文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月29日】ある日の夜、私は発正念のために同修Aさんの家を訪ねました。途中の休憩時に、Aさんは私にまだ9元残っているテレホンカードを渡し、真相電話をかける際に使ってほしいと言いました。その時、隣の同修Bさんが言いました。「私はメッセージを上手く送れません。お金を無駄にしないで下さい」。私はBさんに言いました。私が「私は上手く送信していますよ」と言うと、Bさんは、「どうして分かりますか?」と聞きました。私は、「料金は差し引かれていますし、それに返信メッセージも受け取りました」と答えました。Bさんは執拗に、「あなたはテストの電話をかけて、確かめるべきです」と言いました。
その時、Bさんに対して私に一つの観念が生じました。「この人は本当に『自我』が強いですね。自分がうまくメッセージを送れないからと言って、他人もできないと断言してしまうのですか?」その時、私は自分の闘争心、顕示心、そして自分を実証する心を全く意識していませんでした。
日曜日の午後、私は真相電話を掛けるため、Bさんと一緒に出かけました。私は、「電話番号を一つ下さい。確かめてみましょう」とBさんに言い、彼女は私に一つの番号を教えました。私はこの番号あてに、午年の祝福のメッセージを送りました。その後、Bさんは番号の持ち主に電話を掛け、「すみません、先ほどメッセージをお送りしましたが、受け取られましたか?」と聞きました。相手は、「はい、つい先ほど受け取りました」と答えました。Bさんは電話を切ってから穏やかな口調で、「送れますね」と言いました。その時、突然、私はあることに気づきました。私は自分を実証していたのです。そして、Bさんの衆生を救い済度に責任を持ち、また、大法の資源を大切にしようとする心が私に見えました。
この小さなことから、私は自分の空間場深くに隠されている「自我」を実証する心が見つかり、この心を必ず取り除かなければならないと思いました。なぜなら、それは大法弟子の全体の中で隔たりを起こしかねないからです。
今まで、この地区の学法グループは昼食の問題で常に口論となり、一緒に学法することができなくなるほど摩擦がありました。私は協調人の同修に言いました。「簡単に、饅頭とお湯だけで済ませ、時間を節約しましょう。この一日を修煉の一日としましょう。学法の場を提供してくださっている同修はいつもお粥を用意し、その上、いくつかの惣菜も準備しなければなりません。食べなければ、失礼ですし、ずっと食べていると、この同修にご迷惑をかけ続けることにもなり、良くないと思います」。結局、私の話は学法の場を提供してきた同修に大きな心理的負担を与え、私たちとの間にトラブルが生じ、その後、学法の場として家を提供しなくなりました。
その後、私は自分の「自我」を実証する心が、全体にマイナス作用を及ぼしたことに気づきました。饅頭を食べようが、お粥を食べようが、大したことではありませんでした。問題は、私はいつも自分の認識が正しいと思い、「自我」を覆い隠して、自分の見解を主張したということでした。旧勢力はそれを利用し、同修たちのまだ修煉していない人心と私との間に摩擦を起こし、私たち全体に隔たりをもたらしました。結果として、私たちの学法グループの環境を破壊してしまいました。
私は自我を放下し、その同修に素直に誠意を込めて言いました。「私は自分を良く修めていないので、いつも人を見下したような口調で話し、また、声も大きく、あなたに重いストレスを与えてしまいました・・・」。私がまだ話し終えないうちに、その同修は何もなかったかのように言いました。「来週、私の家で一緒に学法を続けましょう。一緒に饅頭を食べましょう」。私が執着を放下した後、私たちの学法グループはまた、安定した学法の環境を取り戻しました。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/27/147056.html)