「師を信じ法を信じる」ことへの悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年11月13日】以前から、私は何かあった時に、よく「師を信じ法を信じ」[1]「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[2]の法理を思い出します。実は、私の本当の心理状態は、常人のように良い結果を望んでおり、物事の悪いことを考えずに、積極的に良いことを考え、明るい心理を暗示して、常人と同じように佛を拝むというものでした。師父を信じるというより、師父の霊験が現れることを求め、物事が良い方向に変わりますようにと祈っていました。

 今日、私は突然悟りました。これは本当の「師を信じ法を信じる」ことではありません。本当に「師を信じ法を信じる」なら、条件を付けず、結果を求めてはいけないのです。

 もともと心の中に良い念があるわけではなく、悪い結果を怖がっているため、良い念ばかりを発します。それは怖がる心、心配する心など、様々な放下したくない執着心です。師父の加護を求めるために、師を信じ法を信じているのです。これでは師父に対して不敬であり、大法を軽んじていることになります。

 本当に師を信じ法を信じる状態というのは、時々刻々、心の中に大法と師父だけを思い、いつでもどこでも、悲しい時も嬉しい時も、無条件で大法と師父を固く信じることです。これこそ新しい宇宙の神のあるべき永遠の状態です。

 自分なりの状態と次元で悟ったものですので、適切でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/1/299729.html)
 
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