文/黒竜江省の大法弟子
四、旧勢力を否定し 内に向けて探し 恐怖心を取り除く
協調の中ではたくさんの波乱もありました。家に頻繁に同修が来て、いろいろな同修もおり、いつもある同修が「この同修に接触してはいけない。この同修に接触することは安全ではないから」と、私に耳打ちしました。ある学習者は本当に愚かで、日常生活で使う電話を用いて公安局や検察院、裁判所に真相を伝える時「あなたは何をしている人ですか? 家はどこですか?」と相手に聞かれると、その学習者は実際に相手に知らせてしまいました。その上、その学習者は毎回、真相資料が必要な時に、「悠然」と少しも隠し立てもせずに、その携帯電話を使ってよく私に連絡してきました。「そういう事ならあなたは彼に連絡しないように」と、周りにいる同修はそう言って私に教えてくれました。しかし「私が彼と連絡しなかったら、それなら誰が彼と連絡ができるのでしょう! もしそうするのなら、彼を放っておくのですか?」と、私は話しました。
その同修は街で真相を伝えている時に邪魔され、追跡され逮捕されそうになった途端、直接私の家へ駆けつけてきたりしました。また農村で資料配布中に妨害された時も私に電話をかけてきたり、留置場に拘束されている同修に「お金が必要だ」と言ったり、それ以外にも、留置場の警官に直接私あてに電話させたりしました。
実際、私も感情を抑えなければなりませんでしたが、感情の調整はすることができたので、「その学習者がどんな状態であっても私とは関係なく、私のしている事が法に則しているのであれば師父は私を見ていて下さる」と、私は思っていました。私は同修に接する事に対して他の同修と区別する気持ちはありません。それには獄中から来た直後の同修も含まれており、同修が法を抜け出してしまい苦しい環境にいれば、当然手伝います。私に理由はありません。また師父の弟子をきっぱり断る資格も私にはないからです。
同修たちは心配し、議論していました。ある同修は、私が労働矯正となった夢を見たと言い、その上、それが同修の中で伝わっていました。しばらくして、「何かを1つするごとに同修からの邪魔や妨害がある」ことに気が付きました。学法を続ける事を通して、「それは旧勢力が私たちの取り除いていない人心を利用しようと図り、私の正念が動揺することによって、私と同修の間にわだかまりを製造しようとしたのだ」ということを、私は知りました。旧勢力の手法を見破ると、それからは、似たような事に出くわしたときは、私は心が動じないよう自分に要求し、「同修は私の安全の事を先に考えているのだから、私は同修にお礼を言わなければならないに違いない」と思いました。「師父、安心してください。弟子は絶対に同修と間隔をあけさせるような作用を起こさせません」と、私は心で師父に対して申し上げました。
けれども当時、圧力はやはり大きかったのです。私は黙ったままでこの圧力を受け止めました。また一方で私が内に向けて探す事で気づいた事は「自身にはまだ恐怖心があり、迫害される事に対して恐怖心がある」という事でした。「師父! 私と警察は救い済度し、救い済度されるという関係ですが、現段階の私の心性基準では警察を救い済度するところまで届きません。しかし、警察官に業因を招かせる事は許されるものではないですし、修煉がよくできていようができていまいが師父が見ていらっしゃいますので、旧勢力は問題ではありません。その心が動かなければ、その念が動かなければ、旧勢力は妨害できません」と、心で師父に説明しました。
一度、同修が私に電話をかけてきて、その同修たちの班の同修が家で学法している時に公安局に連行され、その中にいた80歳の年配の同修が心臓発作を起こし、今まさに国保大隊の事務所の床で寝ている、と言いました。言外の意では「私を行かせる」ということです。この突然の電話を受けて、私は「どうすればいいのか?」と思いました。私は部屋の中を行ったり来たりして、「あなたは何を恐れているの?」と、何度も自問してみました。命は師父が与えてくださったものです。正法が必要とし、師父が必要とし、同修が求め、同修が連行されたのだから、家で待っていても私の心はやはり苦痛だ! やっぱり行こうと、思いました。公安局に着くと、警官もとまどっていました。それを見た私は警官の立場に立って、助け舟を出すような口調で「急いで彼女の息子を探して彼女を運ぶのです! こんな高齢者を誰が触ろうとするんですか!」と、言いました。私たちは互いに正念で協力した結果、同修は師父の正念の保護の下で安全に家へ帰りました。
連行された同修はほぼ、以前は直接連絡していました。でも同修たちが私に迷惑をかけるなどという事は、私の考えの中で振り返ったこともありませんでしたが、自分が他人のために正念を正しく持ち、師父が必要とされていることを行いさえすれば良いだけで、それが最も安全なのです。同修の愚かな行為に直面しても、私に恨みはありませんでした。
まだ1つあり、「ここに洗脳班が置かれる」と同修が伝えてきて、「私の家の入口に監視が付いている」と言い、さらに「私を捕まえに来る」と言ったのですが、その知らせは同修が公安局から聞いたものでした。常人もこの知らせを夫の耳へ伝えたので、私はすぐに夫と交流し、内に向けて探し、夫に恐怖心を取り除く事に協力してもらった結果、「恐怖心があれば修煉して取り除かなければならず、それを避けて覆い隠しているわけにはいかないので、修煉は思いきって堂々とし、師父と法を信じなければならない」と思いました。これらの迫害を私は認めることはできません。なぜなら私たちには師父がいらっしゃるからです。交流を通して、夫も正念を発したので、私はこの外部の形勢に影響される事はありませんでした。
(続く)
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/16/146890.html)