スマホ動画視聴がもたらした魔難
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年4月28日】明慧ネットは、多くの記事が同修たちに「携帯電話への執着を持たないように」と注意を呼びかけています。私はそれほどスマホに執着していたわけではありません。実際、ずっとガラケー(高齢者向け携帯)を使っていました。今回スマホを買ったのは、会社の社長が「微信(WeChat)がないと給料を払わない」と言ったからで、仕方なくスマホを購入しました。

 最初は、スマホを電話の受信と給料の受け取りだけに使っており、他の機能は関係ないので見もしませんでした。しかし、そのうち社長が動画を送ってくるようになり、たまに見るようになりました。そしてついでにニュースなども目を通すようになりました。最初は「ちょっとだけ見る」だったのが、次もまた「ちょっとだけ見る」、そしてその次も……というふうに、だんだんと理性を失っていきました。

 その結果、妨害が入ってきて、学法も少なくなり、煉功や正念を発することも減っていきました。私は会社員で、接するのはすべて常人なので、自分も常人化してしまい、毎日常人の事に追われ、修煉者とはとても言えない状態になってしまいました。

 本当は、スマホの害はよく分かっています。スマホの動画を見るというのは、体に毒素を注ぎ込むようなものです。師父は「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます」 (『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」)と語られました。

 間違っていると分かっていても、どうしようもできず、邪魔の策略だと分かっていても抜け出せませんでした。「ちょっとなら大丈夫だろう」という甘い考えを抱いたまま、ついには手に負えない事態になり、邪悪の厳しい攻撃を受け、命に関わるような病業の魔難を招いてしまいました。その結果、私は高熱が下がらず、毎回の発正念の時間に正念を発すると熱は下がりましたが、また上がる、という状態が1カ月も続きました。私は学法を強化し、煉功を増やして体の毒を排出しました。そして内に向かって探し、自分の人心や常人の念を見つけ、それを取り除き、自分を正すよう努めました。

 私は会社員で、外で真相を伝える時間はあまりありませんが、最低限、自分の範囲内で修煉に役立つこと、例えばもっと多く正念を発することはできたはずなのに、それすらできていませんでした。本当に後悔しています。自分の過ちを償い、少しでも損失を取り戻すため、病業の魔難の間、仕事を休んでいた時に、強い正念を密に発し、邪悪な要素を徹底的に清め、国内の本拠地や各地の別空間にある全ての邪悪生命と要素を取り除きました。

 実は、今回の病業の魔難は、私にとって三度目でした。いずれも心性を修めていなかったために、邪悪に隙を突かれた結果です。最初の病業の魔難も、命に関わる大きな関でした。とても激しく襲ってきました。あれは2008年のこと、当時の私は修煉しているようでしていない、という曖昧な状態で、法理もあまり明確ではありませんでした。同修たちが心を込めて助けて、一つひとつ指導してくれ、「こうすればよい」と教えてくれました。私は素直に聞き入れたため、何とかこの関を乗り越えることができました。

 二度目の病業の魔難も、やはり命の危険がある関でした。当時は、発正念して清める必要があると理解していましたが、安逸を求めて怠けたため、「少し眠って気持ちよくなってからまた正念を発しよう」と思ってしまいました。ところが、そのまま寝入ってしまい、もう少しでそのまま死ぬところでした。目覚めることができず、何人かが私を呼んでも私は起きられませんでした。心の中では意識がはっきりしていて、「これは死ぬかもしれない」とわかっていました。そして心の中で師父に懇願しました。「師父! 私は死んではいけません! 大法に泥を塗ることはできません! 私はまだ使命を果たしていません、人を救わなければなりません!」と、一念を発した直後、同修がやってきて、私を呼び起こして私の同意を得て、病院へ連れて行ってくれました。私は賃貸に住んでいたため、同修たちも何かあってはいけないと心配し、仕方なく病院へ連れて行ってくれました。お金もかかり、苦しい思いもしました。この時も同修たちの無私の助けにより、病業の関を乗り越えることができました。

 そして今回の三度目、またしても命に関わる病業の関でしたが、今回は以前より法理がはっきりしており、どうすればよいか分かっていました。自分の空間場を正念でタイムリーに清め、内に向かって探し、さらに同修の無私の支援もあって、なんとかこの関も突破できました。

 振り返ってみると、私は一体何をしてきたのでしょうか? 毎日「修煉している」と言いながら、実際は何を修めていたのでしょうか? 極めて危険な状態でした。私の地域でも何人かの同修が病業で亡くなっており、明慧の記事でも、多くの同修が病業でこの世を去ったことが書かれています。この知らせを聞くたびに、胸が締め付けられるような気持ちになります。法を正すことにが差し迫ったこの時期に、また一人、また一人と、大法弟子が失われていくのです。

 ここで、現在病業の中にある同修に、ぜひ一言伝えたいです。内に向かって探し、自分の人心を見つけましょう。心性に漏れがあるからこそ、邪悪につけこまれるのです。それを認めず、否定しなければなりません。もちろん、口で否定し、心で思うだけでは不十分で、実際の行動で否定しなければなりません。例えば、私が病業中だったとき、食欲がなく、口の中が痺れて苦く、食べ物を口にするのが薬を飲むよりも辛いほどでした。でも私は「食べられなくても食べなければならない、食べなければエネルギーが補充されず、どうやって煉功して法を学ぶのか」と思いました。もちろん、邪魔は非常に強く、学法中に眠気に襲われたので、私は立って歩きながら学びました。正念を発するときも、立ったまま、歩きながら行いました。とにかく、自分を覚醒させ、ぼんやりしていてはいけないのです。煉功中に眠気が来ても、目を大きく開けて、無理にでも意識を保ち、ぼんやりしないようにしました。とにかく「持ちこたえる」こと、意志を強く持ち、どんなに苦しくても「堅持(堅く続ける)」することが大切なのです。

 一時的な楽を求めてはいけません! 必ず苦しみに耐えなければなりません。苦しみこそが業力を消すのです。絶対にあきらめずに、もっと法を学び、もっと煉功し、もっと正念を発し続けなければなりません。ある同修はこのように実践し、病業の仮象がすぐに取り除かれましたが、病業がなかなか取れない同修もいます。そうした回復の遅い状況でも、決して落ち込まず、邪悪な干渉を排除するために、根気強く正念を発し続けましょう。中には時間をかけて少しずつ除去される場合もあります。正念をしっかりと持ち続ければ、必ず病業の関を突破することができます。必ず信念を堅く持ち、正念正行(正しい念と正しい行い)で、一つ一つの思いや行動を法に照らし、法に則って自分の行為を正してこそ、真に自分を修めることができるのです。

 ここで、まだテレビやインターネットを見ている同修、また日常的に常人のテレビを見ている同修に一言申し上げたいと思います。テレビの内容はすべて「党文化」に満ちています。私たちはその党文化を取り除くために修煉しているのではありませんか? それなのに、なぜまた自分の体にその毒を入れているのですか? それでどうやって修煉するというのでしょうか? 実際、テレビやスマホ、インターネットはみな「ゴミの集積所」であり、魔の巣窟です。あなたが見たものはすべて、体内に毒を注ぎ込んでいるのです。それは、あなたを堕落させ、成就させないように引きずり下ろすのです。

 同修の皆さん!目を覚ましてください! 私はその痛ましい例なのです! どうかもう、体に毒を注ぎ込むのはやめてください。これは非常に危険なことです! 修煉は厳粛なものです。決していい加減にしたり、怠けたりしてはいけません。師父に余計なご心配をかけることなく、少しでも安心していただけるようにしましょう。正法はすでに最終段階に入っています。自分をしっかり修め、「三つのこと」をしっかり行い、師父と共に円満に帰るのです。

 私は今回の痛切な教訓をしっかりと受け止め、心性をしっかり修め、回り道をできるだけ避けます。なぜなら、もう時間があまり残されていないからです。私は「上士(最も優れた修煉者)」を目指し、勤勉に修煉し、三つのことをしっかりと成し遂げるよう努力してまいります。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/17/492448.html
 
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