明慧法会|定年退職した一級警督「生活の中で着実に修め大法を実証した」
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年12月1日】尊敬する師父こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!

 私は技術担当の仕事をする警官で、一級警督でしたが、現在は定年退職して家にいます。1995年10月以来、法輪大法を修煉しています。学法し暗記した法を念じて正念が増すと、大いに威力が現れました。

 当初、私は病気治療と健康保持のために大法の修煉に入りましたが、ごく短時間の内に、持病はきれいさっぱりなくなりました。これは私にとって驚くばかりでしたので、師父に従って修煉していくことを決心しました。

 「7.20」以前は、それこそ師父が説かれた通りに学法し、煉功しました。あの時は尽力して学法し、『轉法輪』を手放さなかっただけでなく、仕事に行く時と帰る時のバスの中でも学び、読み、冬にバスに乗っている時は、日が暮れてしまうので、街灯も利用して読みました。ある時、私が法を読んでいたところ、いつの間にかバスがある鉄橋の下で渋滞に巻き込まれてしまい、橋の下は明かりがなかったので、目の前が一面真っ暗闇になりました。私は両手で『轉法輪』を抱えて、ずっと開いたままでした。それはバスがすぐに通過するのを待っていたからなのですが、しかしバスは見事に渋滞にはまってしまっていたのでした。ちょうどこの時、奇跡が起き、私が読んでいる行の字の上にピンク色の小さな一つの明かりが照り輝き、私の視線について小さな明かりも動きました。数行も読み終わらないうちに小さい明かりは消えてしまったのですが、私が興奮したせいかもしれません。すぐに、バスは鉄橋を抜けました。その時以後、私はずいぶん学法を重視するようになりました。2000年1月1日に私は暗記した法を念じ始め、今でも頑張っています。

 「考え方がだんだん簡単になり、生活はだんだん気楽になり、煩悩がだんだん少なくなり、仕事はだんだん順調になった」と、私は学法し暗記した法を念じて感じました。仕事が始まる時、業界の内部で何度も大会があり、工夫を凝らして追求しなくても、大多数の候補者の中で優秀な成績を収めるようになり、いつの間にか、私はその職種内で中堅技術者になっていて、口を聞く量が知らず知らずの間に増えていきました。これは後日、職場で安全に大法の真相を伝えられるように私のための下地になっていたもので、その後、私と実務関係のある同僚に対して真相を伝え、三退した方がよい同僚は皆、三退しました。

 一層重要だったのは、大量に学法し暗記した法を念じたことで「正しいか間違いか」や「良いか悪いか」について自分が正しい判断ができるようになったことです。そのため、自分の行為に対して的確な行動を選んだので、私はちっともためらわずに「4.25」請願活動に加わりました。同時に、学法し暗記した法を念じる中で、「邪悪を見抜く眼力」を師父が私にくださり、「7.20」がやって来た時、この眼力で私は頭脳を冷静に保つことができました。とりわけ中国中央電視台(CCTV)が「天安門焼身自殺事件」を報道した時、一度見ただけで中国共産党の虚言を用いたやり口だとすぐわかりました。その後の日々は、自分の方式でもって大法の真相を広め続けることができました。

 迫害が最も厳しかった時、勤め先のリーダーが私に働くのを止めさせて、代わる代わる話をしたので、ある時私が「口を閉じて」と考えると、その人は本当に話をしなくなりました。あの頃、私の闘争心はとても深く、善が不十分であったので、何度も激しく論争し、リーダーがテーブルを1回叩くと、私は2回叩きました。さらには主管する指導者も、「私を閉じ込めろ」と言いました。私がかつて見たこれらのすべては人から人への迫害であり、自分が良くない事によって話し方が辛辣になると共に入り混じった多くの人心で、自分の体も大きく傷つき、迫害初期には、歯ががたがたになり、最後には3分の2が抜け落ちました。「私が『停職』され繰り返し『話』による迫害を受けたのは、これが間違いなく主な原因だろう」ということを、学法で悟りました。

 大法が理性と力を私にくださり、学法を続けるにつれて、これらのすべての理由が私にはますます分かり、これらのすべてにどのように対応すればよいのがますます分かりました。とりわけ師父の法を正す進展に従って、他の空間にいる邪悪はだんだん少なくなり、しばらく経って波のように何度も繰り返す中で、邪悪はついに鳴りをひそめました。

 一度、ある若者に真相を伝えた後、悪意をもって通報されたので、私はすぐに大法を暗唱しました。「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]。そして同時に座禅を組み、立掌して発正念しました。

 翌日、状況に変化が起こり、「自分が間違っていました……」と、通報した人が言いました。「今になって、なぜわたしがいつも皆さんに本を多く読むようにと言っているのか、皆さんもよりはっきりと分かったでしょう! 法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]と、師父は説かれました。

 恵み深い力

 私の両親は中共の役人なので、両親のコンセプトには、「共産党員の党性はいつも人間性を上回る」という概念があり、両親の「革命の仕事」のために、私の兄と妹の私たち4人は子供の時から両親に送り出され、ほかの人に育てられて大きくなり、学校へ行ってからは下宿をしたので、私たち4人は両親の愛や家庭の暖かささえめったに得られませんでした。

 時間の推移に従って、両親は年老いて、病気になりましたが、子女からの扶養を望むことはありませんでした。さらには、両親にはそれぞれの事情があって、電話さえもあまりかけてこなかったのは、自宅での生活が左右され関与されることを心配したからでした。

 さらに私が大法を修煉する前には、このような感じで、ある時は数年続けて一度も帰省したいと思いませんでした。1995年、幸運にも私は大法の修煉に入りました。大法を修煉するなかで私と両親の因縁関係に新たに気づいたのは、もしかしたら神様がずいぶん前に按排されていたからかもしれませんが、両親への情を取り除くなどいろいろな方面では、ほとんど骨が折れる事はありませんでした。深く学法をするにつれて、修煉前の両親に対する怒りや恨みも吹き飛んでしまいました。

 例えば、私が5歳の時に両親は乳母の家へ迎えに来ましたが、そのまま直接父の継母の家へ送り届け、そこに2年余りいましたが、「仕事が忙しいから」と言って母親が一度も会いに来ないとは思いもよりませんでした。私は「お母さんがいない子供だ」と、隣の家の人は言いました。両親との限りある団欒の中で、印象が最も深かったのは家族会議を開いて私の「間違い」を討伐したことで、いつも恐れていました。父親は中共の公安部門の職員で、人をいじめるという職業病を持っていたので、すぐに一家を動員して恥を討伐しました。私は恐れながら育ち、多くの不満を我慢して丸く収めようとしていたので、若い心の奥底に恨みを埋めていました。年を重ねるごとに、いろいろな形式で抗争しようとしたこともありましたが、両親は食べさせない、眠らせない、通学させないなどと言って脅したので、多くは失敗に終わりました。年とともに私は何度も考えましたが、私の両親はなぜこういう人たちなのか、理解できませんでした。そんな事を考えているといつも気にかかってどうしても忘れられませんでした。

 「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません。もう一つは、トラブルの中に業力転化の問題が絡んでいるので、具体的に対処する時、われわれは大らかな態度を保たなければならず、常人と同じようにしてはなりません」[1]と師父は説かれました。大法の修煉に入ってから、師父は私のために考えを開いてくださいました。大法は私の心を成長させたので、この問題では徹底的に悟り、その時、心身が楽しく心地が良いと感じましたが全く言葉にできませんでした。

 私は両親を救い済度すべき衆生だとみなしていたので、両親に付き添うと同時に真相を伝え、三退してもらい、『轉法輪』の朗読などをして、両親はついに生命の選択を下しました。三退後、両親の健康状態もだんだん良くなり、両親の生活は完全に自活できるようになりました。とりわけ父親は死去する3日前は自分でスーパーに物を買いに行っており、「恵み深い力だ!」と私は考えました。

 恵み深い状態とは「身内の痛み痒みは心にかけず、しかし身内のために多くの行うべき事ができることです。例えば、末の孫と暮らしている時、私が末の孫に尽くして面倒を見て、末の孫を追っぱらってしまえば、基本的に末の孫の事は思い出さず、他の家族に対しても同じだ」のような事であると私は感じました。修煉を始めてから、私は両親の世話をするのに便利なように、同時にまた自分の修煉に影響を及ぼさないようにするために、夫と相談した後、ほとんど全部の蓄財を使って、両親の家の近くに2LDKの家を買ったので、「お姉さんの品行は本当にきわめて高潔です」と、少将である妹の夫は感心して褒め称えました。私の話は自然に大法修煉の事に及び、同時に妹の夫のために順調に党を脱退させました。

 家庭生活は法を正すためにある

 2013年、父親が亡くなったので、83歳の母親は長期にわたって誰かが付き添う事が必要でしたが、他の子供は当てにできませんでした。けれども私は大法弟子ですから、黙って見ていることがどうしてできますか? 父親が重病になってから息を引き取るまで、ほとんど全部私が取り仕切りました。「みなさん手分けして順番に母親の生活に付き添いましょう」と、兄や妹たちを説得しようとしましたが、相手にする人はいませんでした。このように、父親が去った後、母親に付き添う仕事はほとんど私の身に回ってきました。法を正す時期の大法の徒として、法を正す修煉と家庭生活の関係をどのように対処するのかという問題が本当に目の前にやって来ました。一時期、法を理解していないために心がきしみ、兄や妹と議論さえしましたが、結果は推して知るべしです。

 「この環境そのものは人類社会が大法弟子に提供した修煉の場ではありませんか? あなたの執着心を表出させるための環境、要素を提供し、あなたにすべての向上の機会を提供しています。このことが大きいので、人類社会全体がお寺になったのです」[3]と、師父は説かれましたが、表面的には、母親の介護は法を正す修煉と関係がありそうですが、その実そうではありません。「私はこの大きいお寺での修煉者ではないのですか?」と、大量の学法を通じて、私の考えは少しずつはっきりしてきました。環境すらないのでは修煉の事を言うどころではないのではないでしょうか? 事実上、私が母親に付き添っていた数カ月の間、「三つのこと」に影響がなかったばかりでなく、逆にもっとしっかりできて、同時に今まで気づいたこともなかった執着心も取り除いたので、本当に一石二鳥でした

 例えば、携帯電話を使って真相を伝えるには毎日長時間、外出しなければなりませんが、いろいろな原因で出て行かれないことが時として起きていました。しかし、母親に付き添って以来、この問題はかえっておのずから解決されました。天気による原因を除いて、老人は毎日外出して散歩するので、私は自然に真相用の携帯電話と各種真相資料を持ち歩くようになり、歩いて行けば、どこでも真相を伝えることができ、どこに行っても都合がよかったので、真相資料をまさにそこに置いていきました。ある時、公園のベンチで休んでいる時、ある親子にあったので、少し話し合った後、私は『共産党についての九つの論評』をその娘にあげました。もしこのようなチャンスがなかったら、直接『九評』を配るやり方はまったく良くできなかったでしょう。

 その他に、母親に付き添う正当な理由があったので、孫の世話は自然に他の人の分担に組み込まれました。「人心を放下すれば、師父は最適な道をきっと与えてくださる」ということを、私は実感しました。「自分には嫉妬心はまったくない」と、私は過去に考え続けていましたが、母親と一緒に生活したこの日々に、自分の嫉妬心はまだまだ重いということを私は驚きながらも発見しました。例えば、時には「兄と妹はどうしてみんな関わらずに私1人に引き受けさせるのか?」という怒りを感じました。この念を一度見出すと、「この嫉妬心を滅しましょう、滅、滅、滅」と私は心の中で考え、今はまったく怒りを覚えなくなりました。その他に、たくさんの良くない心があったために、時に心をえぐられ骨にまで突き刺さるかのように感じた時、自分が向上しつつあるのを私はありありと感じたのですが、ここでは話しません。

 この間に、師父の「相は心から生じる」[4]の教えを体験し、一層会得しました。もともと両親に孝行をする事は常人の中でも絶対の真理であることから、私は困難を大きく見ず、ただ自然の成り行きに任せて母親と一緒に生活し、母親が病気などになってはいけないので、私はいつも発正念をし、三つのことを妨害されないようにしています。「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります」[4]と、まさに師父は説かれました。母親は本当に私と息があっており、時間にすると1年間でしたが、母親は一度も風邪を引かず、毎日朝から午後3、4時まで、母親は私の邪魔をしませんでした。まるまる午前中は、基本的にテレビを見ていて、昼ごろ十分に眠り、午後3、4時から、母親と一緒に散歩するだけですが、これもちょうど私が真相を伝えるつもりの時間なのです。師父が説かれた「三界は法を正すために造られたものである」という話を私はより理解したので、それなら、大法弟子の家庭生活も法を正すためにあるはずです。

 数日前、私はマイクロバスで母親を連れて旅行した時、真相DVDを得た運転手はひときわ目立ってはつらつとし、車は茫々たる大草原を走り、真相の語音が青い空と白い雲に伴ってかけてきたので、「師父がお作りになったこのお寺はあまりにも大きいと言うことができるのだ!」と、思いました。

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 注:

 [1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2]李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [3]李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [4]李洪志師父の著作:『各地での説法10』「大紀元会議での説法」
 [5]李洪志師父の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/16/299773.html)
 
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