文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月3日】身近な子ども弟子の体験から、修煉は年齢と関係なく、修煉において、法の基準で厳しく自分を律することの厳粛性について、同修と分かち合いたいと思います。
夏や秋に、多くの子供達はイナゴを捕まえて遊ぶのが好きです。数年前、我が家の子ども弟子が8、9歳の時、他の子供と同じようにイナゴを捕まえて遊びたがっていました。私は、このように遊んではいけない、ひょっとしたら、命を殺して業を作ってしまうかも知れないし、これは慈悲心がないことだと言いました。子どもは自分を抑えようとしましたが、友達と一緒に遊ぶ時は誘惑に負けてしまい、気付いたら、彼のペットボトルにはすでに数匹のイナゴがいて、しかも、足がすでに切断されたものがいました。私達はすぐイナゴを放させました。
数日後、子どもが学校で遊ぶ時、膝をぶつけて、ひどく怪我をしました。私達は一緒に、「修煉は厳粛で、小さな命を殺したり、怪我をさせる事は業を作ることですよ」と法に沿って考えました。子どもは心から間違ったと認め、時間があれば「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」としっかり念じました。こうして、しばらく経つと、膝の怪我は治りました。
今、パソコンゲームの誘惑はとても大きいのです。明慧ネットにも同修達がゲームの危害について交流する文章は少なくありません。私達は普段、出来るだけ子どもにゲームで遊ばせないようにしています。しかし、子どもはパソコンゲームに対する執着が強く、また、私達もパソコンゲームの危害に対する認識が不十分なため、時には少し遊ばせたりしましたが、このやり方は正しくありません。ゲームは麻薬と同じで、絶対に手をつけてはいけないのです。
今年のお正月の休み期間中、子どもはパソコンゲームで遊ぶ時間が長かったため、旧勢力に隙を乗じられ、迫害されました。1月15日、朝起きると、子どもの右目は充血して真っ赤になり、とても酷い様子でした。それを見た私は不安になり、すぐに身内の同修に電話をして、迫害を解体するよう発正念をしてもらいました。数回発正念をした後、子どもと交流しました。彼は「夢の中で、赤、緑、青の3色の小人が家に突入しようとしているのを見ました」と言いました。そして「その中の緑と青の小人は僕に打ち殺されましたが、赤の小人は僕の友達の格好に変身したため、殺しませんでした」と言いました。私達はすぐに「ゲームにはまりすぎで、邪悪に隙に乗じられた」ことに気付きました。多くの同修は私達のために発正念をしてくれ、また師尊にご加持をお願いし、子どもも自分がパソコンゲームに執着しているのが間違いだと分かり、表面上では、目の充血は弱まりました。
2日後、学校が始まり、子どもの真っ赤になった目は良くなりかけましたが、しかし、見た目はまだとても酷くて、学校では、多くの友人が「目はどうしたの?」と心配してくれました。この迫害が終わるまで、私達はこの件に対して、発正念を止めませんでした。また彼に、車に乗る時や学校で時間がある時に、自分で「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」と念じるように言いました。
ある日、学校が終わって、家に帰って来ると、子どもは私達に「午後、実習の時間に、自分の宿題が全部終わったので、教室で45分間『法輪大法は素晴らしい』と念じました」と言いました。彼の目の充血は随分消え、ほぼ正常になりました。
日曜日に、子どもと一緒に1時間の動功を煉功しました。翌日、充血はさらに消え、その後、他の急用が出来たため、もう子どもの目に対して、発正念をしなくなりました。彼も時間があれば、「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」と念じて、パソコンゲームで遊ばなくなりました。
しばらく経つと、子どもの目は完全に正常に戻りました。
この事から、私達は、修煉は厳粛で、何事も法に沿って行わなければ、思いがけない面倒なことを引き起す可能性があると悟りました。また、本当に困難に直面した時、心の中で必ず法と師を信じ、自分の不足を探し、法によって自分を高めれば、邪悪の迫害を解体する事が出来ると悟りました。
ある日、学校のテストから帰って来て、子どもは同修である祖母に、「『法輪大法は素晴らしい』と念じても、人の答えを写すことはできなかった」と言いました。お婆ちゃんは彼に「修煉者は『真』を修めています。テストが出来なくても人の答えを写してはいけませんよ。そのために『法輪大法は素晴らしい』と念じるのはなおさらいけません」と言いました。
ある日、学校で魚を食べる時、骨が喉に刺さってしまい、彼は心の中で「法輪大法は素晴らしい」と数回念じたら、骨が呑み込めたそうです。体調が悪い時、数十回、百回も「法輪大法は素晴らしい」と念じれば、体が元気になった事もありました。また、子どもは真相を伝え、人を救うことにもとても熱心です。
これらの事を思い出すと、私は師尊の洪大なご慈悲を切実に感じ、同時に、自分をよく修め、衆生を救い済度するほか、身辺の子ども弟子をしっかり管理しなければならない責任を感じました。