文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月18日】 (前の文へ)(次の文へ)
(二)自分の特長を発揮し、全体に協力する
師父は『大ニューヨーク地区法会での説法』の中で「つまり、大法弟子の大部分はこれらの天体にしたがって来たのであって、お互いに縁を結びましたが、一旦圓満成就して戻ったら、お互いに会おうと思っても、ほぼ不可能なことです。ですから、この縁を大事にすべきです。しかも、皆さんの縁はお互いに交叉しており、各生と各世に異なる縁を結びました。これは簡単にできることではありません。ですから、何かをする時に協力しあうべきです。それぞれの大法弟子のことは皆さんのことです。誰も些細な事でお互いの間に大きな溝が生じるようにしないでください。これはいけません。大事にすべきです。しかも、大法のことをする時に協力しあい、より良く協力し合うべきです」と説かれました。師父が説かれたことを、私自身、体験して深く感じました。
私は、安定した仕事に就いていたので、仕事の合間があればいつも文章を書くようにしていました。しかし、明慧ネットに投稿したいくつかの文章が発表されず、続けて書くことに心の障碍が生じました。この執着心の前で難しいと知りながら、進んで行うのではなく、難しいから退いてしまい、それから投稿しなくなりました。
するとある日、明慧ネットの記者と出会い、明慧ネットで大量の迫害事例が溜まっており、資料を整理してまとめる人材が足りないので、時間を作ってこの仕事に参加してほしいと言われました。最初は国内で明慧資料ネットからデータをダウンロードするには比較的に困難だと思い、封鎖を突破するソフトを利用して大量に明慧のデータをダウンロードするにも安全性の問題があると心配し、理由を探して逃げていました。しかし、この記者が積極的に説得するので、私はしぶしぶ同意しましたが、なかなか動きませんでした。しかし、約束したことが気になって仕方がありませんでした。約1カ月後、内心では相変わらず納得できていませんでしたが、やはり理性的に考え「無条件に協力する」という法理に従って記者にメールを送り、仕事をくださいと要求しました。
間もなく、南方のある省の迫害情報がまだまとまっていないから、その地域から着手してくださいと返事が来ました。
それで明慧ネットで、その省の状況とその省の各地に関する文章を調べてみることにしました。すると、多くの文章がただ述べられているだけで、系統的なデータのまとめと振り返りがないと分かりました。それから、1999年からその省に関するすべての迫害報道をダウンロードして、氏名、年齢、地区、迫害分類、迫害された時間などを入力してデータを作り、関連する報道も毎回記録しました。この機械的な作業には辛抱が必要です。急ぐこともできず、毎日時間を作って一つ一つの文章を一段落一段落記入し、とてもつまらない仕事でした。
その間、私と連絡を取っていた記者が連行され、不当に判決を言い渡されたことを明慧ネットで知り、それから別の記者と連絡を取ることになりました。この件を通して自分が明慧ネットに協力して資料を整理することは師父が按排してくださったことであり、緩めてはいけない使命であることを悟りました。約2カ月をかけて省の迫害データを整理して、それから更に約1カ月かけてその省の迫害に関する事例をまとめました。初めは完璧、数量を追求するため約20万字を書きました。明慧ネットに送ると間もなく返事が来て、4万字に要約してほしいと要求されました。この一件から自分の執着心が見つかり、明慧ネットの要求に通りに編集しました。それからデータに基づいて、その省の女子労働教養所による女性法輪功学習者への迫害の調査報告などの文書も書きました。
以上の経験から、明慧ネットには迫害されて亡くなった学習者のデータはあるが、数百万字の事例ばかりで、全体の状況を説明する系統的なまとめがないと気づきました。勇気を出して、更に極めて困難な仕事、つまり、すべての亡くなった学習者の事例を整理することを始めました。資料をダウンロードしてデータを整理する過程だけで、約7カ月以上の期間がかかりました。その間、会社では多くの人事移動が発生し、顧客も次から次へと不満を言い出して、私も多くの精力を使いましたが、最終的に私はすべて適切に処理しました。毎日の勤務の中で時間を絞り出してデータを整理し、家に帰って家族が寝てから続けて整理し、よく夜中の1時、2時まで仕事を続けました。
一日が終わると両手が固くなって痛く、右手の指はマウスを操作するので特にひどかったのです。それからすべての取引相手との付き合いを断りました。約7カ月以上かかって整理して、それから更に2カ月以上かかって文章にまとめて、約10カ月でやっと『中国共産党による法輪功学習者に対する拷問、殺害に関する調査報告』を完成させました。この作成は私にとって心性の向上に大きな助けになり、長い時間をかけて一つのことをやり遂げる決心とは何かも理解するようになりました。
最初の投稿に対して、編集者が意見を出したことに、私は完全に納得できず、抵抗する気持ちもありました。それでもやはり師父が要求された「無条件に協力する」という法理に従って、最終的に編集者の意見通りに改めました。『報告』ができて明慧編集者に送った夜、はっきりとした夢を見ました。明慧ネットの記者2人が撮影機材を持って私を取材しに来ました。正しく行ったと師父が褒めてくださったのだと分かりました。このことを通して、私は自分の長所を発揮して、無条件に他人に協力することがいかに重要なのかを深く認識できるようになりました。
それから、北方のある省で起きた弁護士が拘置された事件に気づき、当時の状況に合わせてその省の洗脳班が法輪功学習者を迫害する調査報告を書きました。その過程で洗脳班の汚職こそ洗脳班が引き続き存在できる一つ重要な原因であることを発見し、『洗脳班による汚職調査報告』を整理しました。
(続く)