文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2015年1月3日】(次の文へ)
尊敬する師父こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!
数回前の法会で、身近にいる同修が繰り返し体験交流法会に私を参加させようとしてくれましたが、自分は法会に参加する事の重大な意義に気が付いていませんでした。自分が本当の気持ちで書きたいと思った時、考えが段々とはっきりしてきて、文章を書く事も修煉だと感じたので、次に私の修煉で感じた事を師父にご報告し、同修と交流いたします。
一、大法に対する感性的な認識から理性的な向上に至る
1995年は私の人生で最も低迷していた時期でした。というのも幼少の頃に足に障害を受けたのが原因で、当時2回の大きな手術を受けましたが一向に好転しなかったのです。歩くのが非常に困難で足を引きずり、時には数歩歩くだけで痛みがひどく、止まって少し休んでから歩き出さなければなりませんでした。この頃、私は大法に出会い、師父が私の体を浄化してくださいました。今では階段の昇り降りだろうが長距離だろうが、私は疲れを感じたことはありません。周囲の人は私が大法を学んだ後にどのように変わったかを知っているので、大法の素晴らしさに敬服しない人はいません。
1999年7.20、中国共産党は大法に対する、猛吹雪が天地を覆い隠すようかのような迫害を始めました。私の学法はただうわべだけを理解しただけで、大法の奥深い内容を理解していませんでした。基礎もしっかりしておらず、恐怖心から修煉を諦めてしまったので、浄化されていた体は下降し始めました。ですが師父は私を見捨てられませんでした。色々な情報と『明慧週間』を見て、この空前絶後の迫害の本質を理解すると、また正念が生まれ、改めて大法の修煉に復帰しました。
2006年、私は家から地元の国保大隊の警官に連れて行かれ、留置場に半月間拘束されました。1年余り不当に労働教養を受け、労働教養所の中に拘束された2日後、同修である夫に救助されて帰りました。この迫害で大変な目に遭い、私は自分の修煉状態を詳しく見直した結果、深刻な事実を知りました。修煉は今まで自分が思っていたようなものではなく、非常に厳粛なことです! 師が法を正すことを手伝うことは、絶対に軽々しく言えることではありません。私は心を静め、師父の説法を系統的に学習した結果、じっくり修煉する事がどんなものであるかが明確になりました。自分を本当の修煉者として、大法の基準で自分に要求し、生活の中で自分の一思一念をいつも修めなければならず、絶対に常人と混同してはいけません。
二、学法グループが成立し 全体の向上に達した
法を学ぶことに伴い、修煉の目標も明確になりました。そのためこの地区全体の修煉状態が良くなく、欠けている部分があり、同修たちが集団学法のグループを結成していない原因は、全体の恐怖心が重大で、協調人の圧力が過剰だからだと認識しました。同修たちは様々な時期に嫌がらせを受け、財産を没収され、不当に連行され続けた結果、びくびくしている状態にあると見えてきました。協調人が高圧的なのは、同修たちの目が本当に協調人を見つめていたからでした。
「私は何をしたらいいのか?」と、私は思いました。師父が説かれたようにやっていこう。「神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。」[1]。そこで私は自分の家に学法グループを設立しました。
始めたばかりの時、夫と子供はあまり支持してくれなかったので、私は夫と子供を思いやる能力を必要とされました。というのも、その時はこの地区で真相を伝える同修が少なかったため、修煉環境が作られておらず、迫害の形勢はまだ重かったからです。始まった時は学法グループに参加しに来る同修は、それぞれ状態を異にしており、ある同修は廊下で歩きながら大声でしゃべり、ある同修は大きい声を出しながらドアを叩くので、隣はドアを開けていたし、どれだけの人が家へ来たのかが外から丸見えで、さらに、隣人が用があって家に来てドアを叩いたことがあり、その時、同修はろくに見ずにドアを開けました……。これらの問題が出始めると、私の心はああでもないこうでもないとなりましたが、私は愚痴を言わずに、安全の問題について同修と繰り返し交流し、「他の人のために考えるのも修煉だ」と同修にヒントを与えました。私は個人修煉を非常に重視しており、どんな事も努力して師父が要求されたように行うため、交流過程で自分を修める事を重視し、言い方に注意し、できるだけ善念に道理が加わるよう行いました。
隣人がかつて、私の安全のために私のところへ話に来た時、私は隣人に冗談を言いました。「自分の人受けがよいので、彼らは私の家に遊びに来るのが好きなのです。私はあなたたちに対しても同じでしょう? だから、心配しなくてもいいです。大丈夫です。普段麻雀をやったり、お酒を飲んだり、親戚や友人が来ると人が集まるのではないですか? 暖かい言葉をいただき、ありがとうございます」。同時に辛抱強く隣の人に真相を伝え、大法弟子はみな良い人たちであることを教え、大法弟子を大切にすれば福報を得ること、大法弟子を迫害すると悪い報いがある事例について、さらに少し話しました。
周囲の環境をうまく切り開けたので、私が大法を学んでいることは団地では誰もがよく知っており、私の家に来る人が皆大法弟子であることを隣近所は知っていたので、時間が経つにつれ、隣近所も自然に感じるようになりました。私の気持ちの中には、迫害という概念がなく、どの行いが良くなかった時は法の中で正道に立ち戻らせ、「行いが良くないと迫害を招きよせるでしょう」という、このようなマイナス思考をしませんでした。
集団学法での交流を通して、同修たちはグループ学法の形式に少しずつ流され、学法の後に交流しなかったので、向上を得られませんでした。それから私の家で毎週一度の大きな学法を始め、学法後に問題を抱えていれば交流しました。同修の多数の問題は大きな学法グループで解消し、心性は向上を得ました。たくさんの同修がうわさを聞きつけて来て、ある時は人数が30人に達してしまったので、グループを分割するよう提案しました。
始めた時、ものすごく難しかったところがあり、それは一部の同修の助力がなかったからです。「修煉で考えを統一する事は不可能で、内に向けて探し、自分を修煉して、同修と間を置かないようにするだけだ」ということがわかりました。「広範囲での協調はできない」ということを私は知ったので、間もなく狭い範囲で協調すると、しばらく経って同修たちも溶け込んで入ってきました。
その後、私は田舎の同修と意思の疎通を図り、毎月一度、集中して一緒に学法することを田舎の同修たちに提案すると、田舎の同修たちは喜んで、「行きたい」と言いました。それから我が家ではもう一つ、田舎の大きい学法グループが成立しました。
三、協調、円融、協力、他人のために
その実、その時は脳裏に「協調」という二文字はなく、「これなら全体で向上するのに有利なので最善を尽くすべきだろう」と考えていました。そして私はその中から師父が説かれた「修煉は路同じからず 都(すべて)大法の中に在り 万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」[2]を体験しました。
私の家は団地で店をやっており、酒が主流なので、店頭は小さく、数平方メートル位です。同修たちは随時、家に来ましたが、真相資料を送る同修は私の家に送るのが便利だと感じ、真相資料を使う同修も家に来て資料を持っていくのが便利だと感じていたからです。同修がすぐに資料を入手できるよう、効率化するため、知らないうちに私は同修のために資料を手渡す責任を負っていました。地元の同修も、田舎の同修も、真相資料がない時、私の家へ来れば、何が必要であっても、基本的に同修たちの需要を満足させることができました。
3、4人の同修が来ると、小さな店は込み合ってしまうので、お客さんが物を買うのにはドアのそばで物を手渡すというやり方に頼らなければなりませんでした。主人や子供が帰ってきて部屋の中に入りたい時、「家に場所がないから仕方なく身をよじって階段を上るしかない」と、私に言いました。こんな時、同修は私を見て「すみません」といった感じでした。ですが、「同修が向上し、全体で人を救う効果に達するなら、私は喜び安堵する」。これが私の気持ちでした。
数年来、同修にとって、私が法を実証する事で力を合わせるか、協調を取る事が必要でした。私は少しもためらわず、息がぴったりとできたので、同修は私に協力したがり、心性上の問題だろうが、法を実証する中での何かの考えだろうが、同修たちは私との交流を望みました。ある同修は7.20以前の学習者との交流を、私の家でしてきました。少しずつ、私は「気をもむ」事がだんだん多くなりました。新たに戻ってきた学習者は、その学習者の心性に沿ってその学習者が多く学法するよう導くために、その学習者と交流しなければなりませんでした。また、グループ学法に参加したがらない人がおり、そこには恐怖心が見て取れました。また、ある人は大法書籍を買いたくなく、それは家に置いておきたくなかったためです。そういった同修たちのため、先に本を読んでもらい、読み終わったら本を回収しました。同修が読みたいのであれば1冊ずつ提供しました。少しずつ私は週刊誌や真相パンフレットを提供するようになり、1冊だけ渡し、「見終わったら私は回収しますよ」と、同修たちに話しました。このようにすると同修たちに圧力がなくなったので、読もうとするようになりました。時間が経つにつれ、法を勉強する人が多くなると、私は同修に真相を伝えるように導き、「次は、その1冊の真相パンフレットを読み終わったら、あなたが誰かの家に置いていいです。パンフレットや真相資料は世間の人に読ませるものだからです」と、同修たちに話しました。同修は喜んで受け入れた様子で、「そうします」と、言いました。時間は志ある人に背かないので、新たに戻ってきた学習者も、今では街へ行き同修と一緒に直接真相を伝えられるようになりました。
「同修が私を訪ねなかったら誰を訪ねたでしょう?」と、考える事もあります。同修が出て来て人を救うことができるということはとても尊い事です! 同修が困難に遭った時に私を見つけようとするのは、私が信任を得ており、私を身内のように当てにしているからです。だから私は分担でき、また師父は、私ならいいと思っていらっしゃるので、全体が向上することができるのであれば、師父が望まれていることを私は行い、師父が要求された、「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[3]を私は修煉して成し遂げます。
(続く)
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻む無し」
[3] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/16/146890.html)