明慧法会|正道に立ち返り、再び法船に乗る
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年11月19日】

 尊敬する師父 こんにちは!

 同修の皆さん こんにちは!

 1998年6月、当時大学2年生の私は幸運にも法輪大法に出会い、修煉を始めました。修煉してまもなく、慢性胃病、ノイローゼなどの病気は消えてなくなり、深刻な副鼻腔炎も少しずつ治まり、最後に完治し、体は無病で軽快になりました。毎日、授業を受ける以外、私はすべての時間を修煉に費やしました。同修と一緒に各地に法を広め、法会に参加し、集団煉功を行い、集団学法に参加し、心性は法によって高まり、毎日、自分が飛躍的に前進しているように感じ、師父は私を押し上げて下さいました。あのころは私の人生の中で最も幸せで、最も充実した素晴らしい日々でした。

 一、迫害に抵抗して、生死の関門を突破する

 修煉してまる1年後、残酷な迫害が始まりました。天地を覆う勢いの邪悪は、息が出来ないほど私に圧し掛かってきました。しかし、私は大法の偉大さが分かっていたので、修煉を絶対放棄しないで、同修たちと一緒に大法を守ろうと思いました。私達数人の学生の弟子は、自分達の得意分野を活かして資料を作る場所を立ち上げ、真相ビラを作り、大法を実証しました。その後、大学側は私たちに対して、尾行したり、拘束したり、修煉をやめる保証書を書かせる等、様々な手口で迫害を行いました。私たちも妥協せず、大学の幹部に真相を話し、迫害に抗議しました。2000年の年末、私は大学側に強制的に故郷に帰され、大法修煉を放棄する書類にサインしなければ、学校から除名すると言われました。

 故郷に帰った後、両親は大勢の親戚、隣近所の人を動員して、大法修煉をやめるようにと私を説得しましたが、私はすべて拒否しました。父親は憤慨を抑えきれず、大法の書籍を焼却しました。私は辛くて悲しくて泣きました。しかし、全力を挙げて父親を阻止できず、本当に師父に顔向けできないと思いました。母は恐怖と絶望でヒステリックに私を叱責し、殺すと脅しました。ある日の夜、母は親戚や隣近所の人達を呼んできて、首つり用のひも、毒薬が入った瓶、ハサミを私の前に並べ、警察に迫害されて死ぬより、自ら娘の私を殺して、遺体が手元に残るようにしたいなどと言って、死に方を選びなさいと言いました。私は母に「修煉者は殺生をしません。自殺は罪なので、自殺をしませんし、大法修煉もやめません」と言い張りました。母は気違いじみたように、力いっぱいビンタしました。私の片方の顔は腫れ上がり、ヒリヒリと痛みました。親戚は皆私が親不幸者だと言って、頭に新しい信仰や大法を妨害する様々な観念を注ぎ込もうとしました。しかし、私は「真・善・忍は間違っていない、大法は正しい、師父は正しい、大法を信じるのは間違っていない」と腹を決めました。親戚は死をもって脅かしても変わらない私を見て、もうこれ以上強要しないように、時間を与えて考えさせるようにと勧め、やっと母は諦めました。

 ベッドに横たわった母の苦しい表情を見て、私は戸惑い、とても悲しくなりました。母をここまで悲しませている私は、本当に間違ったのでしょうか。心の中で師父に「このように堅持して、間違ったのでしょうか」と聞きました。この時、慈悲なる師父は私の天目を開いてくださり、満天の神佛が微笑み、私の前で飛び回っている姿を見せてくださいました。神様の慈悲なる笑顔を見た私は、心の苦しみがさっと跡形なく消えてしまい、とても楽な気分になりました。「私は絶対間違っていません。大法修煉は間違っていません。放棄させるいかなる考えも間違っています。絶対聞いてはいけません」と改めて自分に言い聞かせました。

 それから、家族は大学を順調に卒業させるために、たくさんの努力を払いましたが、私は大学側に妥協せず、大法のものを失わない、全て師父のおっしゃる通りにすると固く信じ、平然と全てに対処しました。師尊のご加持のもと、私は順調に大学卒業証書を受け取り、就職しました。

 二、人心が重過ぎて、魔難の中で大法から離れる

 仕事についてからは、両親は私に修煉をやめるようにと強要しなくなりました。しかし、私を支持せず、しかも、至る所で制限し同修と接する事も禁じました。大法の本を失った私は、大法から離れたくないため家族の反対を押し切って、遥か彼方にいる彼と結婚し両親のもとを離れました。義父も母も夫もかつて修煉者でした。しかし、邪悪の迫害の中、義父は修煉を諦めましたが、私達3人は依然として大法を信じていました。しかし、恐れる心が重すぎて自分の身分を暴かれるのを恐れ、ただ家で法を学び煉功をしました。周囲の同修が迫害されて死亡した情報をよく耳にし、その後、夫も修煉を放棄しました。

 娘の誕生とともに、私の生活が一変しました。仕事と家事の圧力に直面し、執着心が重すぎて修煉を疎かにし、明慧ネットにもアクセスせず、同修と連絡を取れなくなり、次第、次第に私は煉功と学法をしなくなりました。魔難に対して正念を持って対応できず、人心で物事を考えるようになりました。

 前の関門をまだ通過しないうちに、次の関門がやって来ました。執着心が重すぎて、関門と魔難に遭っても突破することができず、7年間苦しみました。私は常人の中に迷い込み、気性が激しくなり苛立ち、怨恨の心が重くなり長く家庭の魔難に陥り、合格した修煉者のように行えず、さらに師父が私にお与えになった衆生を救い済度するという神聖な使命を、果たすことがありませんでした。

 師父は説かれました。「心性の高さが功の高さです。堕ちてきたら、功もそれに相応して減らされます。心性の高さが功の高さなので、功は心性に合わせて与えられるものです」[1]。私の心性は常人のところまで堕ち、体の状態も悪化し、ノイローゼが酷くなり、寝付きも悪く一晩中眠れませんでした。胃腸も悪くなり、便秘、下痢は常に付き纏い、顔にはニキビがいっぱい出来て、体中がだるく生理不順となり、最後には生理も止まりました。いろんな婦人科の病気も現れ、頸椎、腰椎、関節が痛み、1日中ぼうっとしていて、自分の命はもうすぐ終わるのではないかとさえ思いました。以前修煉した時の素晴らしい日々を思い出すと、心の中で師父に対して申し訳ない気持ちと自分に対する失望感が満ちていました。

 私は夜中に何度も泣き出し、大法を離れるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。一度、私は師父の写真を抱いて、泣きながら心の中で師父に「弟子は随分長く大法を離れ、こんな駄目な弟子でも、まだ師父は必要とされるのでしょうか」と聞きました。

 三、再び大法に戻り、家庭の修煉環境を切り開く

 慈悲なる師父は私の大法に戻りたい気持ちを見られ、弟子を見放さず、2012年10月に、同修を按排され真相を伝えてくださいました。私は興奮を覚え、ようやく同修に出会い、やっと大法に戻れると思いました。同修は私に師父の各地での説法を持ってきてくれ、神韻DVDと真相資料もくれました。私は泣きながら各地での説法を読み、法を正す時期の大法弟子の使命とは何かが分かりました。神韻公演も私を震撼させました。あの数日間、私は涙をどれだけ流したか分からないほど泣きました。長年私を縛り付けた悪い物質は洗い流され、師父の法理は私の魂を浄化してくださいました。私は「今回必ず断固として修煉し、合格した弟子になり、法をただす師に手伝い、衆生を救い済度する使命を果たす」との強い一念が生じました。

 私がこれを夫に教えた時、彼は大変心配して恐れました。家での学法と煉功だけは許されましたが、同修と会うことは許してくれませんでした。「大法に戻る事を誰であろうと阻止出来ません。必ず修め遂げます」と夫に言いました。私は足の関節の痛みを気にせず、足を組んで座禅を堅持しました。僅か7日間で、長年私を悩ませてきた関節炎がよくなりました。ノイローゼも胃腸病も全部良くなりました。私は再び無病で健康な体の素晴らしさを体験しました。

 私は家で小さな花を咲かせるために、真相資料を作り、人を救うための活動の場とすることにしました。この決定に対し、夫は断固として反対し、離婚すると私を脅しましたが、私は心を動ぜず、揺るぎない一念で「誰であろうと、私の心は変えられません」と思うと同時に、慈悲はきっと夫の正念を呼び起こすことができると信じました。私は根気よく夫と交流し「くれぐれも恐れる心によって大切な大法との縁を壊さないように、そして、恐れる心を放下して再び修煉に戻るように」と励ましました。今まで修煉の基礎があったため夫の分かる一面が優位に立ち、設備の購入や資料の作成と配布を支持してくれるようになりました。

 再び大法に戻ってきて、私は師父が与えてくださったこの最後の機縁をとても大切にし、まず義母の修煉の気持ちを呼び起こそうとしました。最初に、師父の各地での説法を母に見せ、個人修煉の段階から踏み出してほしい、そして、師父のおっしゃる通りに誓約を果たし、真相を伝え衆生を救い済度するようにと母を励ましました。師父の各地での説法を学ぶ事を通して、義母はとても早く心性を高め、法を正す時期の大法弟子の使命は衆生を救い済度することだと分かり、縁のある人に真相を伝えようと決めてくれました。この時、義父は猛反対しました。時には、師父に対してとても失礼な言葉を発して、私たちが父に真相を伝えても全く聞こうとしません。父を救うためいろんな方法を考えましたが、全て功を奏しませんでした。父は中国共産党を手放さず、虚言に騙され目が覚めませんでした。

 数年来、義父はずっと母が人を救うことを妨害し、私と夫に対しても理解してくれませんでした。これは旧勢力による邪悪な妨害だと理解し、きっと私達には修めなければならない人心があると悟りました。師父は「慈悲は能く天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[2]と説かれています。「私達大法弟子三人でも、なぜ父に真相を知って貰えないのか、なぜ救えないのかと考えてみると、きっとまだまだ私達の正念が足らず、慈悲心が足らないからだ」と思いました。

 内に向けて探すことによって、私は自分の執着心を見つけました。「今まで、私は義父に優しくしたのは、表面だけの親孝行でした。心の深い所では父を見下し、嫌っていました。特に師父に対して暴言を吐くことは、一番耐えられないことで、ずっと義父を敵視して、あまり優しい気持ちになれませんでした。また、父にプレゼントしても「いくらかの金で、俺を買収できると思うな! 俺は金ならある」とまで暴言を吐きます。私は父のこの言葉がずっと気に懸かって忘れられず、「自分は生活を切り詰めて、父のために決してケチらないでプレゼントしたのに、このように言われるのは心外で、本当に人の気持が分からない人だ」と心の中でずっと恨みに思っていました。こんな歪んだ考えで、どうして義父の心を動かせるのだろうかと気づきました。

 父の立場に立って考えてみると「大法を得たのに大事にせず、その機縁を失い、師父のことを罵り、もし誤った道から正道に立ち返ることができなければ、結末はどんなに悲惨だろうか。父の今の病気だらけの体を見ると、毎日注射して薬を飲んで、体がボロボロになって耐え難い苦痛に耐え、私達が何度、真相を話しても聞いてくれないし、なんと可哀想な人ではないか、父を恨んでどうするのか」と思い直しました。こう思うと私はとても心が痛み、父を恨む物質が涙と一緒に流されていきました。私はやっと慈悲とは何かが分かりました。

 父はたくさんの魔難を作りましたが、私はそれによって生じた怨恨の心、利己心、名誉を求める心、闘争心などを次々に修めていきました。ますます大法を大事にし、心が純粋となり、度量が広くなり、最後に慈悲心も生まれました。本当に心から父に感謝しなければならないと思いました。私は自分をしっかりと修め、父のことを諦めず、早く真相を分かってもらい、早く救い済度されることを心から願いました。

 実の両親に対しても真相を言い続け、当時大法の書籍を焼いたことがとても間違った行為だと分かってほしいと言いました。実の両親も自分達が間違っていたと認め、ネットで声明を発表し、三退しました。彼らは今大法を認め、いつも「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じており、大法で言われていることを守り、大法の素晴らしさを周囲に話しています。彼らも福の報いを得られるでしょう。

 四、同修を救助し、縁のある人を救う

 昨年5月、中国では、江沢民を告訴する大潮流が巻き起こりました。学法チームの同修達も、師父の法を正す進展について行かなければならないと悟り、実名で江沢民を告訴しました。この過程はすべての大法弟子にとって、生死の試練であると同時に、恐れる心を更に取り除く過程でもありました。私は学法と発正念を強め、揺るぎない一念で生死を放下し、実名で江沢民を告訴する事を決意しました。夫は最初、江沢民を告訴することに参加したくなかったため根気よく交流し、このチャンスを再び失ってはいけない、大法を守らなければならないと結論付けました。正念と加持のもとで、夫も子供も実名で江沢民を告訴することに同意しました。私は告訴状を起草し、家族全員が厳粛に拇印を押し、姑も喜んで拇印を押して江沢民を告訴することにしました。

 告訴状を郵送した時、郵便局の人が規定があるからと言って、郵送してくれませんでした。私達は彼女に真相を話すと、郵送することに同意しましたが、差し押さえられる可能性が高いと言われました。結局、私達学法グループの告訴状は地元の国保大隊に差し押さえられ、最高検察院に郵送されなかったことが分かりました。私は諦めずネットを通して再度送ってみました。ついに私は自分たちの告訴状と学法グループの告訴状を最高検察院のウェブサイトに送りました。

 しばらくすると、私達学法グループの同修の老夫婦が警官に連行されました。その日の昼、1人の同修が私に知らせ一緒に派出所に行き、同修を取り戻そうと誘ってくれました。私は迷わず、年配の同修の息子さんと夫婦と一緒に派出所に行きました。警官が同修を別々に単独に尋問し、部屋には同修の家から差し押さえた大法の書籍、師父の写真、及び真相資料が置いてあるのを見ました。警官は私たちに彼との関係、何のためにここに来たのかと聞きました。私が「親族で事情を知りたいのです。どうして70代の年配者を連行するのか」と言うと、警官は彼らが中国共産党の脱党を勧め、共産党に反対していると言いました。私たちは「脱党を勧めることは違法ではないし、間違っていない」と言いました。警官は私達の話を聞いて「お前たちも仲間だろう」と言って、身分証明証を出せと強要しました。私たちが出さずにいると、私と同修を単独に閉じ込め尋問しようとしました。私たちは終始、邪悪に協力せず、名前を言わず、真相を話すことだけを続けました。

 最初のころ、私はドキドキして、足も震え、恐れる心が噴き出しました。心の中で「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[3]と暗唱しました。「師父はそばにおられるので恐れません。私は大法弟子です。ここに来た以上、正々堂々と真相を話し、他は何も考えません」と自分に言い聞かせました。次第に心が落ち着いてきて正念が強くなったと感じ、自分の体もとても高くて大きくなったと感じました。私を尋問する警官に真相を伝え、彼らに大法弟子の迫害に加担しないように、邪悪の副葬品にならないように勧めました。1人の上司らしい人はとても気勢があり、私を指差し「派出所はお前が勝手に来る場所と思うな。身分証明証がなければ不法者だ。連行するぞ。今日中に、名前を言わなければここから出られんぞ」と脅しました。私は「身分証明書がなければ、派出所に来ることができないと誰が決めたのですか? あれば、その法律を見せてください。派出所は人民に奉仕すべきところで、庶民を抑圧するべきではありません。私は合法な公民です。あなたは何に基づいて、このように脅すのですか」と言うと、私があまりにも正々堂々と言っているのを見て、警官らはびっくりして、その場を立ち去って行きました。

 それから私を監視する人は次々といなくなって、私はこれはチャンスだと見て、派出所から出て行きました。警官らは私が離れたのを見て、再び探し連行しようとし、私の身分を突き止め、職場の上司に電話をしました。私は仕事に行くのか、それとも逃げるのかと自問自答し、立ち向かう道を選択しました。ちょうど正々堂々と会社の上司に真相を話せるよいチャンスだとみなしました。普段彼らは皆法輪功のことを回避しているからです。

 その後の数日間、職場の「610弁公室」の人員は私の上司に圧力をかけ、転向させようとして、修煉を放棄する保証書を書かせようとしましたが、拒否しました。上司はたくさんの人を動員して、私を説得しました。これは真相を伝える良いチャンスだと思って、私は却って嬉しくなりました。彼ら1人1人に真相を伝え、彼らのいかなる要求も承諾しないと言いました。彼らに真相を知ってほしい、正義の立場に立ってほしいと言いました。彼らは目前の物質的な利益に惑わされ、三退をする勇気がなかったのですが、徐々に、全員真相が分かるようになりました。

 私の今の上司は以前務めた会社の上司でした。私達は縁があって、今また同じ職場で働くようになりました。以前、私が真相の資料を配った時、同僚に告発され、上司は自らを守るため本部に報告しました。その結果、本部の「610弁公室」の人員は私の家族に対して迫害を加えました。彼らは夫の昇進の機会を放棄させる対価として、私を労働教養所に送らない事に同意しました。当時、私が大法から離れたのもこの上司が一役担っています。事情を知った多くの人は上司の事が嫌いで、私も怨んでいました。今回、私はしっかり内に向けて探し、この恨みの心を見つけ、彼を見下す心を見つけ、この生命が私と縁があり救わなければならない、大法弟子には敵がいない、彼も私の済度を待つ衆生だと悟りました。

 私は自分の心理状態を正して、自ら上司に真相を話しに行きました。彼の立場にたって、慈悲をもって「法輪功とは何か、どうして命がけで大法を守ろうとするか、大法弟子はどうして江沢民を告訴するのか」を話し、また、「江沢民の大法に対する迫害は邪悪で、中国の法律を犯し、同時に国際法も犯し、人道に反する罪や拷問の罪を犯し、最後に国際法廷で裁かれるに違いないこと、彼に追随して大法弟子を迫害する人達も同じように必ず裁かれる」と真相を話しました。そして、彼に「あなたはいい人です、あなたが正しい選択することを信じています。上の違法な命令に従わないで、大法弟子を守ってください、そうすれば、神佛からのご加護を得られます」と言いました。師父のご加持の下、上司の正念は呼び起こされ、彼の目に涙が溢れました。その後、派出所の警官が何度も私を探しに来て、迫害しようとしましたが、いずれも上司に断られました。彼は正しい選択をし、こうしてまた1人の生命が救われました。

 その後、私は同修と協力して、連行された同修を救出しました。私たちは同修の迫害された情報を明慧ネットに送り、地元の派出所の警官の名前と電話番号を調べ上げ、毎日発正念を強め、邪悪の迫害を解体しました。また、魔難にいる同修の正念を強め、同修の家族と協力して弁護士に頼み、その過程で、2人の弁護士にも真相を話し、三退をさせました。また団地の人々にも同修が迫害された真相を知らせようと、団地の全員に手紙を書いて、連行されたのは江沢民を告訴したためであると説明し、迫害の真相をさらに伝え、皆に早く三退して、共に迫害に反対するようにと呼びかけました。私たちは真相シールを作り、多くのビルに張りました。1カ月後、師父のご加持の下、同修達の正念の助けの下、同修の年配夫婦は無事帰って来ました。

 自分の修煉の道を振り返って見ると、一歩一歩がすべて師父の慈悲なるご加護のもとで歩んで来ました。師を信じ、法を信じ、正念を持って正しく行い、常に内に向けて探してはじめて魔難から脱出でき、大法弟子の神聖的な使命を果たすことができることを体得しました。同時に明慧ネットが、私にこのような交流の場を提供してくださったことに感謝します。同修達の交流にも感謝します。それらに照らし合わせて自分を見ることが出来、自分の不足を見ることができました。また魔難を作った人にも感謝します。これらの魔難がなければ、この一歩一歩の向上はありませんでした。

 師父のご要求にはまだまだ差異があり、まだまだ多くの人心と執着を修めなければなりません。これからも、師父の著書『轉法輪』に書かれている教えをしっかりと心に刻み、勇猛精進してしっかり修め、もっと多くの衆生を救い、円満に師について帰ります!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/8/337134.html)
 
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