――生死の関を乗り越えた体験
文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年12月1日】 (前の文へ)
同修は私を連れて着実に修める
私はただ無性に会いたくなり、車に乗り、苦しみに耐えながら努力して同修の家に行きました。同修は私の様子に動揺せず、私を受け入れてくれ、早く『轉法輪』を通読するよう促しました。思想業力が力を尽くして私が学法することを妨害しましたが、同修の前で、彼女の正のエネルギー場の中で、私は彼女の威厳ある一面に怯え、我慢して学法を続けるしかなかったのです。
私は1日目に『轉法輪』の第七講と第八講を読みました。非常に疲れましたが、読んだ内容がわかリませんでした。不思議なことは、せかせかしていた心がとても落ち着くようになったことです。『轉法輪』を読まないと、あれこれくだらないことを考えるようになり、せかせかした状態がまた戻ってきて、とても苦しかったのです。同修は学法するしか方法はないと言っていました。
同修の休憩時間は、毎日とても少なかったのです。毎日3時間しか睡眠を取らず、大量の時間私と一緒に『轉法輪』を通読しました。休憩の時は、少し時間を使って、私と法に基づいて交流しました。当時、私は同修の師父と大法に対する確固たる信念を目にしました。少しも躊躇することなく、その苦を舐める能力に私は非常に驚き、また敬服しました。例えば、毎日0時の発正念が終わって寝ると、朝3時45分に起きて2時間煉功すること、また座禅する時、全身が痛み出して震えても双盤を崩さなかったのです、この修煉はあまりにも苦しい、私はこの苦は舐められないと思いました。しかし、また考え直すと、私には他に選択の余地があリませんでした。病院に行く道は絶対に選べません。膨大な医療費は家族がまったく耐えられない金額で、しかも私の病気を治すこともできないのです。人が亡くなり、お金もなくなるので、病院に行っても結果的には死ぬことでした。ではどうすればよいのでしょうか? やはり修煉の道しかなく、当時同修が私に言ってくれた多くの言葉は「あなたはただ師父と大法を信じるしかありません。師父だけがあなたを救うことができます。あなたはただ前進するしかなく、後退すると底知れぬ深淵に落ちます」ということでした。本当に退くことができず、しかし前へ進むこともあまりにも苦しいことでしたが、私は前進するしかなく、それなら双盤の苦しみに耐えることから始めようと思いました。
そもそも1時間座禅をすることは私にとって容易いことではなく、我慢してやっとできていました。ある日、私が1時間座禅を終え、もうだめだと思っていたところ、同修は私を見ながら、「続けてください、足を降ろさないでください、堅持してください」と励ましてくださいました。時間は1秒1秒過ぎて行きました。やっとのことで10分続けた私は、心が乱れて我慢できなくなり足を降ろしました。同修は「よかった、明日もまたやりましょう」と言いました。
昼の間、同修はずっと私と一緒に大量に学法しました、しかも同修は私に対して非常に厳しく要求しました。人心と人間の情をもって、私に対応することはなく、私に少しも暇な時間を与えてくれませんでした。また「疲れたら、少し休んでください」とも言ってくれなかったのです。時間が少しでもあったら、私に早く学法するよう促し、その時、思想業力による邪魔は非常に強く、いつも学法したくない、あまりにも疲れた、ベッドで一眠りしたらどれほど心地良いかと思い、法を読む時も、思想業力はこのような考え方を私に投げました。しかし同修の前で、私は敢えて学法しないわけにはいかず、私は同修の威厳ある一面をとても恐れていました。同修は私の前でとても優しく、大きい声で私に話すこともなかったのですが、私は同修を恐れていました。私は内心の深いところでは、同修のやり方が正しいとわかっていたので、それなら続けて学法しようと思うようになりました。道理が分かっても、本当にそれを行動に移すことは試練でした。
一度、私は朝3時45分から煉功を始めました。6時の発正念が終わり、学法を始めました。途中で30分朝食をとり、11時まで学法を続けました。同修は用事があり、私に少し休んでから再び学ぶように言い残しました。同修が出かけると、私は素早くベッドに上がって寝ました。お昼12時まで寝ました。同修が小さな声で「早く起きて、発正念の時間だよ」と私を呼び覚ましました。声は大きくなかったのですが、私はそれを聞いてとても驚きました。私はこれから再び寝てはいけないと思いました。そんなことでどうやって師父について家に帰れるでしょうか?
大量に学法するにつれて、思想業力は絶えず除去され、心を静めて学法することができるようになり、師父の説かれた法理もわかるようになりました。しかし、法に基づいて法を認識するとは何か、法の中で修めるとは何かについては分かりませんでした。同修が如何に法に基づいて私と交流しても、私は理解できませんでした。私は「人間の観念とは何ですか?」と質問しました。同修は「これは食べられない、あれも食べられない、これこそ人間の観念ではないのですか」と言いました。私は自分の人心を少しずつ取り除き始めました。これはだめ、あれもだめというのをなくし、すべてできるようになりました。時には自分でも自分の心理状態がとても安定していると感じました。
母に対する情が湧いてくると、私は自宅に帰って病気の母に会いたくなりました。同修は「行ってもいいですよ。うちのドアはあなたに向けて開いているから、いつ来てもいいのです。しかし私が思うにはあなたはまだそれほど安定していないから、あなたが本当に安定したら、私はあなたを阻みません」と言ってくれました。しかし、私はこれを聞かず、やはり帰宅しました。しかし、家に着くと、2、3時間経たないうちに、心が落ち着かなくなり、本当に同修の正のエネルギー場を離れると、私はダメでした。こうして何回も繰り返す中、私は自分が母に対する情を放下していないことに気付き、その心を放下すべきで、人にはみな自分の運命があり、私が自宅にいてもいなくても、母の様子は変わらないので、真に放下できていないのはその執着心ではないでしょうか?
それ以降、私はめったに家に帰らず、安心して同修の自宅に泊まりました。着実に学法し、良くない念、例えば、私はこの魔難を乗り越えられるのか? 師父は私を構ってくださるだろうか、などが浮かんで来ましたが、大量の学法を通じて、これらは思想業力が仕出かしたことだと見分けることができ、それを排斥し、私がどれくらい長く生きられるかに関わらず、1日生きたら、その1日は師父の真に修める弟子になり、着実に修める1日になるようにしよう。いくら苦しくても、私は前進するしかなく、絶対後退しない、と思いました。
更にここで提言したいのは、同修の無私の言葉と行動でした。それに敬服し、それに励まされて私は前進できました。私が同修の家に着いた時、座禅しようとすると、お尻に筋肉がなく、そのまま座るととても痛かったのです。同修にそれを伝えると、同修は何も言わず、彼女のコットン入りの服に四角形に折ったベッドのシーツを載せてくれました。生活の上で私の面倒を見てくれ、そもそもあまり豊かな生活ではなかったのに、毎回私のためにいくつか新しい料理を作ってくれました。当時、私は人間の観念がとても多く、これは食べられない、あれは食べられないと言いましたが、同修は私に文句を言ったことがなく、私が法理上の認識ができてきたら、自分で自分の人心を取り除くようにさせてくれました。実を言うと、同修の厳しい要求がなかったら、私は本当に乗り越えられなかったはずです。
奇跡! 奇跡!
4日過ぎると、奇跡は絶えず私の身体に発生しました。長い間食事をしても味が分からなかったのですが、料理が美味しくなり、長い間、とても暑い日でもシャワーを浴びることができなかった私がシャワーが浴びることができるようになり、たまに扇風機の風に当たっても、寒いと感じませんでした。以前ならそれはありえないことでした。扇風機の風に当たらなくても、寒さで骨を刺すように痛みがありました。少しずつ、夜眠れるようになりました。半月経つと体にも筋肉がつき、35キロから50キロになりました。更に不思議なのは下腹部の腫瘍は再び痛むことがなくなりました。
1カ月経つと、扇風機はもちもん、エアコンも問題なく、半袖と短パン、素足で床を歩き、冷蔵庫の冷凍食品を取り出して食べられるようになりました。無病の感覚とは本当に幸せだと思いました。家族や私を知っていた同修はみな私の変化を目にして、あまりにも不思議だと言いました。
そうです! 同修の助けの下で、僅か1カ月間着実に修めると、なんと天地がひっくり返ったような変化が発生しました。1冊の『轉法輪』が私にこれほど大きな変化を遂げさせてくださいました。
師父は「学法を怠らざれば 変は其の中に在り 堅信して動かざれば 果は正なり蓮は成る」[1]と説かれました。意気地のない弟子を見放さず、死の瀬戸際から救ってくださった師父に感謝します。また魔難のなか、無私に私を助けてくださった同修に感謝します。精進して、着実に修めることだけが、師父の慈悲なる済度に背かないことです。
この心に刻まれる修煉過程を私は一生忘れません。私が精進する原動力になると思います。再度慈悲な師父に感謝します! 同修に感謝します!
不適切なところについては、慈悲なご叱正を願います。
(完)
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「精進正悟」
(明慧ネット第十一回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)