青年同修はスマホとゲームへの危害に注意
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年6月23日】私は若い大法弟子で、初めて大法に触れてから20年以上経ちます。自分の修煉を振り返ると、何とも言えない複雑な気持になります。幸運もあれば、収穫もあり、そして多くの後悔もあります。また、交流文を書くことで、自分の多くの執着や観念をさらけ出し、法を学んでそれらは自分ではないことを知り、それらを徹底的に認識して取り除いてこそ、はじめて最後の修煉の道をしっかり歩むことができます。 

 私が1歳余りの時に祖母が法を得ました。当時、祖母はよく『論語』、『洪吟』、『精進要旨』などを暗唱していたので、私も幼いながらたくさん暗唱できるようになりました。祖母が北京に請願に行ったため、不法に拘束されたのは私が4歳の時で、当時は幼すぎて法についてよくわかっていませんでした。

 中学生の頃、同級生とゲームセンターに行き、ゲームに夢中になりました。家族に内緒で、時間があればネットカフェに行ってゲームをし、そのうち昼休みにもネットカフェに通うようになりました。ネットの世界では、色魔に絡まれ、色欲心に駆られ、積極的にポルノが含まれるものを探すようになり、時には非常に悪い考えも持つようになりました。昔、母は立派に育ってほしいという思いから、勉強にはとても厳しかったのですが、私はゲームに夢中で勉強どころではありませんでした。当時私たち親子は勉強のことで喧嘩ばかりしていました。

 2005年、母は偶然にも大法の修煉を始めました。母は修煉を始めてから、私への態度を変えました。「勉強したくないなら勉強しなくてもいい」と言ってくれましたが、毎日放課後に必ず『轉法輪』を10~20ページ読むことを要求しました。受験教育のもと、勉強が嫌いな私でも、学校のスケジュールに合わせて朝は早く、夜は遅く帰る生活をしていました。高3になったら、学校が終わるのは夜9時でしたが、毎日十数ページ本を読みました。

 当時の私は、自分が普通の人とは違うということを多少自覚している程度で、法理や師の教えに対する概念がほとんどなく、大法の基準に照らして自分を要求することもほとんどありませんでした。時間があれば、相変わらずこっそりネットカフェに通っていました。ある日、ネットカフェから学校に戻った後、突然心臓に激痛が走り、歩くのもやっとの状態になりました。当時、母は研修で留守にしており、修煉していなかった父が、私を背負って家に帰りました。私は長い間、ベッドに寝たきりで、ほとんどベッドから降りられず、毎日師父の説法の録音を聴いていました。私は自分が大法弟子であり、自分が間違っているとわかりました。修煉者であることを忘れ、ネットカフェに通い、ゲームに夢中になっていたことを反省し、二度とネットカフェに行かないと師父に助けを求めました。しかし、今にして思えば、ネットカフェに通っていたことだけでなく、欲望などいろいろな問題があったのですが、自覚していても深く堀り下げることをしたくありませんでした。

 当時は、大きな出来事でも内に向けて探すことがあまりわかっておらず、師父の要求にはほど遠かったのです。しかし、慈悲深い師父は私を見捨てず、師父のご加護と修煉者たちの協力の下でこの難関を乗り越え、体調も徐々に正常な状態に回復しました。その後、ネットカフェに行くのはやめましたが、ゲームなどへの執着が完全になくなったわけではなく、現れなくなっただけでした。

 大学に進学したとき、母は私が修煉しやすいようにと、学校の近くに家を借りて、法を学び、煉功する条件を整えてくれました。しかし、毎日1講を学んでも内容が頭に入ってこなかったのです。土日の休みには母に連れられて、グループ学法に参加していましたが、自分の読む番が来たら読み、他の人が読むときは、ぼうっとしていました。時々眠くなることもありました。師父の他の教えはほとんど読んでいません。修煉を精進していないこと、携帯ゲームやアニメに夢中になっていたせいで、旧勢力から迫害を受けることになってしまいました。ある時、車のエンジンを無理に持ち上げたため、胸や腰に激痛が走ってしまいました。実際は無くさなかった執着心のために旧勢力から迫害されたのです。痛みは休みなく続き、息もできず、居ても立っても居られないほど苦しみました。高熱も出て、毎日痛みで眠れず、人に寄りかかって仮眠をとることしかできませんでした。母は、私の執着心が消えないこと、携帯電話依存症であることは知っていましたが、どこまで強いのかはわからず、ただ、発正念をして、師父の説法を聞かせ、同修の病業を破るための交流を聞かせてくれました。ただ、私は心の中に法があまりないので、そのようなハードルをどう乗り越えたらいいかわかりませんでした。病院や薬に頼らず、時には同修に助けてもらいました。こうして、私はもう一度、師父に「良くなったら必ず精進すると助けを求めました。ある時、長時間の激痛が走り、師父にかまってもらっていないと疑いました。その後、意識がはっきりしたときには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。もし師父が私のために耐えて下さらなければ、私はとっくに旧勢力に肉身を引きずられてしまったに違いありません。私が多くの関を乗り越えていた時、多くの同修に助けられ、発正念をしていただきました。再び慈悲なる師父のご済度と同修たちの無私の協力に感謝したいと思います。

 しかし、私は何回も同じ過ちを繰り返しています。病業の難や色欲心が起きるたびに、師父に過ちを認め、今後はもっと精進すると決心しましたが、しばらくすると、また執着心が強い状態に戻ってしまいます。時には、しっかり乗り越えられていないとき、調子に乗ってしまうこともありました。これらの迫害は、すべて私自身の長い間の怠ける状態と、執着心をなくさないことが原因でした。その要因は、携帯を見ることへの執着と、色欲心です。携帯を見ることで気が緩み、悪いものをたくさん引き寄せてしまいました。アニメや漫画を読んだり、ゲームなど自分の興味のある動画を見たり、常人の音楽を聴いたりすることへの執着はなかなか取り除くことができずにいました。それからゲームはほとんどしなくなりましたが、表面的に手放しただけで、内心は相変わらず執着しており、ゲーム動画を見ようとしたり、何度も夢の中でゲームをしたりしていました。

 こうした執着の繰り返しや悪化は、自分に厳しくないので、少しずつ大きくなることがあります。たまに退屈すると、音楽くらい聴いたって構わないと思い、音楽レビューを読んだり、音楽のアプリの動画を長く見ていなかったから、どうなっているのだろう、と思って軽い気持ちで見始めてしまいます。これらのものを見ると、色魔の妨害を招くことがあります。普段はない欲望でも、そうしたものが入っている写真や動画を見ると、欲望が呼び起こされ増幅されるのです。その心が現れ始めた頃に気づかないまま、正念で制することもせず、取り除くことができなければ、乗り越えられなくなります。

 悪いことをするたびに自責の念にかられ、師父の写真の前に跪いて自分の過ちを告白し、弟子にもう一度チャンスを与えてくださるよう懇願します。時には師父に会わせる顔がないほど自分が悪いと思うこともありました。これらはすべて、自分に厳しくなく、気を緩めた隙に旧勢力及び邪悪な生命に妨害されたのです。

 かつては、学法が少なく、本を読むだけで、法を本当に理解していないことが多かったと思います。そして自分がしっかり行わずに、法理を悟れなかったこともあります。『轉法輪』で述べられた「法」の比較的基本的な原理や修煉における功の演化形式が理解できたのはここ数年のことです。今思えば、以前これらの教えを読んでいたとき、自分は何を読み、何を考えていたのかもわからず、基本的に表面しか読まず、その言葉や段落の意味を頭で考えることすらしませんでした。

 大学時代は一時期、表面上は比較的精進していました。自分を厳しく律し、スマホ上の無駄なものはほとんど見ませんでした。授業がない昼間は、時間があれば学法や煉功をし、時には真相を伝えました。しかし、学法は表面的なものでしかなかったため、本当の意味を理解していませんでした。学校でのクラスメートとの付き合い方は法に基づいていないため、他人に時間を割くことを非常に気にしていました。その結果、 三退を勧めても理解されず、うまくいきませんでした。何度も説明すると、ようやく同意した人もいましたが、三退しても悪いことはないだろうという心理で同意した人がほどんどでした。

 私は仕事においても、自分を修煉者として振る舞い、大法弟子としてあるべき姿を見せていません。新型コロナが流行したとき、人を救うことの緊急性を意識して、同僚に大法のことを話し始めました。二十数人に話したところで、上司に告げられ、上司から退職を迫られました。これは、普段からしっかり行っていなかったことに大きく関係していると思います。私はすごく落ち込んで、 母とネットでメールを送っていたとき、メールのページに「華麗な転びは無駄な彷徨いに勝る」と書いてありました。これは師父に励まされていると思い、自分の観念を変えて実修しないといけないと思いました。2カ月ほどして、比較的楽で、2日休みがある別の仕事が見つかりました。精進しない弟子を見放さず、守ってくださった師父に感謝します。

 ここ数年、家族の励ましの下で、『轉法輪』を暗唱するようになりました。私は法の力を深く感じ、深い意味をよく理解しないまま表面上の言葉だけを暗記することが多かったのですが、自分が変わっていくのを実感しました。以前よりずっと理解し、はっきりして正念も強くなったように感じました。

 コロナ期間に自宅で休んでいた時は、1日10ページほど暗記することを数日続け、ほぼ1日中法を暗記していました。その間の状態はとてもよかったのです。私は今、『轉法輪』を3回以上暗記し、基本的に1段落ずつ暗記していますが、本の中で師父が説かれた多くの法理に新たな理解ができました。そして、現在、毎日時間をかけて『論語』、『真修』、『道法』などの参考になる経文を暗記しており、今は『佛性』も暗記しています。

 これらの経文をよく学び、暗唱することによって、私が執着しているすべては、私が本当に考えていることではなく、先天的な私が望んでいることでもなく、後天的な観念や執着によって形成された偽の自分であり、人は真の自分と後天的な観念を区別しなければならないことがわかりました。本当の自分、本性は変化せず、汚染されなくても、観念や執着によって閉鎖され、明らかにされないので、これらの観念や執着を取り除かなければ、天国の家に戻ることができないのです。

 長年形成された後天的な観念を取り除くのは本当に容易なことではありませんが、師父は「大法徒の修煉は難しくないが 凡心が多ければ、至るところで阻まれる 上士は難があっても、一笑に解けるが 中士は関に遭遇すれば、平然としていられない 下士は人心が多く、捨てることができない 大法が世に伝えられたことは、極めて非凡 人と己を済度し、圓満して帰る 幾人が行けるか、幾人が空論に留まるか」[1]とおっしゃっています。

 私は、無駄口をたたく人間にはなりたくありません。私は、上士ではないとわかっていますが、師父について圓満成就しようとするのであれば、上士を目指して努力しなければなりません。

 大法弟子は無作為に選ばれたものではないので、普通の人はなりたくてもなれません。私がその一員である以上、少なくとも本当の私は、あらゆる神が羨むこの称号にふさわしいということであり、異次元で実際に何が起こっているかは見えなくても、本当の私ならうまくできることがわかっています。私は自分の執着を放下し、後天的な観念や執着を捨てて、本当に自分を浄化し、この世の汚いものを手放し、最後の時間に大法弟子としての使命を果たし、師父と一緒に帰ります。

 初めて書く交流文は、まだまだ不完全なところが多いのですが、書く過程で、今までほとんど記憶になかったことがたくさん思い出され、それらを整理した上で、法理への認識がより明確になり、とても役立つものでした。まだまだ師父の要求には程遠いのですが、色欲心、携帯・ゲーム・アニメへの執着、怠惰、安楽といった深刻な執着心を内側から掘り起こし、取り除いていく決意があります。

 同じような執着心を持つ同修が、私の経験から学び、本質から自分を変え、残り少ない修煉の間に勇猛精進し、最後の時間にできるだけ自分の使命を果たし、多くの衆生をつれて師父と家に帰ることを願っています。

 私の個人的な経験で、不当な点があれば、同修のご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟六』「人と己を済度するは難しい」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/24/443884.html)
 
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