文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月6日】法輪大法を修煉してから、私はテレビを見なくなり、家にあるテレビも使わなくなりました。その後、スマートフォンを購入しましたが、主に仕事で顧客と連絡を取ったり、決済に使用する程度で、それ以外の目的ではあまり使いませんでした。
2018年の年末、私は仕事を辞めて家に戻り、時間が余るようになりました。ある日突然、子供の頃に恋愛小説が好きだったことを思い出しました。当時はお金がなくて自分では買えず、人から借りても数ページ読んだところで返さなければならないことでした。今は時間があるので、スマートフォンでアプリをダウンロードして読んでみようと思いました。すると、数日も経たないうちに目が充血し、顔色が青くなり、全身が無気力になってしまいました。
ある晩、夢を見ました。細い道を歩いていると、体がとても重く感じ、倒れてしまいました。振り返ると、背中に色魔がついていて、それは人とも言えない汚く醜い姿でした。それを振り払おうとしましたが、しっかりとくっついていて取れませんでした。道行く人に助けを求めても誰も気に留めてくれず、師父にお願いすることも思い付きませんでした。自分の力でどうにかその色魔を引き剥がし、捨てました。右頬には固まった白い汚物が付着し、ズボンの股の部分にも同じようなものがありました。それを一つ一つ削ぎ落とし、捨てました。汚れを取り除いた後、体が軽くなり、再び歩き続けました。広場に着くと、多くの人々が遊んでいました。すると、その色魔が人混みの中で私を探しているのを見つけました。それは私が恋愛小説を読んだことで引き寄せられたもので、他の人を探さずに私だけを追いかけていました。驚いて目が覚め、すぐにそのアプリを削除し、二度と見ないと決めました。
昨年末、私は『轉法輪』を8回暗記し終わり、数日間の休みを取ってからまた暗記し始めようと思いました。しかし、休んでいるうちにまた小説が読みたくなり、再びその無料小説アプリをダウンロードしました。スマートフォンを左手で持ち続けていたため、左腕が痛くなり、首や背中も痛みました。それでも読むのをやめず、座って読めないときは横になって読みました。実際、私はすでに4時間の座禅ができ、深く入静することもできるようになっていました。しかし、そのアプリには無料の短編ドラマもあり、それを見始めたら止められなくなり、色心や情欲がかき立てられました。短編ドラマが終わると、次の作品が自動再生され、際限なく見続けました。昼も夜も連続して見てしまい、「三つのこと」を全くしなくなってしまいました。
師父は夢の中で私を何度も悟らせてくださいました。夢の中で見知らぬ場所に行き、家に帰る道がわからず、帰りのバスを逃してしまう夢や、私は寝たままで正念を発しない夢で、師父が私の頭の上でため息をついているのが見えました。ある日、夢の中で空から大きな手が伸びてきて、私の『轉法輪』の本を持って行ってしまう夢を見ました。私の主元神は10歳にも満たない少女のようで、その大きな手から本を取り戻そうと必死に引っ張り、泣きながら「師父、本を持っていかないでください。もうスマートフォンをいじりません。ちゃんと法を暗記します」と言いました。すると、その大きな手は本を返してくれました。
次の日、私はそのアプリを削除しました。実際、これまで何度も削除してはインストールしてを繰り返していましたが、自分の意思ではどうにもできず、危うく命を落とすところでした。それからすぐに9回目の『轉法輪』を暗記し始めました。三日後、師父が私を励ましてくださいました。夢の中で試験を受けている場面があり、全ての科目の問題が解け、試験官が私の解答用紙を袋に入れて封印してくれたのです。
一ヶ月かけて『轉法輪』の三講を暗記し、その間、数回だけ短編ドラマを見てしまいました。歯を一本植えようとしたところ、血液検査で血糖値が非常に高く、植えることができないと言われました。その時、師父の最後の警告だと悟りました。もうスマートフォンを手放さなければ、体に問題が出てしまうだろうと。それを悟った瞬間、私はスマートフォンを完全に手放すことを決心しました。悟りが正しかったことを確認するかのように、次の日に再び血糖値を測定したところ、正常値に戻っていました。私の体験はまさに師父が言われたことを証明しています。「あなたのどの執着も、あなたの修煉を台無しにしてしまいます。どの執着もあなたの体に異常を来たし、大法に対する確固たる信念を揺るがしてしまいます」(『二〇一五年米国西部法会での説法』)振り返ってみると、本当に恐ろしいことで、私はスマートフォンで自分をほぼ台無しにしてしまうところでした。
今では20日が経ち、私は完全にスマートフォンから解放されました。スマートフォンを手にしても、見る欲望が一切湧きません。心が清々しくなり、目が明るくなり、思考が純粋になり、法を暗記するのも速くなりました。
この体験を書き出して、自分自身をさらに清め、まだスマートフォンに執着している同修の戒めになればと思います。私たちの修煉の時間はそれほど残されていません。迷いを打ち破り、修煉を終わらせる時期が迫っています。そうなってしまえば、もう修煉の機会は二度と訪れないでしょう。