命に関わるような携帯依存症になっても後悔し続けないで
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文/中国の大法弟子  

 明慧日本2025年1月21日】半月前のある日、私は仕事帰りに1人の女性に三退(中国共産党の党、共青団、少年先鋒隊組織から脱退すること)を勧めて、大法の真相カレンダーを渡しました。 その後、同修・Bさんの家に行き『週刊明慧』と一冊の明慧ネット編集部が編集した『携帯電話中毒から脱出、初心を取り戻した修煉状態を見つけよう』の小冊子をもらいました。

 帰宅後『明慧週刊』を読んでいると、突然腹痛とめまいが起こり、あっという間に嘔吐と下痢に襲われ、頭がクラクラしてきました。 動く勇気もなく、目を開ける勇気もなく、もうすぐ命が止まってしまうような気がしました。 嘔吐と腹痛が続き、 夜中に発正念をする時に起き上がるのがやっとで、一晩中嘔吐しました。

 朝、起きて発正念した後、カップラーメンを食べ、 顔を洗った後、師父にお線香をあげながら、 師父に「師父の言うことを聞かずに、邪悪につけこまれた私が悪いのです。正しい行いができなかった自分が招いたことです」と、言いました。私は師父の慈悲なる救い済度に対し申し訳なく感じ、私は自責の念の涙を流しました。 師父の言葉に耳を傾けない私は、まだ師父の弟子として、相応わしいのだろうか?

 自分の携帯電話は着信と送信しかできないので、外に持ち出すことはありませんでした。勤務先で仕事をこなし、それ以外の時間は同僚の電話番を手伝ったり、プロジェクトの仕事もケータイで手伝ったりしていました。 お手伝いの仕事は2年以上続けています。 実際、心の中では同修のお手伝いをする気はなく、携帯電話中毒になり、その中のものに妨げられることも怖かったのです。「年末が来たら、同修のプロジェクトのお手伝いを辞めることにしよう 」と自分を慰めていました。

 この2年間、師父は、私を常に悟らせてくださいました。 ある日『轉法輪』を学んでいた時、不意に「修煉は専一でなければならない」という一節が載っているページをめくりました。「私は他の法門のものを見ていないから、専一でいるのだ 」とその時は確信していました。

 ある日、同修から突然「携帯電話の動画を見ますか?」と聞かれました。 私は 「見ません 」と答えました。 実は、私は自分が嘘をついていることを知っていました。「 ケータイの動画に輪廻転生、因果応報の物語が入っている」という私の話を聞いた別の同修は「ケータイを見るのはやめたほうがいい」と真剣に私に話しましたが、私は気にとめませんでした。佛道の伝記や『包公案』のドラマや、因果応報の物語や、料理のチャンネル、アニメなどを閲覧していましたので、何の問題もないと思っていました。

 同僚の携帯電話を2台預かっているので、両手を使って携帯電話を見ながら同時に仕事をすることができます。 この2年間、腕が痛くてしびれ、腫れていたので、これは業力のせいだとずっと思い続けていました。 痛みで眠りから覚めたとき「どうしてこの業力はなくならないんだろうか?」と思うこともありました。 今思えば、自分の悟りは本当に浅かったのです!

 常人の間には「五十歩百歩」という言葉があります。 食事を摂る時、歩く時、運転する時、座る時、立つ時、どんな時でも携帯電話から離れない......そんな常人たちを見て、私は心の底から軽蔑しました。 私はいつも外に向けて探し、他人を見下していました。本当の所、自分は他人と比べて、差はほとんどありません。 昨夜一晩中病業に見舞われたのは、考えて見れば、自分がケータイの動画に執着したことが招いていたのです。 私は普段、自分を厳しく律することはなく、命の危機を感じた時に初めて師父に助けを求めようと思い、ようやく自分が過ちを起こしたことに気づき、本当に恥ずかしい限りです!

 何も言わなければ、同修に携帯電話を見ていることがバレないと思っていましたが、実は一番愚かなのは私でした。 同修には見えないけど、師父には、天上の神様にも見えますし、邪悪にも見えます。 邪悪はすでにあらゆる方法を講じて私を引きずり下ろそうと私の漏れを探しています。私が自ら進んで執着したのですから、本当に教訓となりました!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/6/485740.html
 
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