中国産のスーダンレッドが台湾で流通も、義を重んじた商売人
■ 印刷版
 

 【明慧日本2024年3月20日】(明慧の窓 心篤、方語旋、宇澄  3人の記者による報道)最近、台湾で「スーダンレッド(訳注:発がん性物質)」混入唐辛子粉の食品安全問題が拡大している。この問題は、新北市衛生局が中国から輸入した赤唐辛子の原料からスーダンレッド3号を検出したことに端を発し、この食品がすでに、台湾全土の多くの製品加工業者に流通していることが分かった。

 スーダンレッドは、安価で入手しやすく、安定性があり、色褪せしにくい工業用染料である。食品安全問題で頻繁に登場する問題物質である。台湾行政院食品安全オフィスは、スーダンレッドは第三類の発がん物質であり、直近の2週間に市場に出回っている疑わしい製品を段階的に販売中止にすると発表した。

 現在、中国では、社会の混乱が極限に達し、人々は金儲けのために倫理を捨て、殺人、詐欺、窃盗などの悪行を平気で行うようになっている。日常食に毒物や非食品添加物を使用するなど、文明的な商業道徳は完全に崩壊している。最近のスーダンレッド事件からも分かるように、このような現象は台湾にも浸透しており、中国共産党(以下、中共)による台湾統一工作に加担しているとも言える。

 幸いなことに、名利追求に奔走する現代において、時代の流れに逆らって進む仁商(訳注:仁徳のある商人)と呼ばれる人々が存在する。

 彼の弟子は上等な唐辛子粉で上等な商人を育てた

 中国の商人・百川さん(化名)は、唐辛子粉の卸売業を営んでいた。法輪功を修煉する前は、利益のために、粉砕したトウモロコシの外皮を唐辛子粉に混ぜ、工業用染料(おそらく「スーダンレッド」)で着色していた。このような唐辛子粉を長期的に食用すると、確実に健康被害が出る。しかし、そうしなければ、利益どころか、コストすら回収できず、赤字になる可能性もあった。偽造唐辛子粉と純粋な唐辛子粉の価格は、500グラムあたり何十元も差があるからである。

 法輪功を修煉してから、百川さんは真・善・忍の基準に従って商売をするようになり、粗悪な唐辛子粉を作るのをやめた。百川さんは、建築現場で日雇い労働者として働くことを決意した。そして、最後に残っていた偽造されていない唐辛子粉を、原価で販売業者に売った。原価とはいえ、以前の市価よりも高価であった。百川さんにとって、この取引で良心を守ったものの、損失を出したことを意味していた。

 百川さんは、この唐辛子粉を購入した販売業者に「これは私の最後の商品です。偽物は一切混ぜていません。私は法輪功を修煉しているので、良い人になるために、真・善・忍を実践しています。ですから、偽物は混ぜていません。以前よりも販売価格を上げざるを得えませんが、私としては燃料費と人件費を賄えればそれでいいんです」と言った。販売業者は経験豊富な人であったので、すぐに良い値段で唐辛子粉を買ってくれた。

 さらに、百川さんが建築関係の仕事を見つける前に、販売業者は再び彼に唐辛子粉を注文した。こうして、百川さんの唐辛子粉のビジネスは再び軌道に乗り、ますます好調になり、稼ぎも増えていった。同業者が百川さんに尋ねると、彼はありのままのことをそのまま「私は法輪功を修煉しているので、良い人になるために真・善・忍に従っています。ですから偽物は混ぜません。以前より高く販売しても、皆喜んで買ってくれます」と話した。百川さんの影響で、これらの製造業者も徐々に偽物の混ざっていない唐辛子粉を作るようになった。

 市場の唐辛子の販売業者はよく冗談を言って「なんと、李洪志先生の法輪功はすごいですね。彼の弟子は善良で誠実な人となり、上質な唐辛子粉を使って上質な商人たちを育て、私たちも変わった」と言った。

 不動産仲介業者が顧客のことを考えて誠実に対応することで顧客が絶えず訪れる

 競争が激しく、様々な手法が飛び交う台湾の不動産業界において、羅永傑という名の不動産業者は異彩を放っている。多くの顧客が彼の友人となり、中には彼に長期的な顧客を紹介する人もいる。羅さんは真・善・忍の原則に則って自分の心性を守り、常に他の人の立場に立って誠実に顧客と接するよう心がけている。

 最初は羅さんは馬鹿にされ「金儲けのやり方が分かっていない」「小手先のテクニックを使わずに商売を成功させるのは難しい」「まるで金に縁がないかのようだ」と言われていた。しかし、時間が経つにつれて、羅さんの収入は減るどころか、思いがけない利益をもたらすようになった。

 羅さんは、欺瞞や小手先のテクニックで成約した案件は、一見成功したように見えても、透明性や誠実さに欠けるため、後から不要なトラブルや紛糾に発展しやすいと考えている。結果的に、多くの精力と時間を費やして解決しなければならず、損失の方が大きくなることが多いと結論付けている。

 ある日、羅さんは8000万ニュー台湾ドルの取引を成約した。当時の契約に基づき、売主は200万ニュー台湾ドル以上の仲介手数料を支払い、買主は50万ニュー台湾ドルを支払うことになった。契約当日、売主は全額を支払ったが、買主は契約書に署名した後、急用があると言ってすぐに立ち去り、50万ニュー台湾ドルを支払わなかった。

 その後、会社(訳注:羅さんが勤務する会社)は羅さんに買主と交渉するよう指示した。買主は自分が悪いことを知っており、羅さんに20万ニュー台湾ドルを渡し、羅さんにわいろとして受け取るように要求した。

 羅さんは会社に戻ると、20万ニュー台湾ドル全額を会社に渡し、会社は買主の裏切り行為と事後の悪質な対応に憤慨し、訴訟を起こすことを検討した。しかし、羅さんは会社に「もし訴訟が私個人の利益のためだけに提起されるものであれば、私は訴訟を起こすことは考えていません。しかし、会社全体を考慮した上で訴訟提起の決定が下された場合、全面的に協力し、真実を証言します」と報告した。

 会社はメリットとデメリットを比較検討した結果、訴訟の考えを取りやめ、その後訴訟の話は立ち消えになった。羅さんは「私のものであれば逃げてはいかず、私のものでないならば争っても手に入りません。もしかしたら、これは私が彼に前世で借りていたものを返済しているだけなのかもしれません。それならそれで良いです。もし彼が私に借りができたのなら、別の形で私の損失を補ってくれるでしょう」と言った。

 羅さんは「君子とは、財を愛するにしても、正しい道で得るものです。相手の立場に立って、相手の気持ちを考えて行動すれば、世の中は温かい気持ちで溢れるでしょう」と言った。

 米穀商人は不正な手段で利益を得ず毒胡椒を廃棄し、低価格で被災者を救済する

 清代の休寧県出身の米穀商人、呉鵬翔は、胡椒貿易にも携わっていた。ある年、彼は800斛の胡椒を買い入れる契約を締結した。「斛」は古代の容量単位で、800斛は約8000キログラムに相当する。

 商品を受け取った後、呉鵬翔の仲間は、その胡椒が有毒であることを発見した。販売側は全額返金に応じたが、呉鵬翔は販売側の申し出を断り、商品を返品することも返金を受けることもせず、逆に有毒な胡椒を焼却処分した。その結果、彼は莫大な損失を被った。

 ある人がその理由を尋ねると、呉鵬翔は「もし胡椒を返品すれば、販売側は別の誰かに転売する可能性が高い。そうなれば、多くの人々が被害を受けることになる」と答えた。

 乾隆48年から49年(訳注:西暦1783年~1784年)にかけて湖北省に大干ばつと米価の高騰が起こった。ちょうどその頃、呉鵬翔は四川から数万石の米を運び入れていた。彼は、この機会に米価を吊り上げるようなことはせず、逆に自分の米を市場価格よりも安く販売することで、干ばつで苦しむ人々を助けた。

 結び

 中国の唐辛子商人・百川さん、台湾の不動産業者・羅永傑さん、清朝時代の休寧県の米穀商・呉鵬翔。彼らは皆、利益よりも義を重んじる商売人であり、不義の金は決して稼がなかった。百川さん、羅さん、呉鵬翔のような、義を重んじる商売人の精神は「スーダンレッド」混入唐辛子粉事件を起こした者たちの品格の低さを際立たせている。

 台湾にとって、「スーダンレッド」混入唐辛子粉事件は、中国で人々を苦しめてきた毒粉ミルク(訳注:メラミン入りで毒性のある粉ミルク)、地溝油(訳注:排水溝に溜まった食用油を再利用したもの)、偽装牛肉(訳注:牛肉以外の肉を牛肉と偽ること)、染色魚(訳注:安価な魚を高価な魚に見せかけるため人工的な色素を使って魚の体色を変化させた魚)などの問題が、台湾にも侵食する可能性を示唆する深刻な事件である。これは、単なる「発覚・販売中止」という対策で根絶できる問題ではない。中共の人間たちの目には「台湾は中国の一つの省である」と映っている。商人たちの目には「弱肉強食」「ジャングルの法則」であり、台湾人は彼らの鎌と斧の下で「ネギ(訳注:搾取される消費者)」と「従順な人々(訳注:従順な中国市民)」として見られる可能性がある。

 千里の堤も蟻の穴から崩れる。道徳の崩壊もまた、蟻の穴から始まるのではないだろうか? 100年以上の歴史を持つ北京の同仁堂(訳注:薬店)には「修合無人見、存心有天知」という古い対聯が掲げられている。意味は「人の見ていないところでも、良心に反することや、利益のために義理を欠くようなことはしてはいけない。なぜなら、自分が行ったことは全て、天に知られているからである」ということである。

 道徳を重んじる人にとって、徳は幸福と財産の根本であり、幸福と財産は徳から生まれるものである。財源を広げたいのであれば、徳を積むことが重要である。商人と顧客は互いに利益を得られる関係にあり、商人が誠実でなければ、顧客の信頼を得ることはできない。なので、道徳を重んじる人々は経営において、たとえ損失を被ることになったとしても、誠実さを貫き、欺瞞的な手段で利益を得ようとはしないのである。

 商人が天を敬い、神を敬い、善良で思いやりを持つ時、その商業的才能は天理に反せず、道徳に基づいた行動を取ることができるようになり、神伝文化における商道に合致し、正常な社会の有益な構成部分となることができるのである。

图:当人能坚持敬天敬神、善良体恤的品德,无论做什么,都是对自己、对他人、对社会有益的。(明慧网)

人が天を敬い神を敬い善良で思いやりのある品性を持ち続ければ何をしようと自分自身・他人・そして社会にとって有益なものとなる(明慧ネット)

 (明慧の窓より:https://mhwindow.org

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/10/474071.html)
 
関連文章