文/アメリカの青年大法弟子
【明慧日本2025年1月14日】昨晩、私はベッドで寝返りを打ちながら眠れずにいました。そのとき、子供時代の思い出が頭に浮かびました。子供の頃、週に一回夜に明慧学校に行って法を学び、大人たちは学校の食堂で学法をしていたことを覚えています。また、ワシントンDCでパレードや迫害で命を奪われた法輪功学習者(以下、学習者)を悼む集会などに参加したことも覚えています。私は他の子供たちと一緒にナショナルモールを走り回り、時々は大法のチラシを一束持って配ったりもしました。その時の子供たちはとても自由で、どこへでも走り回ることができました。
ある小さな女の子のことを覚えています。私より少し年下で、法会でしか会ったことがありませんでした。彼女は無邪気で陽気でした。彼女が住んでいた街は遠かったのですが、子供たちが少なかったので、いつもイベントの時には必ずお互いに見つけることができました。それから、十代になった時、再び彼女に会いました。彼女は成長して、他の多くの若い女の子と同じように濃い化粧をしていました。私は彼女に笑顔を見せましたが、その無邪気さを失ってしまったことに対して少し悲しさを感じました。今、大人になった私は、その頃のことを思い出します。
今、私はもうすぐ30歳になり、明慧学校での友人たちと十年以上会っていません。彼らの中には、あるいはその兄弟姉妹たちは、もはや大法の修煉をやめた人もいるかもしれませんが、これも不思議なことではありません。しかし、最近のある西方メディアによる攻撃により、多くの人々にとって、かつての友人たちが対立する立場に立っていることもあるでしょう。これは中国共産党政権が私たちを分裂させ、解体させるための仕業であり、また一世代に対する迫害でもあります。私たちの修煉の道は険しく、難関で満ちています。
私は、もうすぐ、迫害が始まった当時の親の年齢に達しようとしています。昨晩、私はベッドに横たわり、自分が失った無邪気さ、同修たちの犠牲、そして未来の抗争について思いを馳せ、これらの記憶に胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうになりました。
特に成人初期には、私は一人で社会に飛び込み、さまざまな執着心と戦いました。時には勝利し、その結果として自分が向上しましたが、時には執着心が勝ち、私はそのことで苦しみました。今、私は修煉を続け、少しずつ自分の執着を取り除いています。
今までは西方の快適な環境の中で修煉してきましたが、現在、迫害はこの虚構のような快適さを打ち破り、ここで私たちに攻撃を仕掛けてきています。ある学者は、法輪功は人気がないため西方であまり多くの味方を持っていないと主張しています。その理由は、彼らが社会に溶け込んでいないからという理由なのです。親世代の片言の英語を聞くと、こうした意見が出る理由も多少は理解できる気がします。
私たちが子供の頃中国大使館の前で無邪気に遊んでいたとき、私たちの親たちは、中国で迫害を受けている人々のために正義を広めていました。彼らは完璧ではありませんでしたが、私はそんな彼らをとても理解しています。異国の地で修煉を続けながら、大法弟子としての責任を担ってきた彼らが、どのようにして完璧にできるのでしょうか?
でも、私はアメリカ人です。ここが私の故郷です。アメリカは宗教の自由と迫害から逃れるために生まれた国です。それは素晴らしい実践であり、血縁や土地ではなく、原則と約束に基づいて建てられた国です。邪悪はここでは決して成功しません。この時初めて、私は両親が邪悪により彼らの故郷を侵食していくのを見て、どれほど心が痛んだのかを想像することができます。そして、今こそ、私は彼らが払った犠牲を目の当たりにすることができました。
私から見ると、私たち「若い修煉者」たちは、この社会により融合しているものの、お互いのつながりが薄くなっています。多くの人々にとって、それはきっと孤独なことでしょう。私はこれらの思いを誰と共有すればよいかわからなかったので、これを文章に書き出すことで、同世代の人々や親世代の人々に励ましを与えられればと思っています。
そして、自分の両親を振り返ってみると、彼らはとても有能ですが、私は彼らがかなり疲れていることを知っています。彼らはもう若くはありません。最近の攻撃を受けて、多くの人々が落胆しているのを知っていますが、私は学法を通じて再び力を取り戻しました。
はっきりと醒ます
大 法の徒 涙を拭いたまえ
サタンの魔 全て崩潰す
真相を講じ 正念を発し
嘘を暴き 爛鬼を除去する
(『洪吟二』「はっきりと醒ます」)
相生相克の法理に基づけば、最近の攻撃は、神韻の巨大な成功に直面した邪悪の必死のあがきに過ぎません。私たちの子供時代はすでに過ぎ去りましたが、共に前に進んでいきましょう。今こそ、若い修煉者として私たちの歴史的な責任をしっかりと担う時です。