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幼い頃から一緒に修煉してきた同年代の仲間に語る

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年6月14日】私は37歳です。1995年、8歳の時に家族と一緒に大法を修め始めました。 当時は、私と一緒に修煉する若い大法弟子や同級生がたくさんいました。毎朝、私たちは家族について煉功に行き、その後、子どもたちは集まって遊びました。その時、天空に法輪があるのがよく見え、本当にのんびりした日々だったことを覚えています。 当時私は、みんな一緒にずっとこのように修煉しながら成長していくだろうと思っていました。 しかし、28年経った今、周りの友人たちの中で、まだ修煉しているのは私一人しかいません。

 私が住んでいるのは新しい一級都市であり、迫害の前にはたくさんの人が修煉していました。今、私と同じくらいの年齢で修煉を続けている人は実は多くいません。その大部分はまだ親の陰に隠れて修煉をしており、三つのことをやっていません。今日のような状況になるとは予想もしませんでした。私の知っている若者たちが修煉を断念した理由はいくつかあります。家族が迫害を受けて修煉を断念すると、一緒に修煉をあきらめた人、大人になってから社会に出て、物質的な利益や恋愛などに惑わされて修煉を断念した人、家族が不法に逮捕された後に警察の取り調べを受け、巻き込まれることを恐れて修煉を断念した人など、それぞれです。

 私たちの成長の過程において、一般の子どもとは違って、親や家族への迫害、家宅捜索、脅迫は日常茶飯事で、これらの恐怖は烙印のように私たちの成長過程に焼き付いています。 私も成長の過程で、家宅捜索、両親の逮捕、祖母の逮捕、そして家族の死などに遭いました。その間、私は何度も自殺を考えました。もし修煉をしていなかったら、今生きていることは想像もできなかったでしょう。 その辛さや無力さは、中国育ちの私たちにとっては、誰よりも深く伝わってきます。「生きるのが辛すぎる」、「修煉するのが辛すぎる」と感じるばかりです。 ですので、私の昔の友人が修煉を諦めたと聞いたときは、残念に思いましたが、そんな彼らを理解もしています。一瞬たりとも恐怖に苛まれる日々は、あまりにも耐え難いものだったからです。

 今日、私は映画の『あなたのためにやってきた』を見て、私たちの両親や祖母、祖父たちが法輪功への迫害の実態を訴え、大法や師父の正義を求めるために、天安門広場に行ったことがどれほど偉大であったかを知りました。彼らの行いを見て私はとても誇りに思います。彼らが神にならなければ、誰が神になれるでしょうか?  一方で、彼らの子どもとして、今は修煉をせず、家で修煉するだけで、人々を救うことをしない、精進しない人々は、恥ずかしいと感じるべきです。

 私たち昔の子ども弟子は、迫害が始まった当初から親同修の背中に隠れて、親が目の前の悪に立ち向かっている間、しっかり守られていました。 小さい頃は、親に守られて当たり前だと思っていたかも知れませんが、すでに社会に出て、家庭を持ち、子どもを持ち、長い間自活している成人となった今、大法弟子が負うべき責任を背負うべきではないでしょうか?

 私たちは大法のためにここにいるのであって、もう親にせがまれて修煉するような小さな子どもではありません。子どもの頃、夢の中で自分の生まれ変わりの過程を見たことがあります。夢の中で私は雲の上にいて、後ろには天宮があり、隣には白装束で払子(ホッス)を持っている白髪の道士が立って、下を指差して私に言いました。「今、あなたと一緒になる運命の家族が二つある。こちらは権力も金もあり、生まれ変わった後は美しく、一生輝き続けるだろう。もう一方は金も権力もなく、生まれ変わった後も美貌は保てないが、大法を修めることができる」、「 大法を修める」という言葉を聞いたとたん、私は迷うことなく飛びつき、今の家族に生まれ変わりました。

 私たち昔の子ども弟子は、大法を修煉したため、子どもの頃から病気にならず、多くの子どもは天目が開き、法輪や異次元のものを見ることができました。みんな忘れてしまったのでしょうか?  私が高校生の時、交通事故に遭い、乗っていた自転車も変形してしまいましたが、私はまったく怪我をしませんでした。 その時、私は、両親が不法に収監されていても、私のそばにはいつも私を守ってくださる師父がおられると分かりました。このように、私たちが受けた大法の恩恵はすくなくありあません。師父は新しい経文『大法修煉は厳粛である』の中で、「当初大法に入ってこられたのはすでに命と引き換えに契約を交わしたからです。年齢に関係なく、やめた時間の長さに関係なく、誓約は厳粛なものです。つまり、修煉をやめた人は早い段階でやめたのか、最近になってやめたのかに関係なく、修煉してもしなくても誓約を果たさなければなりません。当初の、宇宙大法の法を正す時期の大法徒になりたいという思いは非常に非常に厳粛なのです。これは生命の重大な選択であり、しかも命と引き換えに誓約を交わしたのです! あなたが修煉したいと言えば、修煉を続け、修煉したくないと言えば修煉をやめてしまうのですか? 人間が宇宙の重大な責任、神、創世主をもてあそぶのを許していいのですか! 誓約を交わしたら、必ず果たさなければなりません!」と語られました。 師父がこれほどまでに明言されたのに、私たちはまだ目覚めないのでしょうか?

 また、このような親同修たちに一言言いたいです。30代になった子どもをまだ陰に隠し、密かに修煉させながら、人の命を救うために必要なことをさせないようにしているあなたは、本当に子どもを愛しているのでしょうか? 「子を愛する親は、子のために遠大な計画を立てる 」とよく言われます。修煉者であるあなた方は、大法の法理に照らして物事を見るべきではないでしょうか?  あなた方は子どもたちを守っているように見えるかもしれませんが、彼らも1999年前に大法を得た修煉者であり、人々を救うという自らの使命を果たさなければならず、自らの威徳を持ち、自らの誓いを守らなければなりません。 このようにしていて彼らは修煉できるのでしょうか?  彼らを害するのではないでしょうか? 人間的な感情を超えてこの問題に目を向け、子どもたちを修煉の同修として扱わなければ、正しい道を歩むことはできません。

 両親の法理に基づいての冷静な教育がなければ、私は今まで修煉を続けることができませんでした。 まず、両親は私を同修と見なし、迫害が最もひどかった時、私を法輪功迫害の実態を伝える資料配布に連れて行き、同級生に真実を話して人々を救うよう励ましてくれました。江沢民を告訴していたときも、彼らは実名で江を訴えるよう私を励ましてくれました。彼らは何度も不法に投獄されましたが、戻ってくるとすぐに、「恐れるな、師父が私たちに求められた三つのことをしっかり行い、自分の威徳を高め、誓いを守りましょう」と言ってくれました。このような励ましがあったから、たとえ迫害を受け、家族が滅亡したとしても、私は自分の使命を果たすために、しっかりと歩み続けることができたのです。

 昔の子ども弟子たちよ、時間は本当にありません。修煉に精進しない同修や、修煉を諦めた同修たちが、問題の深刻さに気づき、自分のためだけでなく、後ろにいる衆生たちの命のためにも、そして、「法正人間」(法は人間界を正す)の時に後悔しないためにも、自分たちが手遅れにならないように、修煉に戻ることを切に願います。

(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/16/468178.html)
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