文/河北省の大法弟子
【明慧日本2015年1月25日】(前の文へ)
皆が内に向けて自分を探すと、小明さんは1時間で快復
翌日の夜、私と亮さんは小明さんの件に重要な役割を果たした5、6人の同修を集めて交流を行いました。亮さんは、「確かに自分は小明さんに対して同じように三つの観念を持っていましたが、今はすでに放下しました。皆も内に向けて探しましょう」とまず発言しました。私は、小明さんとは親戚で同修でもあり、ふだん、自分の家族よりも小明さんに優しくしていますが、心の中では彼の欠点に対して、やはり少し不満があります。不満と言えば亮さんと同じくその三つですが、迫害を受けていた小明さんもいろいろ苦を嘗めてきたと思うので、ふだん何も彼に言ったことがありません。話しているうちに私は突然とても楽になったと感じて、心の中の重圧が取り除かれたと感じました。思わず私は皆さんに「今回本当に自分の執着が見つかったようです」と言うと、皆もそれぞれ小明さんに対して良くない観念とマイナス面の考えがないかを探しました。そして、共に向上するために、他の同修に会ったら今日の交流の内容を伝えよう、病院にいる同修たちには私が伝える、と約束しました。
3日目の朝、私は病院に行って、まず小明さんの耳にイヤホンを入れて師父の説法の録音を聞かせました。小明さんは「音がとても小さくて聞こえない」と言うので、私がイヤホンを聞いたら、すでに最大の音量になっていました。またイヤホンを彼の耳に入れました。そして、今日来た3人の女性同修を外に呼んで、昨夜の交流内容を伝えました。中の2人は同感して、小明さんに対する印象は「気性が激しい、とても有能だが、全体に協力しない」と言い、3人目は今まで小明さんを知らなかったが、発正念のために来たと言いました。内に向けて自分を探すべきで、小明さんに対して良くない見方を持ってはいけないと皆は共通認識に達しました。7、8分間後、皆で病棟に戻ると、小明さんは突然「説法の録音が聞こえるようになった」と言いました。私は昨夜ずっと病院で発正念していた男性同修を呼び出して、簡単な交流をして病棟に戻ると、小明さんは「はっきりあなたたちの姿が見えるようになった」と言いました。皆は喜んで、小明さんの手足もきっと動けるようになったと思い、「足を上げてみて」と言うと、小明さんは無表情で「私は半身不随になったので、私はもう駄目だ。もうほっといてくれ」と呟きました。私は布団をめくって、まず足の指を動かしてみてと言うと、小明さんの足の指は本当に動きました。私はまた「足を上げて」と励ますと、小明さんは高く足を持ち上げましたが、力がなく「私の腕はなくなった」と言いました。しかし、小明さんは知らず知らずのうちに左腕を上げて髪の毛を触っていたではありませんか。私は彼の左腕を掴んで、「こんなに高く持ち上げたので、あなたの腕には何の問題もないでしょう」と言うと、みんなが笑いました。昼食に小明さんはたくさん麺を食べて、午後はベッドを降りて1人でトイレに行けるようになりました。同修たちは小明さんの急な快復ぶりをきっかけに、他の入院患者や医者に法輪功の真相を伝えると、みんなも大法の超常さに感服しました。4日目の朝、小明さんは退院して自宅に帰りました。
前後でせいぜい1時間の間に、小明さんは耳が聞こえるようになり、目が見えるようになり、半身不随の症状も消えました。私は心の底から法輪大法が持つ不思議で奥深い力に感服しました。実は、小明さんが入院した翌日の夜に我が家で行われた交流、および3日目の朝に私が病院で4人の同修と交わした交流以外、我々は小明さんを助けることは何もしていませんでした。ただその交流を通じて、皆が内心から自分を探して自分を正し、観念を変えて小明さんに対する良くない見方を取り除いただけでした。ほかは何もしていません。
感じたこと
大法弟子が逮捕されること、重い病業、経済面のトラブルなどなどは、いずれも邪悪による迫害で、ただ形式が異なるだけです。魔難の渦中にある当事者は、必ず師父と大法を信じて心性を高めることによって乗り越える努力をして、他の同修に依存してはいけません。当事者自身の正念が強ければ、自力で、もしくは周囲の同修が少し助ければすぐに難を乗り越えられますが、しかし、同修を助けることを一つのプロジェクトとして大人数が参加する時、当事者の状態があまり良くないのは、往々にして周囲の同修の良くない観念とマイナスの見方と密接に関連があります。
魔難に陥った修煉者自身が向上しない限り周囲の同修はどのように助けても効果がない、と私は以前そう思っていました。小明さんの件を通じて、関連する同修たちが、もしすべての原因を自分に探して正し、相手のことを自分のことのように力を尽くせば、魔難に陥った彼はきっと快復して向上でき、魔難も奇跡のように解消する、と私は悟りました。それから協調人をする中で、私は大法の仕事に没頭するだけの現状を変えて、一人一人が着実に心性を修めて向上することを重視するようにしました。交流する時も魔難に遭った同修の不足を指摘してあげるだけでなく、皆が自分を全体の一員として自分の不足を探すようになりました。そのようにすると、いつも「半分の労力で倍の成果をあげる」ようになり、時には奇跡も起きました。
もう一つ感じたことといえば、修煉の中で観念を変えることを重視しなければならないことです。周囲の同修たちはふだん小明さんに対してたいへん優しくて暖かく見守っていて、多少マイナスの見方を持ってはいますが、対立や心の隔たりまでは全然ないのに、その些細な「マイナスの見方」が他の空間であれほど巨大な山を成して小明さんの命まで脅かしていたのです。みんながあれほど一生懸命発正念しても解体できず、実に恐ろしいことです! 修煉者が持つ良くない見方、観念は自分自身を妨害するだけでなく、相手までも害する時があります。実は師父は『導航・二〇〇一年カナダ法会での説法』で、「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します」と発正念の要領を教えてくださいました。自分が持っている良くない観念を必ず取り除くことを重視しなければなりません。
(完)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/9/23/3391.html)