文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月14日】私は師父の『洪吟』「道中」「静にして思わざれば 玄妙をみるべし」について、最初読んだときに、理解できませんでした。何も考えずに、どうやって法理を悟りますか? 学法すれば、考えないといけませんし、考えてから、悟れます。師父は「悟りによって圓満成就します」[1]と説かれました。私の理解は限界になりました。
その後、私は絶えず学法をしました。ある日、突然、この法理について、私は分かるようになりました。実は、思想がないということは、自分の後天の観念、執着、欲望、感情、そして、記憶などを述べています。これらのものに左右されない時、このような状態の中で、知恵とひらめきが現れて来ました。そして、限られた次元で宇宙の真相と生命の不思議さを洞察することが出来ます。
私は、どうして学法する時に、真面目でないといけないのか、その理由が分かりました。何の雑念もなく、文字が表わす内容に入り込んでいくと、表面の内容はあなたの意識を帯び始め、法に則って集中していきます。あなたがある部分の法理を分かるべき時機が来たら、自然にわかるようになります。
私が法を学ぶ時、心を静めれば、大法の内包はよく現れてきました。頭の中で、突然、何かが分かるようになり、自分の心の中に、一つ一つの窓を開けたようになったように、明らかになりました。私は悟りました。私たちは学法、煉功、仕事、暮らしの中、すべてのことを大法に従って認識し、行っていけば、不思議なことが現れてくるはずです。逆に人心で、人間の理で考えていけば、対処していけば、結果は言うまでもなく、人間の次元の現れになります。
真相を伝える中、人を救い済度する中、自己を放下すれば、情に対しての執着を考えなければ、相手のことだけを思えば、真相がスムーズに話すことが出来ます。自分がこんなにうまく真相を伝えられるなんて、自分さえわからないのです、しかも、いつも使わない言葉、思い出せない言葉ばかりです。相手は大法の真相を聞くと、すぐ「三退」します。しかし、かえって自己保護の意識が強いとき、いくら話しても相手は受け入れません、効果を感じませんでした。
そもそも、人間の思想から抜け出すことは、人間の生々世々の観念、執着、妄念から抜け出すことを意味します。すると、世俗を超越し、人間の域から抜け出ることになります。
現段階での個人的な認識です、ただ参考のために供するだけです。適当でないところがあれば、ご指摘ください。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「何のために見えないのか」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/9/28/3474.html)