人と違って、大きな関を乗り越える経験がなく、淡々と学法の中で良くない物質が消えていきました。私は同修にこれを聞いたことがあります。「真相資料を配る際、なぜ私は恐れる心を感じたことがないのでしょうか?」 師父はおっしゃっていました。「頭の中に入れたものが多ければ多いほど、変化も早いのです」「修煉者としては、頭に詰め込まれたものがすべて大法であれば、この人は正に、真の修煉者です。ですから、法を学ぶことについては、はっきりとした認識を持たなければならないのです。本を多く読み、本を多く学ぶことは真に向上するための鍵なのです。さらに、はっきり言えば、大法さえ読んでいれば、あなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです。大法の無辺の内涵に、補助的な手段である煉功を加えれば、皆さんを円満成就させることが出来ます。」(『精進要旨』「法の中に溶け込む」) もちろん、法を正す時期の修煉において、私たちは衆生を救って、先史の誓いを果たし、円満成就しなければなりません。

 高齢の大法弟子として、私にも子孫がいますが、しかし私はそのような情の中に溺れてはいません。こんなに洪大で、こんなに良い法が、一銭もかからずに与えられ、惜しまなければなりません。命は弱いもので、世の中のことも千変万化です。大法を修煉したからと言って保険が付いたわけではなく、精進しなければ自分の命を弄んでいると同じではありませんか? 私が常に自分に言い聞かせていることですが、大法は私の人生の全てです。私は必ず精進しなければならず、生活の全ては修煉です。私は大法の中にいて、一家は私を中心に回り、皆が大法を中心に回っています。私が家でよくできていれば、皆が大法を尊敬し、師父を尊敬し、これこそは大法を実証しているのではありませんか?

 跪いて、師尊の慈悲なるご済度に感謝いたします! 身近な同修たちに感謝いたします! 合掌。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/13/293398.html)
 
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