文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年10月13日】多くの睡眠が欲しくて、私が朝3時50分からの煉功に参加した回数は、指折り数えられるほど僅かでした。何回も早起きを頑張ってみたのですが、数日も続かず、長くても半月でやめてしまいました。今年の三月末、私はやっと決心し、師尊の助けの下で睡魔の妨害から解放され、真に早朝の煉功を始めました。この経験を書き出し、未だ早朝の煉功に参加していない同修達の参考になればと思っています。
師尊は『各地での説法十』の「マンハッタン説法」の中でおっしゃいました。「いかなる事も習慣になれば物質が生成されるのです。」 睡眠を貪る経験のある私は、この部分の説法に特に深く感銘を受けました。睡眠を貪る習慣は私の朝の一連の心理的、そして生理的反応から形成されたのです。吐き気、吐きたい、極度に睡眠状態に浸りたいといった症状は、私が小さい頃に長距離バスで移動中に覚えた苦い経験から生まれたのです。
小さい頃、私は車酔いが酷く、長距離バスに乗る途中、ずっと吐いていました。それゆえ、私は長距離バスに深く恐怖を覚えていました。私は乗車の数日前から車酔いの状態に入り、連続した吐き気や胃の反芻を感じ、乗車当日の朝は最悪の状況になりました。その時の唯一の希望は永遠に起床しないことです。寝たままで起きず、そのまま気を失って死んでもいいと思いました。それから、朝早く起きればすぐに「車酔い」を感じ、時には本当に吐いてしまいます。そうして、「熟睡」は「車酔い」の万能薬になりました。長い間、これらの観念や記憶が日に日に強化され、私の心身を左右する悪い物質に形成し、夜に寝ず、朝は起きないという悪い習慣になってしまいました。
私は1996年に大法を修煉し始め、法を得た当初の興奮と精進で、一時はこの悪習を克服できました。迫害が始まった1999年までの3年間、私は特殊な事情がある日以外、毎日早朝の煉功に参加していました。しかし、それは一時期の興奮と意志力に支えられて得た結果で、真に法理が分かった後の完全な突破ではありませんでした。何故なら、その物質は依然に存在し、しかも時々また作用しているのが分かりました。早朝の起床が辛く、特に抱輪する時はしんどくなりました。私は二時間も抱輪したことがあって、体が軽くなる気持ちの良い感覚も覚えたことがありますが、しかし、数日おきに吐き気を感じ、ひどい場合、近くのお手洗いに走って行って嘔吐してしまうことも度々ありました。1999年の7月に始まった迫害以後、グループ煉功の環境を失った私は、煉功を休みがちになり、休日や祝祭日の場合、たっぷり寝てから煉功し、早起きの「奮闘」も諦めました。
私は引き続き昼夜転倒の日々を送り、そのような日々が重なるうちに、私は一種の不安に駆られてなりませんでした。それが大法弟子のあるべき姿ではないことをはっきりと知っているからです。当時に、私の体に様々な良くない症状が現れました。長い間私は血便し、頭がすっきりせず、だるくて疲れやすく、頭上抱輪の際、両手は500キロの重荷を持っているような感じで、両脚も沈んでいく体を支えきれない感じでした。この時、私は始めて睡眠を貪ることは、旧勢力が私に按配した一つの難関だと気づきました。
今年の3月に入って、私はこの状況を徹底的に突破しようと決心しました。私は内に向けて探し、問題の所在を探しました。苦労を恐れ、睡眠を貪ることは安逸ではありませんか? 何故私は安逸心を完全に取り除けなかったのでしょうか? 私は法を得た当初の自分の目的を考えました。私は人間社会の苦痛から解放され、成仏して永遠の幸せを得ようとしました。この中に私の根本的執着が隠されています。私の心の奥深くに、苦労を舐めることも、精進することも一時的なことであって、安逸と幸福を楽しむのが生命の根本であり、永久な状態だという思いがあったからです。私がこのような間違った認識を持っている以上、旧勢力は手を下さないわけにはいかないでしょう。私は安逸と怠けを完全に取り除こうと決心しました。もちろん真っ先に向き合わなければならないことは睡眠との戦いでした。
誓いを立てた翌朝、私は3時50分に起きて煉功し始めました。今日は例え吐いても、倒れても、私は絶対に抱輪の両腕を下ろさないと自分に言い聞かせました。記憶の中で、迫害が始まって以来、私は始めて真剣に煉功しようとしたのです。私は激しい嘔吐の感覚を待っていました。しかし、不思議なことに、最初に少しの吐き気を覚えただけに、何もありませんでした。私を悩ませていたその悪い物質が一瞬で私の体から離れ、瞬時に体が楽になったのを感じました。この感覚は初めてです。師父は私に強い意志があるのを見られて、私を助けて下さったと思います。その後、私は再び嘔吐の感覚を覚えることなく、長年、私を悩ませていた巨大な難関がこうして不思議な形で解消されました。私は再び修煉の奥深さを実感しました。
この過程において、私は修煉の決意、意志、特に観念の転換が重要であることを知りました。最初、私は跪いて師父の助けを求め、明慧ネットで私と同じ経験のある同修の交流文を読みました。その後、「偶然に」数名の精進している同修と交流する機会があって、彼らから早朝の煉功によって得た奇跡を知りました。こうして私にはまず、自分の意志を強め、間違った観念を探し出し、それを正す切っ掛けがありました。私は師父が私の根本的執着を取り除くために順序ある按排をされたのを実感し、再び修煉の厳粛さ、及び師恩の洪大さを実感しました。
早朝の煉功を始めた2日目、長引いていた血便がなくなり、半月後に、背中に感じていた重たくて人を眠らせる物質が消えたのを実感しました。私は元気を取り戻しました。2、3カ月後、私は毎日の煉功で、「心は玉のように清らか」(『大圓満法』)の素晴らしい感覚を覚えました。私は早朝の煉功を一種の懲罰だと思わず、一種の享受だと感じるようになりました。
その後、私は怠惰と安逸心から抜け出し、以前に色魔と情魔から抜け出した時と同じく、再び自分を妨げ束縛するもののない、のびのびとした気持ち良い感覚を味わいました。
未だに早朝に起きられない同修達は、私よりまだ状況がましだと思います。もし信念を強めることが出来れば、必ず容易に突破できると思います。実際、この関は私たちが思うほど難しくなく、他の関と同じく、自分の観念を変え、意志を強めれば、師父は必ず私たちを助けて下さいます。私達自身がしなければならないことは、本当に極僅かです。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/10/24/146525.html)