【明慧日本2014年9月4日】(前の文へ)
人と神は一念の違い
長い間、あまり精進していないとは言え、私は三つのことをずっとやり続けて来ました。毎日、法を学び、正念を発し、機会を掴んで真相を伝え、また、修煉を堅持する事で、極めて危険な迫害を回避した事もありました。それは2008年の事でした。ある日、私は同修の家にコンピュータの修理に行きました。同修がドアを開けた途端、扉の中から4、5人の警官が飛び出し、その中の1人は手で私の肩をたたいて、私の上着を掴みました。その一瞬、私は「決して彼らに迫害されない。今晩必ず家に帰る」との一念が生じました。
私は公安支局に連行されました。そこで、私は連行された他の同修と一緒に発正念をしました(ただ、私は掌を立てませんでした)。それから、警官は順番に個別尋問を始めました。私の番になると、「あなたは法輪功を煉功しているか」と聞き、「私は絵を習いに来ました」と答えました。次に、私の両親の名前を聞かれて、私は父親の名前を言いました。彼らはデーターを調べましたが、見つからず、母の名前を調べました。私はこの町に住んでいますが、戸籍はこの町に置いていませんでした。しかし、警察のデーターバンクには母の資料がありました。一人の警官は「あった。この人だ」と言った時、もう一人の警官は「こいつの家はこの町にないぞ、きっと人違いだ」と言って、パソコンを消してしまいました。一方、私の戸籍がある町のネットワークが故障で、まったくアクセスできない状態でした。この時、警官は私に「あなたの両親は法輪功を煉功しているか」と聞き、私は「知りません」と答えたら、警官は「隣の人は、あなたの親は法輪功の煉功者だと言っている」と言いました。私は「同修は絶対に私を裏切る事をしない、警官は私を脅している」と思い、「彼が何を考えているか分かりません」と答えました。およそ夜中の2時になって、私は釈放されました。もしその時、私の正念が足りなければ、恐れる心、疑う心、怨恨の心などが出てしまえば、大変な結果になったでしょう。実は、私達が遭遇したすべての事は全て私達の心によるものです。
天象に応じて、人を救うことを急ぐ
今年の7月1日に、私の住む町で盛大なパレードが行われました。それには天国楽団も参加していました。楽団の隊列は威風堂々としており、その凄さは言葉で表現できないほどでした。私は興奮して、ずっと同修達の写真を撮り続け、パレードの両側について終点まで歩きました。その後、私はその日の写真をネット仲間に送信し、さらに法輪大法の文字がはっきり写った写真を彼らに送信しました。それを見たネット仲間は騒ぎ出して、私と喋り始めました。すでに真相を知った人は「感動した」、「お祝いします」と言い、「自由になれて、おめでとう」と言ってくれる人もいました。
その中で、最も印象深かったのは、私が最後に勤めた会社の会長さんでした。彼はその写真を見て、何も言わず親指の絵文字で「素晴らしい」と送ってくれました。また、以前真相を聞いていない人も、私のところに真相を聞きに来て、彼らにも大法の海外での盛況と中共の宣伝が虚言であることを伝えました。
今年、周永康が逮捕される前、百度(バイドゥ、アジア最大級の検索エンジン)はいくつかの文章を解禁した時、私はその解禁した文章をネットの友人に一斉に送信しました。周永康が逮捕された後、私は『大紀元時報』に掲載された周永康の逮捕情報と写真などをネットの友人に送信して、ネット仲間の中で大反響を呼びました(中国国内の同修にはこのやり方は危険なので勧めていません)。私はまたネットを利用して、三退を勧め、とても効果が良かったのです。彼らはすべて私の以前の友人で、私達は腹を割って話ができるからです。彼らは真相を知る前は、みんな困惑して、無力感を感じていましたが、真相を知って、脱党してから、声も元気になって、希望に満ちていました。
結び
私がこの文章を書いた目的は、自分のいくつかの心を暴き、同修との差を見つけ、大法の要求通りに最後の道をしっかりと歩みたいと思ったからです。この文章を書く過程は、心性を高める過程でもあり、また、文章を書くことによって、これからの道をどう歩むべきかをより明確に認識しました。師父が私を海外に来るように按排してくださったのは、決して安逸を求め、海外生活を享受させるためではなく、それは場所を変えて、私にもっと多くの衆生を救い、執着心を取り除き、早く向上してほしいからです。最後に、慈悲で偉大なる師父に感謝いたします。弟子はきっと三つのことをしっかり行い、師父について家に帰ります。
(完)