断固として修煉の道を歩む
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文/天津の大法弟子

 【明慧日本2014年12月16日】私は66歳の農家の主婦で、1998年に法輪大法の修煉を始めました。師父の慈悲なるご加護の下、私はよろめきながら、十数年間の修煉の道を歩んできました。

 一、厳寒に「小さな花」を咲かせる

 大法を修煉する前、私は長患いをしていました。修煉後、健康になり、すべての病気が消えてなくなりました。1999年7.20、中国共産党は大法を迫害し、多くの誹謗中傷のデマを流し始めました。そこで、私はためらうことなく、真相を伝え、衆生を救い済度する道を歩むことにしました。

 当時、私は家を一軒一軒訪ね、真相資料をすべての家庭に届けていました。その頃、資料拠点は多くなく、同修に頼って資料を手に入れるために、ただ待っているだけでした。これは良くないと思い、自分で資料拠点を作ろうと考えました。私は「自分はインターネットを利用できなくても、コピー機さえあれば、印刷するだけでもいいのではないか」と思いました。そこで、私は小型コピー機を買ってきて、自宅で印刷を始めました。原稿は同修が提供してくれたもので、印刷は出来る範囲内にして、出来上がった資料は全部配りました。週刊冊子の場合、1冊もらってきて一枚一枚ばらし、それをコピーしてまた綴じました。こうして、とりあえず周囲の同修たちに必要な資料の問題を短期に解決することができました。

 時には、原稿の文字の色が薄く、その上、当時使っていた小型のコピー機は今のように性能が良くなく、まったく写らない場合もありました。その時は、一字ずつ文字を濃くなぞり、それから、再び印刷するようにしました。私が印刷した資料は、周辺の数十の村々にまんべんなく配りました。これらの村に何回行ったのか、覚えられないくらいです。それぞれの村のどこから入って、どこへ出るのか、私はとても詳しくなりました。

 資料を配りに行く前、毎回、私は家を出ると直ぐに正念を発し、師父にご加持をお願いして、「大法弟子は宇宙の中で最も正しいことを行っています」と念じました。時々、危険なことにも出会いましたが、しかし、師父のご加護の下、いずれも危険を回避して無事に帰って来ることができました。

 二、家庭の関門を突破し 夫も修煉の道を歩む

 最初の頃、夫は修煉をしていませんでした。1999年、大法が迫害された後、私の家庭環境はとても悪くなりました。2001年、娘は法を実証するために上京し、不当に労働教養を科され、その後、悪人が嫌がらせをしにしばしば自宅に来るようになりました。これらのことは夫にとって精神的な重圧となりました。夫はいつも一晩中寝ないで私を罵倒し、その上、私が資料を配りに行くことに反対しました。私は夫に黙って、家事に影響を与えないよう、これまでと少しも変わらず、真相を伝え、資料を配りました。

 私は「こんなに素晴らしい大法を人に伝えなければ、それは利己的な行為だ」と思い、そこで、ここ十数年来、市場が開けば、私は必ず行くようにしています。市場の人は皆私を知っています。

 2003年9月頃のことでした。夜の7時頃、すでに日が暮れて、私は夫が家事をしている隙を見て、資料を配りに出かけました。しかし意外なことに、夫がこっそりと後を付けていて、私はそれにまったく気付きませんでした。帰宅してから、夫は気が狂ったかのようにかんしゃくを起こし「娘は労働教養処分になり、お前もまた入れられたら、この家はどうなるのか? お前の本を全部破ってやる」と怒鳴りました。

 その時、私は心性を守りきれず、闘争心が出てきて、大声で「やれるもんならやってみせてよ!」と言いました。そのとたん、夫は本を置いている場所へ突進し、本を引っ繰り返して引き裂きました。私は一生懸命、夫から本を奪い取り、大法の書籍を抱え込んでしゃがみ、じっと動かず、夫が殴るのに耐えていました。しかし、やはり『轉法輪』1冊と『洪吟』1冊が夫に引き裂かれました。私の心はひどく痛みました。

 今になっても、そのことを思い出すとまだ涙が出てきます。自分の話し方と善の心が足りなかったため、大法に対して家族に罪を犯させたことを後悔してやみません。

 引き裂かれて一面に散らかった紙切れを見て、私は悲しくたまりませんでした。私はビニール袋を持ってきて、床に散らかった紙切れを一枚一枚拾って、1枚も残さず全部袋に入れて保存しました。その時、「師父は『佛法無辺』とおっしゃっていますから、もしかして、いつか一冊の完全な大法の本になるのではないか」と、思いました。

 私は夫が理性的な時を見計らって、大法の本を破れば、業を作る道理を話しました。私が「あなたは大きな罪を犯しました。あなたは大法の本を破ったのですよ」言うと、夫はすぐに「それなら、貼るよ」と言いました。私は「こんなに破ってしまって、どうやって貼るの?」と聞くと、夫は「できる」と言いました。そこで、私は「鉄は熱いうちに打て」と思い、食事が終わると、紙切れが入ったビニール袋を取り出して、オンドルの上に全部出しました。私はこれほどばらばらになった紙切れを見て、中には指の爪ほどの大きさのもあり、どう貼ればいいのかと頭を抱え込みました。

 その時、私の脳裏に突然「まず、本のページ数を探し出せば、ずいぶん早く貼り合わせることができ、元のようになるのではないか」と閃きました。こうして、師父のご加持の下で、紙切れはだんだんと少なくなり、作業もますます早くなりました。朝の7時からずっと夜の9時まで、すべての紙切れを透明テープで貼り合わせて、1冊の『轉法輪』が完成しました。私はとても嬉しくなりました。現在もこの『轉法輪』はまだ読まれています。夫も現在、大法の修煉の道を歩んでおり、すでに数年が経ちました。

 三、正念をもって 「610弁公室」の不当連行を突破

 2004年8月頃の昼時のことでした。私が12時の発正念をしていた時、突然、地元の派出所の程という警官が市と区の610弁公室の関係者6、7人を連れてきました。玄関前に2台のパトカーを停め、無断で家に押し入りました。その時、師父のご加持があり、私は正念がとても強く、すぐに夫に小さな声で「警官らを恐れないで」と言うと、夫は「ふん」と一言だけ答えました。

 私は彼らを迎え「あなたたちはまた何のために来られたのですか? また法輪功を探すのですか? 私たちは普通に生活していますが、誰を妨害しましたか?」と言いました。それから彼らに真相を伝え、大法弟子を迫害しないようにと説得し、迫害すれば自分にも家族にも悪影響を与えること、また、大法弟子は皆良い人であること、さらに、文化大革命の時、共産党は地主や裕福な農民が人を搾取していると言って、彼らをやっつけたこと、劉少奇を裏切り者、内通者、スト破り・・・と言って、酷く懲らしめたことなどを話しました。

 彼らは私の話を止めて、そして偽善的な態度を装おい、「明賢ネットの文章はあんたが書いたものか」と聞きました。私は「知りません。見せてください。本当の話なら、人に見せても平気だし、そうでなければ、勝手に書かないでください」と言いました。

 彼らは車の中からその文章を取り出して私に見せました。私はそれを見て、「その通りです。間違いありません」(文章の内容は私が修煉して恩恵を受けたことに関するものでした)と言いました。彼らはまた偽善的な態度で、誰が文章を書いたのか、資料拠点はどこにあるのか、また私が煉功していることを誰に言ったのかを聞き出そうとしました。私は道理をふまえ言葉も厳しく、「私は誰にでも話しています。それどころか、私が言う前に皆、『おばさん、お元気ですね。働き者ですね。毎日野良仕事をして、本当に『強い人』になったね』と言っています。私が『それは法輪功を修煉したおかげです』と答えるのは当然でしょう」と言いました。このようにして、私は彼らと半日対峙しました。

 彼らは優しい手段は効果がないとみて、今度は強固な手を使おうとしました。その中の1人が「お前が吐かなければ、お前を連行するぞ。あっちに(留置場を指す)行けば、お前は吐くだろう」と言いました。私は断固として、大声で「あなたたちにはっきり言いますが、あそこは私の居場所ではありません」と言いました。すると、2人が上がってきて、私を連行しようとしました。私は大声で「では、私達は大通りに出て、話し合おうじゃありませんか」と言いながら、さらに「警官が不当に良い人を連行します」と叫びました。私は1人の警官を掴まえて、門の外へ引っ張り出そうとしました。

 その時は午後の3、4時頃で、畑仕事をする人はまだ出かけていないため、大勢の人が集まって来ました。

 夫もその時、とても正念が強く(当時まだ修煉をしていない)、夫はパトカーのドアの前に座り込み、私を車に乗せないよう、彼らをさえぎり、そしてとても厳しい声で「あなたたちが妻を連行すれば、1人を残して、私と野良に出て、畑仕事をしなさい。そうでなければ、誰も妻を動かすな。あなた達が人を逮捕するのは違法だ。私は裁判所へあなた達を訴えます」と言いました。警官の1人は電話をかけながら、「強制執行だ」と言いました。

 その時、私の正念はとても強く、師父のご加持を感じました。同時に、家族もとてもよい働きを果たしてくれました。数時間の対峙で、彼らの連行は計画通りにいかず、彼らはがっかりして帰って行きました。

 今回の経験から、また「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)を実証しました。その後、悪人はまた何度も嫌がらせをしに来ましたが、いずれも、師父のご加護の下、無事に回避することができました。

  四、正念で病業の妨害を突破する

 たぶん2008年の冬のことだと思います。あの日もいつも通り、3時50分の世界大法弟子の朝の煉功に参加しました。その時、夫はすでに大法の修煉を始め、毎日私と一緒に朝の煉功に参加していました。

 第2式の抱輪を煉功していた時、私は突然、全身の力が抜け、とても気分が悪く、全身汗びっしょりになりました。私は心の中で「師父、お助けてください」とお願いしました。そして、「師父の按排に従いますが、そうでなければ、断固として認めません」と心の中で繰り返し念じました。突然、私は気を失って、倒れてしまいました。ただ、夫が耳元で「ソファーに座ろう」と言う声だけが聞こえてきました。私は知らないうちにソファーに横になり、しかもとても気持ちよく感じました。

 しかしその一瞬、私はとても警戒しました。直ちに意識ははっきりして、「これは旧勢力の仕業だ」と分かり、絶対認めないと思いました。私はすぐに立ち上がり、「動功は出来るところまでしよう」と思いました。煉功が終わると、体調はすべて正常に戻りました。

 後で夫から聞きました。私が倒れた時、夫も正念が強く、良くない考えはまったくなかったとのことでした。

 今回の病業は私に警鐘を鳴らしてくれました。どこが旧勢力に隙に乗じられたのかを反省しました。以前にも何度か病業らしき症状が現れましたが、いずれも軽かったため、私は内に向けて厳しく探すことをしませんでした。考えて見れば、私は毎回煉功する前、いつも無意識的に師父に法を伝授されてからの年数を指で数えていました。それは法を正す時期がいつ終わるのかを待ち望んでいて、とても時間に執着していたのです。私の潜在意識の中に、苦しみに耐えたくない、早く円満成就したいという心があったからです。その心を発見して驚きました! これはなんと利己的で、衆生を救い済度することを最優先に考えていない、善の心のなさの現われでした。発見した後、私はそれを取り除こうと決意しました。その後、体にこのような病業が再び現れることはありません。

 この交流文章は、私が1年をかけて書き、その後、同修である娘が整理してくれたものです。私の教育水準が高くないため、不適切なところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/24/300319.html)
 
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