スマホ依存が修煉の妨げに
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年5月7日】スマホをみるのは、まるで「ぬるま湯で茹でられるカエル」のようです。最初は見るぐらい大丈夫だと思い、あとで正念を多く発し自分自身の空間場を清めれば良いと考えます。そうすると仕事の休憩時間や、トイレに行く時間、子供を迎えに行く待ち時間等、空いている時間にスマホを見て時間を潰します。私はスマホの害について自分でも分かっているのですが、どうしても手放すことができません。

 時間が経つにつれて、昼間に落ち着いて学法することができず、眠くなってしまい学法も煉功もできなくなりました。旧勢力は人間の観念を利用して、自分に言い訳をさせるのです「今日は仕事で疲れたから、少し休んでスマホをみよう。明日からちゃんと学法して、スマホをやめよう」と思ったりします。しかし、そのうちにいつの間にか本当に中毒になってしまい、後にはスマホを手放すことができず、やめられなくなってしまいました。見るたびに後悔するのに、次にまた我慢できずに見てしまいます。このような状態がずっと続き、大切な修煉の時間が無駄になってしまいました。

 この間に、私は安逸心、怠け心、苦しみを恐れる心を養ってしまいました。その表れとして、発正念の時間を見逃したり、煉功が三日坊主になったり、静功では足の痛みに耐えられず、1時間持たなかったりしました。暇さえあれば横になって少し休もうと思うのですが、横になっているうちにそのまま眠ってしまいます。毎日、頭に帽子をかぶっているような感じがして、意識がはっきりせず、日中は集中力が続かず、眠くてだるくて、毎日無理をして頑張っている状態です。

 師父は私が悟らないのを見て、夢の中で私に啓示を与えて下さいました。夢の中で私がいる学校が休みに入り、皆は既に帰省の為の電車の切符を買って、駅で電車を待っていました。でも私は何もせず切符も買っていませんでした。学校にはもう数人しか残っておらず、こんなに多くの人が帰ったのだから、今日はもう切符は買えないだろう。明日買えばいい明日帰ろう」と思っていました。その後、ベッドがいっぱいの部屋に入ると、まるで幼稚園のような小さな木のベッドが沢山並んでいて、どれも汚れた布団が敷いてありました。私はちょっと寝ようと思って横になろうとしましたが、ふとある考えが頭をよぎり「帰りの切符を買って家に帰らなくちゃ、もしかしたらまだ買えるかもしれない、家族が私を待っているのだから」と思って、スマホを取り出して切符を買おうとしたのですが、どうしても購入するアプリが見つかりませんでした。

 目が覚めて、これは師父が私に与えられた啓示だと分かりました。安逸を求めて眠気に負け、スマホばかり見てはいけません。こんな汚れた環境に落ちていながら、精進しようとせず、なおも楽で快適な生活を望んでいる自分に気づかされました。

 残された時間の中で、私は自分を修煉者として正します。これからは、どんな関門を乗り越える時も師父の法に従って行動し、法に同化すると同時に「法を学びて、法を得る。比して学び、比して修す。事々対照し、做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)を実践していかなければなりません。そうしなければ師父と一緒に家に帰ることはできません。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/29/493037.html
 
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