文/中国の子ども弟子
【明慧日本2014年11月24日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
私は15歳の大法の子ども弟子です。師父のご加護の下で、生まれてからずっと健康で、あまり注射をしたことも薬を飲んだこともありません。記憶では1、2回ぐらいでした。 H5N1 が流行った当時、クラスのすべての同級生が感染したり、隔離されたりしました。休校した日もしばらくありましたが、私は大丈夫でした。一度道路を渡るとき、急速に角を曲がってきたオートバイに突き飛ばされたこともありましたが、師父の保護がなければ、どうなっていたか分かりません。
一、パパ、ママはどこに行ったの?
悪らつな共産党が大法と大法弟子を迫害し始め、私の家庭も壊されました。小さい頃、パパが大法を修煉しているため不法に退職させられ、何回も家宅捜索をされ、家の物を押収され、パパとママの結婚指輪まで奪われました。パパは4回監禁されて迫害され、ママも連行されました。パパとママがいないから、私の生活費の出どころもなくなりました。人々は私を見ると、いつも「この子がかわいそう、本当にかわいそうだ!」と言いました。
一番印象に残っていたのは、7歳のころのある日、夜に警察がまた家宅捜索にきました。私は寝ていて、目が覚めたらおばあさんの家にいました。その日から、毎朝起きるとパパとママがいませんでした。私はあまりに小さかったため、よくおばあさんとおじいさんに大泣きしたり、暴れたり、「パパとママはどこに行ったの? 家に帰りたい、なぜ家に送ってくれないの」と聞くのですが、おばあさんとおじいさんはいつも善意からうそをついて私を慰めてくれました。
しかし、しばらく経って、大人たちが話しているのを盗み聴いて、やっとパパが不法に懲役5年の判決を言い渡されて、すでに刑務所に監禁され、ママは仕方なく流浪し落ち着く先もない生活を送っていることが分かりました。1年生になっても学校まで送迎してくれる人はおばあさんとおじいさんでした。ほかの友達はみなパパママと一緒にいて、話したり笑ったりするのです。
ある年の正月を迎える数日前、おじいさんはどこかへ出かけて、私とおばあさんが家で留守番をしていました。その日、私はどうしても我慢できずにおばあさんに、「おばあさん、パパとママに会いたい・・・」と言いました。おばあさんは心が辛いのに私を可愛がってくれました。おばあさんは時々人がいないところで涙を流しており、私に見せないようにしていると分かっていましたが、その日だけは、おばあさんと私は抱き合って、とことん泣きました。その時、自分がこの世で一番かわいそうな子供だと思いました。
このような苦しい日が2年も続き、最後にパパとママの顔も忘れてしまい、とても薄い印象の姿しか浮かびませんでした。
ある日、パパとママととても仲のよいおじさんが、おばあさんの家に来て、写真を撮りにいこうと言いました。おじさんは私を連れて公園へ行き、1人の男性を見かけました。そのおじさんはカメラを持っていました。それからおじさんはたくさんのお菓子を買ってくれました。ブランコのところに戻ってきたとき、1人のおばさんを見ました。おじさんは自分の同僚だと言い、おばさんは私と一緒に写真を取りたいと言いました。
はじめ、おばさんの隣に座って写真を撮っていましたが、それからおばさんはひざに乗せてくれ、最後に抱っこしてくれて写真を撮りました。おばさんの笑顔と動作を見て、とても親しく思い、おばさんの胸がとても温かいと感じました。笑う様子も良く知っている人のような、知らない人のような感じでした。だんだん私の顔が笑顔から厳粛になって、私を抱っこしているのはおじさんの同僚でなく、おばさんでもなく、私のママではないかと疑い始めました。しかし、周りにたくさんの人が遊んでいるために聞けなくて、ママと呼んだらまた連行されてしまうのを恐れて、ずっと黙っていました。おじさんは私の様子を見て気づき、すぐにおばあさんの家に帰すと言って、車に乗せました。おばさんはずっと見送ってくれました。私も離れたくない気持ちで心が辛く、何回も「おばさん」を振り返ってみました。それから、よくおじさんに電話をして、おばさんに会わせてほしいと頼みましたが、おじさんはいつもあれこれの理由で逃げていました。
今は分かっています。それはママでした。しかし、迫害がまだ続く中で、その方法で会うしかなく、会っても互いに認めることはできませんでした。また数年経って、ママは本当に私に会いに帰ってきました。みなが私に「これは誰? まだ覚えていますか?」と聞きました。私は茫然として、目の前に立っている人をどうしても思い出せませんでした。おばあさんは「あなたのママじゃないの」と言ってくれたので、やっと確かにそうだと思いました。あのおばさんは本当にママでした。ママが認めてくれて、私は泣いてしまいました。
二、 奇跡が起こり、パパは目覚めた
それから2年後、おばあさんはパパに会いに行くと言い、私は嬉しくてたまりませんでした。
しかし、パパに会って私はびっくりしました。体中傷だらけで、がりがりに痩せて、気を失い、耳も聞こえませんでした。おじいさんとおばあさん(パパの両親)と私のことも認識できず、お腹が空いても分からないし、目の前のものを認識できず、2年もしゃべったことがなく、精神病院の医者に精神病だと鑑定されたそうです。その時見たパパは、今にも亡くなりそうでした。元気なパパが刑務所でここまで迫害され、私の心は壊れそうになり、氷の中に落ちたように冷たく震えました。
どうしても理解できなかったのは、パパは悪い人ではなく、「真・善・忍」に基づいてよい人を目指していました。何の罪もない人が、なぜ何度も理由もなく刑務所に監禁され、迫害され、医者も助けられない植物人間になってやっと家に帰すのですか。共産党は本当にひどくて残酷です! 涙が頬を伝ってぽろぽろ流れました。
多くの同修のおじさんとおばさんが毎日パパを囲んで、大法を読み、発正念をしました。パパは何も聞こえないのですが、しかし、おじさんとおばさんたちは聞こえると信じて、ずっとパパを励ましてくれました。これも慈悲なる師父がこの形でパパを救ってくださっていると思いました。同修たちがそばにいてパパと一緒に難関を乗り越えようとしていました。それは法の力ではありませんか? それは師父がパパを救ってくださっているのではありませんか?!
パパがもうだめな様子を見て、同修もそばにいないし、私しかいませんでした。おばあさんは涙を流しながらどうすればよいか分かりませんでした。私は直ちにベッドに座って、涙を流しながら大きな声で法を正す口訣を繰り返しました。パパは痙攣が止まらず、しばらくたってやっと一息つきました。人が死ぬ前のような動きをしたので、私は大声で「邪悪全滅! 師父、パパを助けてください」とずっと念じていました。長い間続きました。パパは突然、奇跡のように目を覚ましました! 慈悲なる師父がパパを助けてくださったと分かりました。師父は本当に偉大です!
師父の保護の下で、パパはだんだんよくなりました。「精神病」という口実で病院から退院させられ、死にそうだった人が、だんだん意識が戻り、理智が戻って、ついに快復できました! パパの命を助けてくださった師父に感謝いたします!
三、1枚目のDVDを体の弱いおばあさんにあげた
ある子ども弟子を、私は妹と呼んでいます。あの頃私たちは一緒に法を勉強し精進していました。神韻DVDが来た時、私が外へ配りに行くと言うと、妹も一緒に行くと言いました。
実はその時、私も妹も怖がっていました。翌日配るときに緊張しないよう、スムーズに真相を伝えられるよう、前日の夜に練習しました。私は同修の役で、妹は修煉していないおばあさんの役になり、時間をかけて繰り返し練習しました。
翌日、私たちが事前に選んだ公園に着いて、練習したように、まず、おばあさんかおじいさんを探しました。自信満々の私たちはおばあさんの前に行くと、ネズミのように小さくなってしまいました。師父を失望させないよう、衆生を救い済度するために、私たちは最終的に1枚のDVDを、病気で弱っていたおばあさんにあげて、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と覚えてくださいと言いました。この1枚の成功が私たちに自信を与えてくれました。とても嬉しかったです。
それから1枚目のように真相を伝えて、2枚目も、3枚目も、4枚目も次々と配リました。友人にあげるから何枚もほしいという人も人もいました!
その日から、私たちはよくあの公園へ配りに行きました。あるおばあさんは私たちを覚えるようになって、寒くないかいと聞いてくれたり、帽子をかぶせてくれたり、私たちがあげたDVDがとてもきれいだと褒めてくれました。
やればやるほどますますやりやすくなりました。あの公園から町のあちこちへ回るようになり、誰を見かけても真相を伝えてDVDをあげることができるようになりました。はじめはお年寄りにしか渡せずにいましたが、それからどの年齢の人でも見かければ渡すことができるようになりました。私たちはたくさんの神韻DVDを配ることができて、とても嬉しく思っています。私たちも衆生を救い済度し、師が法を正すことを手伝うことができたからです!
振り返ってみると、私は小さいときから風雨に耐えてきました。自分がこのような幸せな修煉の家庭に生まれて、とても福のある人間だと思っています。小さい頃はなにも分からず、パパとママが迫害されたことで、自分が精進しなくなっただけでなく、何回も怨んで、考えてはいけないことを考えて、本当にするべきではありませんでした! 私は古い学習者ですが、いつも師父を失望させてしまいました。でも師父はずっと私を見守ってくださいました!
私がこの世に来たのは法を得て修煉するためだと分かっていますので、これからは師父を失望させないように頑張ります! 「真・善・忍」で自分を律して、真面目に法を勉強して、心性を修めます。よいことでも、悪いことでも良いことで、それは修煉の過程です。たくさんの修煉の機会を与えてくださった師父に感謝します。一日も早く常人の環境の中でいろいろな執着心を取り除き、ますます成熟していけるよう、もっと多くの常人を救い済度し、時になったら師父と一緒に帰ります。
(明慧ネット第十一回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)