文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年12月4日】私は1995年に大法に出会いましたが、2011年、私は自分のことに追われ、学法もしなくなり、修煉ができませんでした。すると、偽りの病業が現れました、腰が痛く、まっすぐに伸ばすことができませんでした。しかも、その痛みは数カ月も続きました、おまけに、腰は変形し、おしりまで歪んでしまいました。同修が発正念をしても、効果がありませんでした。
2012年4月、病業はますますひどくなりました、腰から下の足首まで、耐えられない痛みが一秒ごとにきて、すべての毛穴は針に刺されたように、絶えず痛みました。あの感覚は、まるで生きている人の皮を剥がされるように、横になっても、伏せても、腹ばいになっても、座っても、ひざまずいても、どんな姿勢でも耐えられませんでした。二昼夜ひっきりなしに寝返りを打っていました。この間、妹(同修)が発正念をしてくれ、良くなった時もありますが、しばらくすると、また痛みが出てきました。やむを得ず、涙を流しながら、師父に助けを求めました。その後、同修達にも電話をかけ、家に来てもらうことにしました。
電話を切ったあと、私はすぐあることに気づきました。自分は外に向かって探しているのではないでしょうか? それはいけないことです、修煉者なので、内に向かって探すべきで、発正念をするべきです。必ず正念を持てば、師父は助けてくださるのです。どうせ痛いので、痛みに耐えながら座禅をしました、座禅する時、私は発正念をして、法を暗誦しました。『論語』から『洪吟』まで、思い出せる法を全部暗誦しました。知らないうちに、1時間が経ち、私は自分の体がそんなに痛くないことに気づきました。
しばらく休んでいると、再び痛みが来ました。私は再び座禅し、発正念をして、師父の法を念じました。「しかし、いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。しかも、師父の周りに多くの護法の神がおり、多くの佛、道、神、更に大きな生命があるので、彼らも参与してきます。なぜならば、認められていない無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません。つまり、皆さんはできるだけ正しく歩むということです。」[1]
また1時間経ち、体が軽く感じました。この時、同修達が家に来ました、私は自分の偽りの病業を同修達に話しました。同修は「もう大丈夫ですか?」と聞きましたが、私は「もう大丈夫です」と答えました。その後、私は同修達に「○○さんの家に新唐人テレビのアンテナを取り付ける工事があるでしょう。必要な部品を車に運んでいいですよ」と言いました。同修達が忙しく部品を運んでいくとき、妹は「一緒に行きましょう。同修達はあなたと一緒に行きたいのです。車には空きがありますよ」と話しました。その話を聞いた途端、これは師父の私に対する教えだということが分かりました。家にいると、旧勢力の按排を認めることになりますが、私はもう3日も町に出ていないので、今日は必ず外に出ようと思いました。
私が外に出ようとするとき、突然、耐えられないほどの激痛が再び来ました。両足に力が入らず、まるでラーメンのように柔らかくなり、地面に跪いてしまいました。私が後ろを振り向いて見ると、私のことに気づいた人いませんでした。これは旧勢力の仕業だと分かりました。一瞬、私は「口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[1]を思い出すと、師父の説法から無限の勇気をいただきました。私の両手はしっかりドアの枠を掴んで、腕の力で一気に立ち上がり、外に出ました。
外に出ると、まるで別の世界に入ったようで、直ちに身体が楽になりました。師父は私のために、再び業力に耐えてくださいました。師父へのご恩に感謝して涙を我慢しようと思っても、我慢できなくなりました。「師は回天の力有り」[2] 師父、ありがとうございます。車の中で、私はずっと発正念をしていました。新唐人テレビのアンテナを取り付ける工事が終わった後、同修達と一緒に他の同修の家に学法に行きました。集団学法のエネルギー場は強くて、数日間、偽りの病業のせいで、元気のなかった私は、この場にいると、気持ちよく感じました。夜10時過ぎ、家に帰り、ぐっすり寝ました。次の日、いつも通りの状態になりました。
師父の慈悲なるご加護の下、同修達の正念の加持と励ましの中で、この1年近い魔難を、たった1日で、乗り越えることが出来ました。私は深く体験しました。「堅実に師を信じ法を信じることは、魔難を乗り越える鍵になります」。
今回のことについて、私は反省しました。主な原因は学法が少なくなり、発正念も同じです。あの頃、真相を伝える資料の印刷以外に、数十セット大法の本を印刷しないといけませんでした。仕事の量が増えて仕事を行う心が生じてしまいました。あっという間に、全部の仕事を終わらせようと思っていましたが、法に従っていないので、印刷した本は文字がはっきりしていないところがたくさんあり、大法の資源を無駄にしてしまい、業も作りました。印刷機はよく故障しますので、ますます焦りました。家族の人も重病で面倒を見ないといけませんので、よく病院に行きます。学法の時間がないため、旧勢力は私を迫害する口実を見つけていたのです。教訓は深刻です、今後必ず学法を優先して、法に従って物事を行います、いくら忙しくても、学法しなければいけません。そして、しっかり修煉の道を歩みましょう。
修煉は厳粛であり、師父は最後になればなるほど、精進すべきだと説かれました。修煉の道は険しいかもしれませんが、私たちの使命は神聖であり、この法を正す最後の最後に、私たちは師父のおっしゃったことしか聞かず、師父が按排された道しか歩まず、念を正し、行いを正しくして、師父について円満に家に帰りましょう。
初めて投稿しましたので、同修の慈悲なる指摘をお願いします。合掌
注:
[1] 李洪志先生の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
[2] 李洪志先生の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉心得交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/12/146820.html)