明慧法会|師父のおっしゃる通りにする
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 文╱中国の大法弟子 真秀

 【明慧日本2016年11月23日】

 尊敬する師父 こんにちは!

 同修の皆さん こんにちは!

 私は今年81歳ですが、毎日スクーターに乗って、街中を走り周り、資料を配布し、真相を伝え、三退を勧め、十数年来休んだことがありません。周辺の村のほとんどの人は私のことを知っており、私を見ると遠くから「あの法輪功の元気なお婆さんが、またやって来ましたよ」とよく言われます。

 一、一度法を得ると、けっして弛めない

 常人の言葉で言うと、私は星回りの大変悪い人でした。小さい時から乞食をし、15歳の時、家の借金を返済するため、人に嫁として売られました。私はこの一生で4人の男に嫁ぎ、5人の子供を出産し、下の息子が16歳の時に、人から暴行を受け病院で緊急措置を取りましたが、結局助かることなく亡くなりました。最後の夫は、私が61歳の時に、白血病になり家のお金を全部使い果たして、帰らぬ人となりました。その時、家には塩を買うお金すらありませんでした。その年の9月、長男も交通事故で亡くなりました。3人の娘はすべて嫁がせ、最後の夫が引き取った養子は私と仲が悪く、それに私は病気だらけで、生きている甲斐がないと思って、ネズミ捕りの薬を買って来て枕下に置いて、いつ死んでも構わないと思っていました。「私の運命はなんでこんなに悪いのか? 祖先は一体どれだけ多くの業を作ったのか? 生きていてもなんの意味もない」と思いました。

 死んだ方がましだとさえ思っていたこの時期に、私は法輪大法に出会いました。1997年8月、隣近所の人は私の落ち込んだ様子を見て、夫が亡くなってから、なかなか悲しみから抜け出せない私のことを心配して「村には、法輪功のビデオを流している人がいるので、あなたも習いに行けばどうですか」と誘ってくれました。当時、法輪功とは何かも分からず、どっちみち暇だからと思って、その晩、師父の説法ビデオを見に行きました。師父の説法を聞いた私は、分かったような、分からないような感じでしたが、とても感触がよく、聞けば聞くほど気分がよくなり、3日目には、しきりにトイレに行くようになりました。1日何度もトイレに行きましたが、お腹が痛くもなければ体の調子が悪いわけでもなく、それどころか体が軽快になり、とてもいい気分になりました。法輪功の指導員から、師父があなたの体を浄化してくださったと教えてもらいましたが、本当にその通りでした。トイレに行ったり、来たりして、数日後に、私の病気は全部消えてなくなっていました。

 師父の説法ビデオを見て、ある日の夜、私は夢を見ました。1人の背の高い人が手提げかごを持って家に入って来ました。手提げかごの中は全部本でした。私はその中から水色の表紙の本を取り出して、胸に抱きかかえました。その人は「他の本もどうですか」と尋ねましたが、私は他の本を見ても「いいえ、この本だけでいいです」と答えました。目が覚め「これは一体なんの本だろうか? 私は字が読めないのに」と思いました。2日後、法輪功の指導員は私に『轉法輪』を届けてくれました。夢の中の本と同じで、きれいな水色の表紙がかかっていました。

 グループ学法の時に、他の人が法を読むと、私は聞きながら本を眺めていました。私は学校に1日も通ったことがなく、文字を一つも読めません。どうすれば良いか、わかりませんでした、私はいつも本を抱いて眺めていました。娘は「本を持って何を読んでいるの? 字が読めないくせに」と言いました。「文字を知らないけれど、文字は私のことを知っているみたいだよ」と娘に言いました。その後、夢の中で師父は私に字の読み方を教えてくださいました。目が覚めると、その言葉を本から探し出し、こうして、一句一句、一段落、一段落を丁寧にゆっくりと師父は私に教えてくださいました。最初に覚えた言葉は「法を学びて法を得る 比して学び比して修す」[1]でした。これは学法の場所の壁に貼ってある言葉と同じでした。私は毎日毎日それを繰り返し読みました。

 師父の法は一つ一つ私の心に打ち込まれていきました。自分がなぜこんなに苦しんでいたのか、どうしてこれだけの難に遭遇しても、まだ生きてこられたのか、そのすべては、この法を得るためだったことが分かりました。私はいつも本を読みながら大泣きして「師父、やっと師父にお会い出来ました」と思い、心の中で密かに「この後の一生は師父に従い、永遠に後戻りはしません!」とお誓いしました。

 二、邪悪の狂気じみた迫害にも慌てず、平然と対処する   

 私は法を得た喜びの中に浸り、毎日独学するか、もしくはグループ学法に参加し、この歳で生きがいと希望をやっと感じるようになりました。しかし、1999年7月20日、天地を覆いかくすような迫害が降りかかりました。

 まず私達の学法の場所が妨害されました。私は「集団学法は、師父が私たちに残してくださった形で、師父のおっしゃる通りにしなければならず、集団学法の環境は失ってはいけないと思い、自分の家には二つの空き部屋があるから、私の家で法を学ぶように提案しました。指導員もとても喜んで承諾しました。

 そこで、私は自分で塗料を買ってきて、壁を白く塗り変えました。麦の収穫の季節でしたので、たくさんの麦の茎を集め、また定期市で40個の皮の袋を買って来て、中に麦の茎を詰めて、40個の座布団を作りました。同修たちが家にやってくると、皆「この学法場所は豪華ですね」と褒めてくれました。

 その後、状況はますます緊張し悪化して、中国共産党は大法の書籍を全部出せと命令を下しました。私は順番に同修を訪ねては「くれぐれも『轉法輪』の本を出さないように、本を隠すように、大法を絶対に失ってはいけない」と言って歩き回りました。こうして、村の数十人の大法弟子から差し出された本は、たったの1冊だけでした。

 2000年6月、県の「610弁公室」の人員は村で洗脳班を作り、私もそこに入れられました。そこで「610弁公室」の人員から「何を習ったのか」と聞かれました。私は「字が読めないので、『真・善・忍』と『法輪大法は素晴らしい』しか分かりません」と答えました。その人は、出来上がった保証書を取り出して、私に拇印を押すようにと強要しました。私は大声で彼に「私のような年配者は、何にも悪いことをしていないのに、なぜ拇印を押さなければならないのか」と拒否しました。すると、彼は私を家に帰らせました。その後、師父の法「邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができる」[2]を習った時に、私はこの出来事を思い出しました。私が正しい行動を取ったから、邪悪が解体され、無事に帰ることが出来たのです。

 2001年の正月に、若い同修カップルが1歳あまりの子供を連れて、路頭に迷い住む所を失いました。その時、各地で同修が連行され、親戚も彼らを引き取る勇気がなく、そこで、私は彼らを家に泊まらせました。その後、さらに数人の路頭に迷った同修がやって来て、多い時には8人が私の家に泊まっていました。前後合わせて十数人の同修が家に泊まりました。人が多くなると、同修の出入りが目立つようになり、村の副書記長の注意を引き起こし、彼は「610弁公室」に通報しました。

 ちょうど麦の収穫の季節で、私は家でパンを焼いており、同修たちの食事の用意をしていました。県の「610弁公室」の主任が7、8人を連れて、私の家に押し入り、物をかき回しながら大声で「お前、こんなにパンを焼いて誰に食べさせるのか?」と怒鳴りました。私は「自分で食べます。ちょうど収穫の季節だから、どこの家だってたくさん作っていますよ」と言うと、彼は「お前の家には、法輪功の人が住んでいるはずだ。お前はいい度胸があるな」と言いました。私は「それがどうしたのですか? 法輪功の人は人殺しをしないし、放火もしないのだから、なんでそんなに怖がるのか?」と言いました。

 私は彼らに応対しながら、同修に「ここは危ない、帰ってこないように」と、どうすれば知らせることが出来るかだけを考えました。私は突然「息を止めて、彼らを脅かそう」とひらめきました。こう思うと本当にバタッと倒れ、息をしなくなりましたが、彼らの声はよく聞こえていました。彼らは私を見て慌ててベッドに移しました。しばらくしたら、息ができるようになり、私は「610弁公室」の主任に「誰かを呼んできなさい。私は着替えたいのです。おしっこを漏らしました」と言うと、彼らは隣の家の甥の嫁を呼んできました。彼女は同修です。私はこっそり彼女に「早く皆に知らせてください」と伝え、こうして情報を送りました。「610弁公室」の人たちは私の家で正午まで待ちましたが、誰も帰って来ないのを見て、仕方なく帰っていきました。

 その後、私の家は重点的に厳しく監視されるようになりました。彼らはほとんど3日にあげず来ては、長い間、昼も夜も外で監視していました。師父は「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります」 [3]とおっしゃいました。私の心の中には恐れる気持ちはまったくなく、やるべきことをいつも通りやっていました。ある日、彼らはまた家に妨害にやって来て、しかもなかなか帰らないため、私はシャベルを取り出し、彼らを追い払いました。時間が経つと、彼らは私にどうすることも出来ず、その後は来なくなりました。当時の「610弁公室」の幹部は「彼女は1人暮らしで心配して、ここにいた」と皆に嘘を言いました。

 三、広く真相を伝えて衆生を救う

 邪悪の天地を覆い隠すような誹謗中傷と狂気じみた迫害に直面しても、私は大法と師父に対してまったく疑いませんでした。私は師父のおっしゃる通りに行い、真相を伝え、人々を救いました。

 あの時、毎日耳にしていたのは、こっちの同修が連行されたとか、あっちの同修が連行されたとか、そのような情報ばかりでした。路頭に迷って私の家に住んでいた同修も、夜、真相資料を貼りに出かけた後、帰って来なくなり、数日後、連行されたことが分かりました。労働教養処分を受ける人もいました。当時至る所に恐怖が充満し、多くの同修は恐れて家にこもってしまい、真相資料もだんだんと乏しくなっていきました。

 ある日、私は夢を見ました。師父がある同修の所に資料があると啓示してくださいました。翌日、私は同修の所に行って、資料が欲しいと頼んだとき、彼はびっくりして誰から聞いたのかと聞かれましたので、私は「師父です」と答えました。彼は「いっぱいあるよ。でも家にじゃなくて、菜園に置いてあるんだ」と言うので、彼について菜園に行きました。私は袋に資料をいっぱい入れて、それを背負って帰りました。

 当時の資料はほとんど貼るもので、カラフルな紙の印刷物でした。あの厳しい環境の中、私の周りに資料を貼る同修はもういなくなりました。そこで、私は自分で糊を作って、小さなバケツに入れ、また鍋を洗う時に使うブラシを持って、真相資料をスクーターに乗せ、上に袋を被せて日が暮れると出かけました。途中、私は心の中で「師父、私は真相資料を貼って、大法のために公平な話を言います。師父がいらっしゃれば、私は何も恐れません。同修達が出てこなくても、私1人でもこの資料を全部貼って来ます」と言いました。

 貼る場所があれば、私はスクーターを止めて、右手にブラシを持ちバケツの中の糊をつけて、左手は資料をかぶせる袋を取り、裏返しに置いてある真相資料に糊を塗って、それから資料の両端を掴んで、壁に、あるいは電信柱に貼りました。この貼り方は、1人でしたが2人でするよりも早く作業が出来ました。私は心の中で絶えず師父に感謝しました。この読み書きも出来ない田舎者の年寄りが、師父から知恵をいただかなければ、このような方法をとても思い付きません。こうして私は一晩中、貼り廻りました。夜明けになったころには、袋にある真相資料を全部貼り終えました。一晩中一睡もしなかった私でしたが、まったく眠くもなく疲れも感じず、むしろ体が軽くなりました。

 それから、もう1人の若い女性同修も出て来て、私と一緒に真相資料を貼るようになりました。当時、夜になると、パトカーがあっちこっちを走り回り、とても鼻息が荒かったのです。私たちは彼らと隠れん坊をしました。パトカーが来たら私たちは隠れ、パトカーが行ってしまうと、後ろで真相資料を貼りました。時には資料を背負って、あっちこっちに一晩中貼り続けました。ある日、私は真相資料をペットカートの上にも貼りました。

 その後、資料が多くなり、私は定期市で配るようにしました。一度に定期市で数百枚から1千枚を配りました。「610弁公室」の幹部は、定期市でビラを配っているのが分かっているのに、どうしてもその人物が見つからないと言っていたそうです。私は心の中で笑いながら師父のご加護があるから、あんたらには見つかるものかと思いました。

 迫害されて十数年、風が吹こうが雨が降ろうが、私は資料を配り、真相を伝え、人を救い、一度も休んだことがありません。真相資料を提供してくれる同修たちに心から感謝しました。彼らは私がほしい分だけの資料を提供してくれました。そして、欲しいものだったら何でもありました。特にこの数年、真相資料は種類がますます多くなり、ビラもあれば、大、小冊子もあり、シールや卓上カレンダー、壁掛けカレンダー、条幅、DVD、真相紙幣、お守り、真相ペンダント等があり、世間の人もますます欲しがり、読みたがりました。

 『共産党についての九つの論評』が発表された後、私は面と向かって真相資料を配り、三退を勧めました。三退を勧める時、相手が同意すれば、その人に名前を書いて貰い、時には、字の書けない人には他の人に代筆してもらうこともあります。定期市で商売をしている人と友達になり、彼らは私を見ると、遠くから私を指して「見て! 法輪功のお婆さんがまた来たよ」と言います。私は笑いながら挨拶をして「また宝物を届けに来ました」と言います。特にお正月が近づくと、私が持って来る壁掛けカレンダーや卓上カレンダーは、いくら持って来てもすぐに飛ぶようになくなり、明慧ネットのデザインした卓上カレンダーと壁掛けカレンダーは、実に美しくて人気を呼びました。

 四、強い正念で警官に対応する

 数年来、私は警官に何度も連行されましたが、いずれも脅かされても怖がらず、正々堂々と家に帰りました。一度、私は昼間に横断幕をかけに行くと、3台のパトカーに止められ、派出所に連行されました。師父は「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[4]とおっしゃいました。彼らの質問に対してすべて答えず、ひたすら発正念をして、警官らが悪いことをしないように、彼らを操る邪悪を一掃しました。しばらくすると、机の上の卓上扇風機がポキンと雷のような大きな音を立てました。私を尋問していた3人の警官らはびっくりして、全員部屋から逃げ出し私のことを構わなくなり、30分後、警官らは私を家に送り届けました。

 2012年7月の末、派出所の警官は私が留守をしている間に、家の錠をこじ開け、私の家に押し込り、大法の書籍、パソコン、プリンター、また誕生日の時に親友から貰ったお祝いのお金1万元を奪い去り、戸棚もこじ開けられていました。私は外から帰って来るとすぐに派出所に連行されました。いつも真相の資料を配っている事が、誰かに通報されました。1人の警官が「鉄の椅子に座れ」と命じました。私は「座りません。それは悪い人が座るところです。私はいい人ですから、座りません」と答えました。警官は「お前はどこに座りたいのか。まさかソファーがほしいなどと言わないだろうな」と怒鳴りました。私は「あなたの善意に感謝します、良い人に優しくすれば、必ず報われます」と言うと、その話を聞いた警官はすぐにその場を離れ、戻って来なくなりました。

 しばらくしたら、よその土地の訛のある警官が入って来て、私に「恐れないでください。私の母も法輪功を修煉しています。今晩、あなたはここで煉功していいですよ」と言ってくれ、翌朝6時になると、6時の発正念をするように促し、肉マンを二つ買ってきてくれました。出勤時間になると私を家に帰らせました。

 さらにその後、私は定期市で資料を配る時、警官が来て私を見ると「またあなたか?」と言って、背を向けて立ち去って行きます。

 ある時、私は真相資料を配っていると「あなたはまだ配っているの」と誰かが私を呼んでいるのが聞こえました。振り返って見ると、私を何度も迫害した元「610弁公室」の主任でした。彼は私に「俺の母親も大法を習うようになったよ」と言いました。私は「お母さんが習っているなら、あなたも習うべきです。あなたは相当業を作ったから、法を習って、罪を消去しなければなりませんよ」と伝えると、彼は「あなたはしっかりやってください! しっかりやってくださいね!」と言いながら去って行きました。その後、彼の奥さんも大法を習い始めたそうです。

五、正念を持って、正しく行う

 私は何度も交通事故に遭いました。スクーターだけでもこの数年で、3台も買い替えましたが、毎回、私は自分の行動で法を実証することが出来ました。

 ある時、私はスクーターに乗って、同修の家に資料を取りに行く途中で、バイクに乗った若者に追突され、スクーターの下敷きになり立ち上がれなくなりました。若者がスクーターをどけて、私を立ち上がらせて「どこか怪我をしていませんか? 病院にお連れしましょう」と申し訳なさそうに言いました。私は「病院に行かなくてもいいですよ。私は法輪功の修煉者で、師父が私を管理しておられますから」と言い、彼に真相を話すとすぐに少年先鋒隊から脱退しました。そして「私は本当に良い人に出逢いました。こんなお年寄りにぶつかってびっくりしました」と詫びました。私はそのままスクーターに乗って、資料を運びに出かけました。師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[5]とおっしゃいました。その時、私は70代でしたが、バイクに衝突されてもまったく無傷でした。もし師父のご加護がなければ、結果は想像ができないものだと思いました。

 十数日後、娘が家に来て、スクーターの前輪のフォークが折れているのを見て「これどうしたの? 」と聞きました。私は数日前に事故に遭った話をして、怪我もなく、スクーターにも乗れるので大丈夫だと言いました。娘は「スクーターの前輪のフォークが折れているから、乗れるはずがないでしょう」と言って、新しいスクーターを買ってくれました。確かに、前輪のフォークが折れたのに、どうしてこの十数日の間普通に乗れたのか、私も不思議に思うようになりました。

 またある日、道で、別のスクーターに腰をぶつけられ歩けなくなったため、運転手に家まで送って貰いました。彼は医療費を払おうとしましたが、自分は法輪功の修煉者であり大丈夫だと言って彼を帰らせました。彼が帰った後、痛みが激しくなり、涙をぼろぼろ流しながら座禅をしました。座禅をしている間、腰の所でバリッ、バリッと音がしので、試しに歩いてみると治っており、まったく痛みが無くなりました。師父は私のために接骨してくださったのです。師父に本当に感謝いたします。

 昨年6月末のある日の午後、私はうっかりしてベッドから落ちて、右肩が先に地面に叩きつけられポキンと音がしました。立ち上がったら腕がおかしいと感じ、その時は何も思わなかったのですが、いつものように、法を習ってその後、6時の発正念をしました。夕飯を食べたくなかったため、先に煉功しようと思いました。第一式の功法を煉り終わった時、手を伸ばすとポキン、ポキンという音がして骨が取れたような感じがしましたが、私はあまり気にせず五式の功法まで全部煉リ終えてそのまま寝ました。翌日の朝の煉功の時、手は伸ばせなくなり、肩はパンパンに腫れ、食欲もありませんでしたが、無理してご飯を炊きました。なぜなら、長年、毎朝、私は必ず師父にお香を立て、ご飯をお供えしていました。

 朝ご飯の後、1人の同修が来て、私の鎖骨が突起しているのを見ました。薄い夏服の姿を見て、同修にはすぐ分かりました。彼女は2人の娘に電話をして来てもらいました。娘が私の様子を見て、びっくりして無理矢理に整骨病院に連れて行きました。医者はまずレントゲン写真を撮って「鎖骨が折れただけではなく、位置もずれており、手術をしなければならない」と言いました。私は断固として手術を受けないと言い張りました。娘2人に「骨が折れていても、位置がずれていても構わない、師父が私を管理しています。あなた達は私に構わないでください。家に帰って煉功すれば、3日間も経たない中に絶対によくなります。3日間で治らなければ、それから病院に送っても遅くないでしょう」と娘たちを説得して家に帰りました。

 翌朝5時半、私がまだ功を煉り終わっていないのに、娘は心配して見に来て、どうですかと聞きました。私は彼女に見せました。鎖骨はまったく腫れておらず、突起もなくなっていました。娘は「法輪功は本当に病気治療ができるのですね、法輪功の師父に感謝します」と言いました。

 あの同修がまた見舞いに来て「あの日、娘さんに言うべきではなかった。あなたにご迷惑をかけました」と謝りました。私は「これは良いことですよ。レントゲン写真を撮って骨折が証明されましたが、私は手術をせず、3日間で治りました。これもまた、大法を実証したのではないですか」と逆に同修を慰(なぐさ)めました。このことは地元で大いに噂されました。

 今春、村の70代の年配者が病気になり、どこの病院にも受け入れてもらえず、家に帰って葬式の用意をしました。お孫さんは私を彼女の家に呼びました。家に入ると、彼女は点滴を打ちながら酸素ボンベで呼吸をし、全身が発酵したパンのようにパンパンに腫れ、足はバケツほどの太さになっており、目も腫れて開けられません。家族の話では、すでに5日間何も口にせず、水を飲ませるとすぐに吐き出してしまい、すでに相手が誰であるかも分からない状態でした。家族は私が法輪功を煉功しているのを知って、最後の一縷(いちる・わずかな)の希望を持って頼みに来たのです。

 「法輪功を煉功している私が呼ばれたので、彼女は大法ときっと縁がある」と思いました。私はなんとか彼女を救いたいと思い、心の中で師父にご加持とこの生命を救ってくださるようにお願いしました。それから、私は彼女の隣で2時間発正念をしていると、彼女は目を開けて私に微笑みました。彼女は私のことが分かりました。私は彼女に「誠心誠意、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、李洪志先生は素晴らしい』と念じれば、師父はあなたを救ってくださいます」と伝えると、彼女は頷きました。また家族にも「皆さんも誠心誠意、念じてください」と伝えました。家族はお婆さんの変化を目のあたりにして、皆で彼女を囲んで大声で念じました。

 午後1時頃、私は再び彼女の家に行った時には、完全に目を開け、しかも話せるようになりました。娘さんが彼女に水を差し出すと、それを全部飲み干しました。午後5時になると、ミルクも飲めるようになりました。私は彼女と家族に「これからも、あなた達が誠心誠意『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じれば、病気はきっと回復します」と伝えました。

 翌日の午後、点滴と酸素ボンベが取り外され、それから大量に排尿をし、お腹以外のところの腫れが消え、3日目には、お腹の腫れも消え、5日目は朝ごはんに卵1個とおかゆが食べられるようになりました。7日目には、ベッドから下りて自分で歩けるようになりました。今彼女は毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じており、体はすべて回復し家事もできるようになり、隣近所の家まで話をしに行けるようになりました。

 この事は村中を驚かせ、周りの村まで噂が広まりました。皆は「『法輪大法は素晴らしい』は本当に人を救えるのですね」と噂しました。その後、多くの人は私からお守りを貰い、そして私に法輪功を習いたい人も出てきて、以前私のことを頑固一徹だと言ったあの村の幹部までもが、私に会えば必ず「法輪功は素晴らしい」と一言言うようになりました。

 私は今年81歳になりましたが、60歳の時よりも元気だと人によく言われます。私も自分の体が若い人と同じように、元気いっぱいだと思っています。私はあまり多くの法理を言えませんが、これからも「師父がおっしゃる事をよく聞き、師父の言われる通りにしっかり行おう!」と悟りました。師父が「真相を伝え、人を救うに」とおっしゃるならば、私は毎日でもスクーターに乗って真相を伝え、人を救いに出かけました。師父が「発正念をしなさい」とおっしゃるならば、私は欠かさず発正念をしました。そして、30キロ離れた他の県の留置場に、数十キロ離れた留置場に、スクーターに乗って発正念に行きました。地元では、毎月1日と15日は県政府所在地に行って、警察署・検察庁・裁判所で発正念を行いました。10年前から現在まで欠かさず、私は毎回必ず行きました。この数年間、行く人が少なくなり、時には私1人だけになることもありますが、それでも、私は欠かさず発正念を堅持しています。

 私は80人余りの同修たちに大法資料を提供しています。師父の新しい経文が来たら、彼らに届けに行き、定期的に彼らに「明慧週刊」と真相資料を送り届けます。環境の厳しいころ、一部の同修は資料をもらう勇気がなく、私は自分で配りに行きました。師父のお話をよく聞いてよく行えば、何の心配もなく、一番安全です! 師父のお話をよく聞いてよく行えば、修煉の道から決して外れることはありません! 師父のお話をよく聞いてよく行えば、私たちは円満成就して必ず家に帰ることができます!

 師父に感謝します!

 同修に感謝します!

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第13回中国大法弟子修煉体得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/8/337150.html)
 
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