漸悟の中で見た長期にわたる病業(十三)
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文/中国の大法弟子 洪願

 【明慧日本2014年11月1日】本文は作者が自分の状態の中で見たもので、あくまでも同修のご参考まで。法を師としてください。(編集部より)

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 20、古い学習者が各種の欲望を長期にわたり取り除かず、安逸心を生じ、口実で隠す

 修煉にとって、色欲が最も至難の関です。これについての交流は既にたくさんありますから、ここで省いておきます。しかし、欲望はこれだけに限りません。

 師父は『轉法輪』の中で「常人の中のさまざまな欲望や執着心を捨てること」と説かれました。古い同修の多くはここを読んでも、自分を照らしません。

 おいしいものを食べたい、褒められたい(褒め言葉だけを聞きたい、耳に障る話だと妨害だと思う)、常人の中のきれいなものが好きで、物質的な享受をしたい、お金を使うことを楽しむ・・・全て常人の欲望ですが、しかし、このような同修は理解できていないため、欲望に慣れ、ますます安逸心を助長し、気づくことができません。

 このような同修は、精進している同修の家に行ってみたら分かると思います。もし自分がそのような環境の下で生活や修煉をしたらできますか、耐えられますか? 師父は『米国法会での説法』の中で「あってもなくても同じです。それならあなたはこの関門を乗り越えました」と説かれました。自分はここまでできますか? 自分より裕福な同修を見ても、少しも羨ましがらないでいられますか? 経済条件が悪い同修の環境に長くいても、少しも嫌がることはないでしょうか? 喜んで精進できますか? できるなら、本当に素晴らしいです。物質的な享受の関を本当に乗り越えられることを意味します。

 しかし、多くの同修はできず、生活水準が少し下がると、食べる欲望に耐えられず、時間が長くなると、他の面も耐えられなくなって、安逸に陥り抜け出せないのです。

 ある典型的な教訓があります。ある同修は以前とても苦しみに耐えることができ、肉体が浄白体状態になるまで修煉できました。しかし、その後環境が変わって、それほど大きな圧力がなくなり、生活もよくなり、安逸心が少しずつ生じ、色々な欲望が湧いてきて、心性が落ちてしまいました。そして今では苦しみに耐えなくなり、苦労すると辛くなり、体も後退して、黒く、病業も戻りました。苦を嘗めたくないから、修煉する自信もなくなりました。

 21、小グループの中で修煉し、全体の協調に溶け込まず、ネットの交流文を読んでも自分を中において照らさない

 自分と意気投合する小グループの中で修めている同修がいます。全体の協調に溶け込まず、長期にわたり病業を抱えて乗り越えず、他の同修が交流しに来ることも許せず、自ら全体の協調から離脱しています。このようにすればするほど、病業も乗り越えられません。ようやく乗り越えても次の病業もやってきて、法理において根本的な昇華がなく、心性も変わっておらず、関を取り除けません。

 一部の同修はネットの交流文章を読んで、確かに自分の不足を見つけることができますが、しかし、自分の法理における差と心性の差だけが見えています。もし自分の身を交流文章の中に置き、自分がこのような魔難に陥ったとしたら、自分の心はどのように動きますか? どのような時に耐えられないのでしょうか? どのような念を生じるでしょうか? どうして? 自分の深く隠れている執着心を暴露し、取り除くことができます。このように同修の体験を読めば、自分も同じ関、難に直面しているようで、人心をまっすぐ指し、取り除き、向上することもとても速いです。

 長期にわたり自分に変化があまりない学習者は、交流文の中の精進している同修のように試してみれば、これは「人為的に苦を探して嘗める」ではなく、手本にするでもなく、「比して学び比して修す」(『洪吟』「實修」)することになります。やってみれば分かるのですが、他人が嘗める苦は自分にも耐え難いもので、多くの執着心を暴露でき、師父が『轉法輪』の中で説かれた「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」のように、行っていけば、必ずできるようになります。まず自分の苦を嘗める能力が高めていけば、心性も向上し、法に対して新たな認識を生じ、修煉において境界を突破できます。それで段々と全体の昇華の中に溶け込んでいくことができます。

 互いに影響し合い昇華する中で、一つ注意すべきことがあります。決して相手を見下してはならず、他人を見下せば自分を見下すことになり、皆が一つの全体だからです。互いに包容する心が広くて他人が自分の世界の一部、自分も他人の世界の一部のように、あなたの中に私がおり、私の中にあなたがおり、宇宙の構造がまさにこのようで、彼はあなたの左右の手のようです。もしこのような全体を形成できれば、旧勢力が自ら退いていきます。全体に溶け込むことに影響するあらゆる観念、互いのあらゆる観念でも旧勢力が迫害を重くする口実になります。

 大法の一粒子として、真に師父が『轉法輪』の中で説かれた「最後には万に上る脈を一面につないで、身体全体が一つにつながるような、脈も無くツボも無い境地に達する」のように、全体の協調がこれぐらい達成できれば、邪悪がツボを探しても見つからず、迫害も絶対に存在しなくなります。これは一人一人が自我、私心、観念を放下し、共同の努力が必要です。

 長期に病業に陥っている同修は、人によって多方面の原因を抱えており、上記に述べた半分ほどの問題を抱える人もいます。すでにとても危険な状態です。それほど大きな隙があるのですから、心を開き、決心して補って改めなければ、皆が助けても役に立ちません。

 師父は『洪吟』「師徒の恩」の中で「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」と説かれました。心から真に認識でき、やり遂げたら、本当に改めれば、必ず大きな関でも乗り越えられます。

 実はこれらの病業はすべて、以前関を直面するとき、心性が向上できず、延長してしまったによって溜まってきたものです。誤りを犯して新たに作ったのもあり、日々溜まって大きな関になり、生死の関になるまで積み重なったのです。これらの教訓をもって他の同修に鏡として注意してもらうべきだと思います。

 以上個人の心得なので、不適当なところがあれば、ご指摘を願います。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/24/299248.html)
 
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