文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年11月4日】修煉の道を歩み始めてからすでに20年以上経ちました。これまでの過程で、大小さまざまな関門を、師父の広大な佛恩と慈悲深い保護と加持の下で、つまずきながら乗り越えてきました。しかし、生活環境が緩み、恵まれた環境にいることで、自分の修煉を疎かにし、よりよい生活を追い求める心が大きくなり、人間の執着が膨らみ、再びスマートフォン(以下、スマホ)でのネットショッピングに害されてしまいました。
師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『轉法輪』)とおっしゃいました。
私は20年以上法を学び修煉してきましたが、毎回この師父の教えを読むたびに、心の中で自分に「しっかり修煉し、師父のお言葉を覚え、師父の言われることに従う」と静かに戒めてきました。しかし現実の生活の中で、法理を理解しているにもかかわらず、よく過ちを犯してしまいました。表面的には法を実証することや人を救うこと、法を学び功を煉っており、積極的に見えますが、実際の心性は、師父だけが知っておられ、自分もわかっています。
物質には二面性があり、良い面と悪い面、利点と欠点が存在します。利が大きい場合は選べますが、害が大きい場合は選ぶべきではありません。スマホも今の人間社会において同じです。数年前、私は一度スマホに害されたことがありました。ネットショッピングは非常に誘惑的で、見ているとつい買いたくなり、その結果、身体に異常が現れました。その後、師父のご加持の下で、自分は大法の中で正しさを取り戻し、魔難を乗り越えることができました。しかし、今また修煉を厳かに考えなかったため、再び騙されて、再びその害を受けてしまいました。
人々は節句ごとに伝統的な風習や習慣を持っており、特に旧正月の時期になると、中国人はさらに様々なこだわりを大切にしています。人々は強い興味を持って、たくさんの食べ物や品物を買い、年越しの雰囲気を豊かにしようとします。修煉者はあくまで常人の中で修煉しているので、日常生活や祝日が常人の状態に合う程度で十分です。しかし、修煉者である私は、境界を超え、常人と同じようになり、大法弟子としての標準と要求を忘れてしまいました。年末が近づくと、毎日家事を終えた後、法を学ぶ時間を大切にし、大法弟子としてやるべきことをするのではなく、急いでスマホを手に取り、ずっと見たり、買い物をしたり、買い続け、物質への誘惑や購買欲に強く執着し、抜け出せなくなっていました。するとすぐに、魔難が私に襲いかかりました。
7、8歳の外孫は普段とてもよく言うことを聞き、『洪吟』の詩もたくさん暗記できるのに、今では言うことを聞かず、私の顔を強く叩くようになりました。10代の外孫娘も普段は言うことを聞き、『論語』をよく暗唱し、一緒に法を学んでいたのですが、今では一日中、私と果てしなく口論し、事の善悪も関係なく争うようになりました。娘もまた、私の作った料理が美味しくないと言い、出前を注文するようになりました。
こんな状況の中で、私は自分に気づかず、内に向けて自分を探すこともなく、修煉者であることを忘れ、娘が子どもたちをちゃんと躾けていないと責め、怒りさえ覚えていました。しばらくすると、私自身の体に異常が現れ、血圧が突然上がり、動悸や息切れで、食事も睡眠も取れなくなり、何もできなくなってしまいました。娘は急いで私を病院へ連れて行き、薬をもらって帰り、外孫娘に薬をきちんと飲むように見張らせ、飲まないと絶対に許さないと強く言いました。
ある晩、寝付けずにベッドに横たわっていた私は、起き上がり、心の中が混乱して収まらず、考え込みました。「私は一体どうしてしまったのだろう? 法を正す最後の段階にきて、まだこんな状態なのか? 数年前もスマホに夢中になり、ネットショッピングで難を招き、身体が同じようにおかしくなったのに、なぜ師父の言葉を聞かず、教訓を活かせなかったのか?」と悔しさで涙が止まらず、起き上がって師父の写真の前でひざまずき、師父に謝罪しました。
朝起きた後、同修の家に行き、交流を行いました。同修は私を手伝って一緒に発正念してくれ、一緒に法を学びました。同修の家に1日滞在し、翌日の午後、同修が大法の用事で忙しかったため、私は家に帰りました。帰宅後、師父の写真の前に座り、自分の内面を探し、スマホのネットショッピングで購入したものをすべて削除し、大法にそぐわない人間の執着心、人間の考え、人間の情をすべて取り除き、根絶しました。そして、大法を用いて修煉の状態を正し、本当の意味で自分を修め直しました。1時間後には、全身がすっかり良くなったと感じました。
この瞬間、感謝の涙が雨のように溢れ、心から大声で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。