12歳の子供弟子の修煉体験
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文/アイルランドの子供弟子

 【明慧日本2022年10月30日】僕は今年で12歳のアイルランドの子供弟子です。僕は生まれたときから法輪大法を修煉しています。よく学法煉功をしましたが、なぜこのことをやっているのか、その意味がわかりませんでした。そのため、学法をするときは集中できず、動功の第二式をやるとき、よく腕をおろしていました。また、僕はよく大法の基準に合わないことをしました。

 ある日、僕は突然学法に集中し、真面目に煉功するようになりました。そして突然修煉の意味を知ることができました。その日から、自分が大法に同化できるようにと、厳しく要求するようになりました。僕は、煉功を中途半端にしないようにしました。今では、ほぼ毎日朝6時に起きて、ネットの集団学法に参加し、そして、午前中は中国大使館前で煉功をしました。

 去年、僕はデンマークで1年間学校に通い、休みになったらアイルランドに戻りました。

  口の消業を経て、修煉して向上する

 休み中に、歯茎に大きな出来物ができました。赤く大きく腫れ、3日間あまり物を食べられず、よく眠れませんでした。痛みのため、真夜中に起きて煉功したり、発正念をしていました。できものがとても痛いので、ほとんどの時間は、ベッドで横になっていました。

 その後、あまりの痛みのため、痛み止めの薬を飲んでしまいました。それから僕は、ずっと泣いていました。痛み止めの薬を飲まなければ良かったと思いました。師父は僕のために、たくさんの業力を背負われ、僕が耐えられるように、少しの業力しか残されなかったのに、それでも僕は我慢できませんでした。僕はもう二度と同じ間違いはしません。

 またその後に、2回目の口の消業に遭いました。口の中は全部腫れて、奥の歯が落ちそうになっていました。痛みのため、食べ物はかめませんでした。扁桃体が炎症を起こし、口の中は、所々に白いものができて、感染しているように見えました。

 その後、僕は1週間ほとんど何も食べられませんでした。身体がとても弱くなり、立てなくなりました。その週は、アイルランドの別の都市でパレードがあるので、僕はなんとか頑張って、他の同修と一緒に電車で行きました。活動は非常によかったです。痛みそのものに執着しなければ、そこまで痛く感じないと気づきました。

 僕はパレードで、大きなスピーカーを乗せたカートを引っ張る役でした。1週間ほとんど何も食べてなく、体が弱っていたので、ママは僕に、「大丈夫? できるの?」と聞きました。今回のパレードは、大法のすばらしさを伝えるものなので、頑張ってやるべきだと思い、やってみることにしました。

 やってみて、できました。ずっと痛みを我慢して、めまいで倒れそうになったと感じる時もありましたが、僕はこの幻覚を否定しました。なぜなら、めまいで倒れると信じてしまえば、ほんとにめまいで倒れるだろうと思ったからです。これを見た常人のメディアは、法輪功学習者が、「パレードで倒れた」という報道をしてしまいます。僕は正念を持って、パレードを最後まで完走しました。

 その後、再び口の消業が起きましたが、それほど痛くはなかったのです。このことを通じて、痛みに執着しなければ、痛く感じないことに気が付きました。また、僕は今回の消業を通じて、「口を修める」修煉を重視しなければならないことに気づきました。僕は誰かを傷つける話はしていないと思って、思うまま何でも話していましたが、それ以来僕は話す前に、「これで人を傷つけることはないだろうか。人を困らせたりしないだろうか」と考えるようになりました。また、自分の正念を強め、悪いことを考えないように、コントロールすることを努力することにしました。

 町で真相を伝える

 僕は毎週土曜日、ベルリン市内へ真相を伝えに行きます。僕は、人見知りではありませんが、以前は人に真相を伝えるとき、いつも恥ずかしく感じていました。これは、僕が衆生を救うことへの妨害だと気づいたので、真相を伝える状態を正しました。それ以来、真相を伝えることがよくできるようになり、僕の真相を聞いて、ハグしてくれる人が多くいました。これは、師父が僕を励ましておられるのだと思います。

 師父による守り

 以前、友人たちと一緒に、川で泳いでいました。泳いでいるとき、突然強い流れで川の深いところまで流されました。僕は、川の水を飲んでしまい、体のコントロールが効かなくなり、頭を水面より上に持ち上げることができなくなりました。しかし、僕は全く恐れず、おいしい水なんだと感じました。その後、僕は友人達に水の渦から引っ張り出され、その後、初めて恐怖を感じました。師父が守ってくださらなければ、川でおぼれていただろうと思いました。

 大法を学び、人の過ちを気にしない

 デンマークの学校で、サッカーボールで遊んでいたときに、ある背の高い子に、おされました。この子の手の中からボールを奪ったので、彼は僕を押し倒し、右腕を痛めました。病院に行くよう言われましたが、行かないと言うと、しばらくして腕の痛みが、なくなりました。その時、僕は少し怒っていましたが、この子の助けで業を消したので、感謝すべきだと思いました。復讐することは、間違いだと思います。もし、僕が法輪大法を修煉していなければ、この子に復讐していたかもしれません。

 大法を学び、トラブルにあったらうちに向けて探し、慈悲を持って人と接する

 以前は、小さな出来事ですぐ怒りを感じましたが、人を罵る言葉は言いませんでした。言葉で人を傷つけることは、良くないと思います。僕は、いつもうちに向けて探すように、心がけていました。例えば、誰かが僕の悪口を言うのを聞いても、最初は怒りますが、直ちにこれは試験だと気づき、マイナスなことを考えないようにしました。最近このようなことは、起きていません。僕がこのような執着を捨てたから、試練がなくなったのだと思います。誰に対しても、慈悲であるべきで、大法弟子は衆生を救う責任があると思います。

 正しくないところは、教えて下さい。師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/7/448761.html)
 
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