明慧法会|人心を放下し 苦境で希望を見る(一)
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2014年12月10日】 次の文へ

尊敬する師父こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!

 私は1995年3月に大法を修煉し始め、1999年「7.20」以前、私は個人修煉の中では、まだわりに精進していた方なのです。「7.20」から、修煉に励んでも残酷な迫害を前に、恐怖心や自己を守ろうとする心が大きくなり、法を実証する事を行いましたが、ただ資料を配ったり、「三退」を説得したりもしましたが、家族や親戚友人、周りにいて深く知り合っている同僚の中だけでした。師父の教えと比しても、大違いで、精進している同修と比しても差が激しかったのです。

 去年定年退職してから、師父の「7.20」以後のすべての説法と経文を私は体系的に勉強し、法を正す時期の大法弟子の責務は師父が要求された三つのことを行い、うまくいかせること、特に人を救うことが必要であることが分かりました。自分はまったく自分を打ち破っておらず、師父の法を正す進展に追いついていない事に気づいたのですが、それでどうして「師が法を正す事を手伝う」などと語れるのでしょうか? 旧宇宙の生命はわがままですが、大法弟子は他人の生命の事を考えているので、衆生を救い済度することは大法弟子の神聖な責任であり使命なのです。最新経文をたくさん学法すればするほど、私は家で座っていられなくなり、「歴史上の神の誓約は実現されつつあり」[1]という一念がいつも心の中にあるので、私は出かけて行き、真相を伝えて人を救わなくてはならないのです。

 以下、「私がいかにして自己を突破し、外に出てきて直接真相を伝えるようになったのか」について話します。私は修煉がよくできておらず、人を救うのも時々でした。その頃の修煉向上の過程をただ話すだけですので、みなさんの修煉のご参考になれればと思います。

 歩き出すのがハードなほど 人心が重大だった

 私は幼いころから臆病な事なかれ主義で、性格が内向的で、見知らぬ人と話をしようと思ったことがなく、知り合いを前にしても話が少なく、言葉を出すのが苦手で、まさに口下手でした。職場に出勤した時も、たとえよく書けた原稿を持っていたとしても、大勢の面前で読むと緊張してしまい、なめらかに話せなくなってしまうのです。時には会議を開いて問題を討論することがあったのですが、私は二言三言あいさつするのが精いっぱいでした。共産党が管理しコントロールする厳しい業務を私がしていた時、共産党は思想上、行動上で共産党との強い一致を係の人間に要求してきました。数年来このような環境で、頭脳の中にも邪党文化の物をずっと注ぎ込まれたので、恐怖心が大きくなりました。

 特に北京でのこの種の環境下では、私服警官やスパイが至る所にみられました。大法が迫害に遭った後、真相を伝えている時に私服警官に会ってしまうことがとても恐ろしく、たとえ相手が常人でも、その常人が真相を聞き入れないばかりか私を誣告することが恐ろしかったので、各種の人心がよく噴き出ていました。初めは、家から歩き出すことさえもいつも苦難で、「先に家で学法しよう」といつも思ってしまうので、調整してから自分は真相を伝えに外出していました。たまには人に真相を伝えようと決心しても、口を開かぬうちに緊張し始めてしまい、どう説明したらよいか分からなくなるので、真相を伝えるとぎこちなくなり、まるで台詞を読んでいるかのようになってしまうのです。私が話しても、「申し訳ない、あなたが何を言っているのかわからない」と言って、人は去ってしまいます。たとえ人が私の言っている意味がわかったとしても三退せず、「ありがとうございます、私は特に問題ありませんので、自分自身で自分を管理するからそれでいいです」という、冷たい一言を言い捨てていきます。

 「師父すみません、弟子は使命をやり遂げられなかったのに、師父の慈悲深い安排をいただけるなんて」と、帰宅した後に私は師父に言いました。晩に寝る時も昼の事で考え事をしていると、心は苦痛で、「自分は頭が悪すぎる」という感覚を覚えてしまうので、「あの時はこう言うべきだった、ああ言うべきだった」と、自分を恨んでも真相を伝える場ではどうしてもどう言ったらいいのかを思い出せないのです。

 去年の冬のある日は、とても寒かったのです。私は公園へ行き、長いこと歩いていると、やっと60歳くらいの女性に会いました。私は環境汚染の事から話をし、中共の腐敗の事を言うと、その女性が認めてくれたので、私は歓喜心が生まれ、その女性は真相を受け入れるはずだという気がしてきました。続いて貴州の「蔵字石」の事を話すと、「何が滅びていくのか、あなたこそ何日も生きられないと私は思う」と、その女性が突然激しく罵り出すとは思いもよりませんでした。とても大きな声で、聞き苦しいことばで罵られました。2人の保安員がやってきたので、私が急いで発正念すると、保安員は私たち両人の間の事はなんてことはないと見てとり、立ち去って行きました。「あなたが私の話を聞かないならもういいです、一体なぜあんなに怒るんですか?」と、私は言いました。

 帰ったら、ものすごく違和感を覚え、精神的に苦しくなったのですが、それは私も社会の中でそれなりの身分と地位のある人間で、ふだんは人々に尊敬されているので、人と言い争ったことがないのに、人を救うためとは言え人からあんなに激しく罵られ、それだけでなく言葉もあんなに酷かったからです。人を救うことはどうしてこんなに難しいのでしょうか? 自尊心がとても大きく害されたと感じたので、自己を守ろうとする考えが起こり、本当にもう出て行きたくなくなり、「それなら以前と同じように真相資料を配ればいいまでだ」と考えました。

 ある日、『轉法輪』を学法した時、次の部分を読みました。「伝え終えてから、師はさらに『君はたくさんの執着心を捨てなければならない。そのために行脚に出かけなさい』と彼に言います。行脚は非常に辛いことで、社会の中を放浪し、物乞いをしながら、いろいろな人に出会って、嘲られたり、罵られたり、いじめられたりして、どんなことにも遭遇する可能性があります。彼は自分が煉功者であることを常に心掛け、人との関係を正しく処理し、心性を守り、絶えず心性を向上させ、常人のいろいろな利益の誘惑にも心が動じません。長い歳月を経て、彼は行脚から帰って来ます。そこで師は言うのです。『君はすでに得道し、圓満になった。』」[2]。私は涙が出て、多くの事が分かり、師父が苦心して安排なさった事がわかったような気がしました。よく思い起こしてみると、私が我慢してきたこの怒りなどなんのことはなく、師父が法を伝えるために私たちは数限りない罪を受け、数限りない苦を飲んだのですが、無論どれくらいの大きさの難であろうと、師父が説法される時はいつもにこにこしていらっしゃいます。私はちょっとしくじったからといって「途中でやめよう」と考えたのですが、これでどう修煉できるというのでしょうか? 「衆生を救い済度すること」とは、師父が言われたことであるのに、私は師父の話を聞かないで、どうして師父の弟子と言えるのでしょうか?

 「自己を突破すべきだ」と私自身に言い聞かせ、たとえ話せなかったとしても、「法輪大法は素晴らしい」という一言を言えばいつでもうまく法を伝えることができるでしょう。明慧ネットに掲載された、各地域の同修が直接真相を伝えた多くの文章を私は見た後、上手に伝えている段落を書き抜き、しっかり覚え、同時に大量に学法し、発正念で恐れる心と自己を守ろうとする心、体面を気にする心を取り除きました。

 翌日は必ず人を救いに出て行こうと決めました。

 人心を放下すれば 窮しても道は開ける

 翌日、家から歩き出した時、私の心はこれまでとは本当に大きく異なりました。恐れる心がなく、さらに内心ははっきりとし、穏やかで、「次々と救っていこう」と考えました。

 私は道路を歩きながら縁のある人を探し回りました。冬は路上にあまり人がいなかったのですが、非常に遠くまで歩いて行くとやっと道の反対側に50歳を過ぎた1人の女性を見かけました。私が大通りを横切ってその女性にあいさつして話をしようと思っていたところ、その女性がまっしぐらに私の方に向かって来ました。

 その女性はやってくるなり「あなたは私を知っていますか?」と私に尋ねました。私はぱっとひらめき、「私はあなたに見覚えがあります」と言いました。その女性は山東省の農村から来て息子の飯炊きをやっている、ということをその女性は言いました。私は「中国の農民たちは苦しいですよね」と言い、「学校には通ったんですか?」とその女性に疑問を出しました。「中学校には通いました」とその女性は話し、さらにその女性は党に入っていることを自ら進んで私に話してくれました。私はその女性の話を自然に受け入れ、「共産党が伝えている『無神論』は、天と戦い、地と戦いますが、私たち農民は、でも天に頼ってご飯を食べなければならないので、天と戦うことはできません。あなたはその共青団とかいうのを脱退しましょう、そうすれば天の助けがあなたに平安をもたらします」と言いました。

 その女性は名前を教えてくれました。私はその女性に法輪大法の真相を知らせ、共産党がなぜ残酷に法輪功を迫害するのかを知らせ、その女性に「法輪大法は素晴らしい」と念じるように言うと、その女性は認めてくれました。

 出店をしている一組の夫婦が露店を開いて靴下を販売していたのですが、昨日は西の方の道でその夫婦を見かけたのに、その夫婦と話をしなかったのです。今日また出くわしたのは、きっと縁のある人だからです。私は道を渡って行ってその夫婦に声をかけ、わずかな言葉でその夫婦に脱党させ、さらに「『法輪大法は素晴らしい』を忘れないように」とその夫婦に言いました。「お姉さんは素晴らしい! ありがとうお姉さん!」と、女性の方がひたすら言っていました。

 数歩歩くと、1人の若者を見つけました。3歳ぐらいの子供を連れており、子供を見ると可愛かったので、二言三言、子供をあやす言葉を言ってから、若者と歩きながら話し始めました。その若者はよその地区の人で、北京に出稼ぎに来ており、医薬代理人をしている、ということでした。「現在はお金を稼ぐのは容易ではないのに、あなたたちは借家しなければならないし、また家族も養わなければなりませんね」と私は言いました。「はい、どんな仕事もやるだけ無駄です」とその若者は言いました。「ただ官僚のみが手っ取り早く稼げます」と私は言って、中共の汚職腐敗を私は語り、「貧富の差がだんだん大きくなるばかりで、以前、党、共青団、少年先鋒隊に入った者は『共産主義のために一生戦い続ける』と話しましたが、若者よ、あなたがおっしゃる共産主義はいつ実現するのですか?」と説明しました。「あれはみな人を騙しているのだ、誰だって信じていない!」と、その若者は言いました。「そうですね。党、共青団、少年先鋒隊に入った人たちは自分でも信じていないから、妻子はみな移住しに外国に行ってしまいました。それなのにまだ一般人を入党させ、入団させ、少年先鋒隊に入隊させて、共産主義のために命をかけて貢献するよう誓いを立てさせています。今、中国人は『三退すれば平安が保たれる』と話しています。あなたは党に入ったのですか、それとも共青団ですか?」と、私は聞きました。その若者は党に入っていましたが、脱退に同意しました。私が話し終わると、若者たちも行くべきスーパーに到着しました。

 この日は特に順調で、1時間以内に5人に真相を伝え、4人が脱党し、別の一人は「脱退するかしないかを決めるのは後日にします」と言いました。本当に「山重水復疑無路 柳暗花明又一村」(山は重なり川も入り組み、道がないかと疑ったが 窮しても道は開ける)のようです。この事で、私は自信を持ちました。「インターネットで同修が文章の中で言っている事にすごく似ていて、ただ人心を放下し、何も考えず、師父の教えに従って行えば、直接真相を伝え人を救うことは別に難しくない」と思いました。以前なら難しいと思っていましたが、それは、自分には私心が多く、特に恐れる心や体面を気にするなどの人心を放下しないために起きたのです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/15/299627.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/21/146981.html)
 
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