文/河北省の大法弟子
【明慧日本2015年1月24日】(次の文へ)
私は1994年に修煉を始めた古い学習者で、全体で協力して旧勢力の妨害を解体し、危篤となった同修の命を挽回したことを皆と分かち合いたいと思います。不適切なところがあれば皆様のご叱正を仰ぎます。
2011年9月のある日、私の親戚であって同修でもある小明さんは床に倒れて、倒れた時に身の回りの物品をもひっくり返したところを発見されました。しばらくして、小明さんの意識が回復して、どのように床に転んだかを少しも思い出せませんでした。
小明さんを私の家に置いて、近くの同修は交代で私の家に行き、一緒に学法と発正念をしよう、と現地の同修たちは相談で決めました。最初の数日、小明さんの体調は明らかに良くなったのですが、2週間が経った日に小明さんは断続的なけいれんをし始めて、汗をかいて全身がずぶ濡れになって、体力も弱まりました。同修たちは心配して交代で24時間、我が家に来て発正念をしました。小明さんは意識がはっきりした時に皆と一緒に大きい声で『洪吟』を暗唱して、彼に内に向けて探すようにと皆が言って、また、「彼だけでなく、皆も内に向けて探さないといけない」と注意する声もありました。
魔難の中の修煉者は、同修からの激励が必要
最初、皆は多く時間をかけて発正念して、同時に小明さんが内に向けて探せるようにたくさん助言しました。多くの同修は小明さんを囲んであれこれと助言して、小明さんが「それでも執着が見つからない」と言ったら、皆は質問をする形で助言を続けました。例えば、「あなたにはこのような執着がまだ残っていないだろうか」、「あなたのどの面にまだ漏れがあるか」、「どの面ではまだちゃんとやっていないか」、「いつどんな良くないことをしたのか」等など。探して探したあげく、皆の話を聞くと、自分にはちゃんと修めていないところが多すぎると小明さんも困惑しました。その時、小明さんの精神面も体調面もまだまだとても弱くて、皆がこれほど「無理強いで」彼に内に向けて探させたため、小明さんはますます正念を失いました。
発正念に来た同修が多いほど、小明さんの病状がひどくなる
そのようにもう3、4日経ったら小明さんの体調が急変して、家に来る同修ももっと多くなりました。小明さんの状況はもっと危うくなって、けいれんの間隔が短くなって、先ほどのけいれんが完全に収まっていないうちに、次のけいれんが始まるようになりました。
小明さんの家族は法輪大法に偏見を持っているため、このような情況を早く家族に知らせなければならない、と私は協調人・亮さんに相談したら、そばにいた某同修は私に「内に向けて探してください」と言ってきました。それを聞いて、私は自分の心がぐらついていることに気づいて、正念を固めて少しの動揺もしないようにと自分に言い聞かせました。私たち3人は相談して、今日はとりあえず小明さんに関心を持つ同修を全て我が家に呼んで交流して、徹夜で発正念をし、小明さんの家族に知らせることや病院に送るかどうかは明日になってから考えようと3人で決めました。
同修たちは次から次へと我が家に来ました。全員が揃う前に私は来た人を別の部屋に呼んで発正念をしてもらいたかったのですが、しかし皆が小明さんの様子を自分の目で確かめたがって、皆が自分の方法と認識で小明さんと交流したがって、けいれんしている小明さんを見て泣き出した女性もいて、場面はとても混乱していました。私は仕方がなく、全員に協力してもらうことを断念しました。
そして病院に勤める某同修も来て、小明さんの一部の臓器が衰弱し始めて、寿命はせいぜい明日までと言いました。小明さんのけいれんの間隔が更に短くなって、正常でいられる時間はほとんどありませんでした。病院に行くなら今晩行こう、明日まで待たないほうが良いと提言する同修もいて、私は救急車を呼びながら協調人・亮さんを待っていました。救急車が着いた時に亮さんも帰ってきて、私が決定した病院に送る判断に少しも不満を言わず、「どうして」なども私に聞きませんでした(今晩、同修たちを集めて徹夜に発正念する予定だったのですが)。人事不省になった小明さんは救急車に乗せられて、私と亮さん、他の数人の同修も一緒に乗りました。私の心はとても落ち着いて、泣きながら見送ってくれた同修に「小明さんはきっと大丈夫だ、数日後にきっと帰って来る」と言いました。
難に陥った修煉者は理解、励まし、寛容を必要としています。亮さんの態度は私に温もりと全体の力を感じさせて、大きいプレッシャーを抱える私の正念を強くしてくれました。そのおかげでそれ以降の難局に置かれても、私はしっかり正念を保つことができました。
病院に行ったら、小明さんはさらに重態に
病院に着いたら邪悪の迫害は予想通り、更にひどくなりました。病院に搬送される前、小明さんはまだ自力で便所に行くことができ、四肢の動きに何も問題がなかったのですが、病院で検査をした時、小明さんの左側の腕と足は麻痺して感覚が無くなりました。小明さんはしばらくの間目が覚めましたが、またけいれんして人事不省になりました。
小明さんの親戚である私は家族だと思われて、患者を病院に送ってきたのが遅すぎると病院側に不満をぶつけられたほか、診察料の支払いや書類にサインすることや、「危篤通知書」の受理なども私に向かって来ました。亮さんと何人かの同修はずっと私と小明さんのそばで守ってくれたおかげで、私はずっと正念をしっかり持っていました。病院側が何回も「危篤通知書」を持ってきた時、私に入院費を多く払わせようとする時(入院費をいったん払うと、使い切るまで普通は退院させてもらえない)、小明さんを重症観察室に入れようとした時、私はすべて断固として断りました。心の中ではずっと固く師父と大法を信じ、ずっと諦めておらず、小明さんはきっとこの難を乗り越えられると信じていました。仕方がなく、医者はまず脳CTをしようと言って、私たちはずっとCT室の外で「邪悪の迫害を制止して、小明さんが無事であるように」と発正念しました。結局、小明さんの脳に軽い血栓しか見つかっていないとCTの結果が示したため、医者も重症観察室に入れようとは二度と言いませんでした。
病床でやっと落ち着いた小明さんは、深い昏迷状態に入り、点滴を打って、体にいくつかの測定機器や管を繋いでいました。小明さんの心臓と呼吸は、いつ停止してもおかしくないと医者が言って、私に機器のパネルに表示される数字に注目してくださいと指示しました。あまりに緊張した雰囲気に耐えられなくなった同室の患者は、病棟の交換を申し出て、他の病室に移りました。私たちは2つのチームに分かれて、私と数人が病床のそばで発正念をしました。亮さんは私の家に帰って、そこの同修たちと徹夜で発正念をしました。
翌日、小明さんは目が覚めて、驚いた目で周囲を見て、「あなたたちは誰ですか? ここはどこですか? 私はどうしてここにいるのですか」と聞きました。私は小明さんに師父の説法の録音を聞かせましたが、小明さんは聞いても何の反応もしませんでした。私は小明さんの耳元で「小明さん、自分が大法弟子であることを覚えていますか」と言うと、小明さんは一生懸命思い出そうとして、「それは遠いかなたのことです」と答えました。左側の体全体は感覚がなく動くことができず、見たところではとても可哀想でした。まだ危険な時期を乗り越えておらず、病因もまだ見つかっていませんでした。けいれんも突然に発生する可能性があると医者は言っていました。
師父からの啓示:皆の観念が迫害をいっそう強くした
翌日、私は病院から家に帰った後、心の中はとても辛くて、師父に「師父よ、これだけ多くの同修が発正念してくれたのに、どうして小明さんの体調は逆にますます悪化したのですか。どうして私たちの正念は邪悪を制することができなかったのですか」と訴えました。突然、私の天目に巨大な灰色の山が見えました。山の頂上と両側の端が見えないほど大きい山でした。山に金色の二文字――「観念」が現れて、金色の光を私の胸先まで放ちました。その一瞬、私自身が小明さんに対して持っている3つの観念に気づきました。つまり、私は小明さんを「全体にあまり協力しない、能力があるのに三つのことをしっかり行わない、気性が激しい」と思っています。亮さんが私から聞いた後「ああ、なるほど」と分かったようです。
修煉者は魔難に陥った時、それに関係するのは彼自身の修煉、旧勢力の迫害だけでなく、周囲のすべての修煉者の観念も大いに関係しています。表面上では、私たちは小明さんの快復を願って一生懸命発正念して迫害を否定していますが、しかし内心では小明さんに対する不満と各種の良くない観念が依然として存在しています。小明さんに対する不満、文句とわだかまりは他の空間では巨大な灰色の山を成して私たちと小明さんを隔て、邪悪に隙間を与えてしまいました。邪悪はその隙間に乗じて小明さんに対して妨害を実施できたのです。同時に、持っている良くない観念は私たちが発した正念の力も抑えました。同修が難に遭った時、周囲の私たちは無条件に同修を助けなければならず、それは大法弟子として尽くすべき責任です。肝心なのは彼の不足に執着せず、彼の過ちにもこだわらず、心を広く持ち、いかなる環境においてもプラス思考を持つことです。
(続く)