ベトナムの学習者による最近の活動と師父の教えについての反省
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——心からの交流

文/ベトナムの大法弟子

 【明慧日本2025年4月20日】近年、特にここ数カ月、私はベトナムにおいて、法輪大法の名のもとに行われている大規模な公開イベントがますます増えていることに気づきました。たとえば、パレードや腰太鼓のパフォーマンスなど、形式は多様で統一が取れており、大法を広めることを目的としています。一見、正念から出た努力のように見えるこれらの取り組みは、果たして法にかなっているのでしょうか? 私たちがまだ放下していない人心や執着から来ているのではないでしょうか? 修煉者として自問すべきです。

 師父は2018年に経文『ベトナムの学習者へ』を発表され、その中で私たちに明確に示されました。

 「この非常な時期において学習者は冷静にならなければなりません。現在、真相を伝える大規模な活動を行なわないでください。対抗行為はなおさらいけません。修煉はそもそも、自身を修め執着を取り除くことです。ですから、現段階では、主に個人の法の勉強と煉功に取り組み、大規模な法の勉強と煉功の活動を行なわないでください。メディアがいくら虚言を宣伝しても、冷静になり動かされないようにしてください。静かに観察していればいいのです。事態をエスカレートさせる人は問題のある人です! くれぐれも覚えておいてください」

 これは単なる一般的な注意喚起ではなく、私たちが修煉する中で直面している具体的な状況に対して、師父が与えてくださった明確なお教えです。ベトナムの現在の政治的環境は依然として厳しく統制されており、このような環境下で修煉を行うには、より一層の智慧、忍耐、そして冷静な自制が求められます。

 しかしながら、一部の学習者は海外プロジェクトの影響を受け、大規模なパレードや文芸パフォーマンス、あるいは法輪大法の名のもとに行う公開活動にますます熱心になっているようです。中には、比較的閉鎖的な小グループを作り、外部のリソースに依存することで自信や影響力を強めようとする人たちもいます。このような行為は、派閥を作ったり、自分を誇示したり、名声を求める傾向につながっており、それは法から逸脱しているばかりか、地元の修煉環境に深刻な妨害をもたらしています。

 このようなグループはしばしば全体との協調を欠き、独自に活動を進めます。海外とのつながりやある種の「認可」を得ると、それらの活動を「修煉がしっかりしているかどうか」の基準と見なすようになっています。実際には、こうした活動は個人が自己をアピールする場となりがちで、大法プロジェクトにおける「役割」を示すことで、個人的な影響力を築こうとするものです。このような心理状態は、大法の修煉の原則から逸れているだけでなく、ベトナムにおける修煉環境の安全性や純粋性に対して重大なリスクをもたらしています。

 たとえば、「鴻恩腰鼓隊」が頻繁に組織している大規模なパレードを例に挙げると、その情熱は確かに敬意に値します。しかし、これらの活動は、本当に師父が私たちに求めておられることに合っているのでしょうか? 私たちは、興奮やプロジェクトの盛り上がりに流されるあまり、ベトナムの全体の修煉環境を守るという初心を忘れてはいないでしょうか? これらの問題について、私たちは真剣に考えなければなりません。

 師父は、修煉は内に向けて探し、執着を取り除き、大法に則って行うことであると繰り返し強調されました。世間での勢いや影響力、あるいは「目に見える」成果を求めることではありません。

 同修の皆さん、私たちは大法の重みを深く理解しなければなりません。修煉の道は厳粛で、そして狭き道です。情熱が理性に勝るようなことがあってはならず、プロジェクトの推進をもって、正念や冷静な思考の代わりにすることなど、あってはならないのです。

 私たちは、心から自分自身に問いかけてみましょう。

  • 私たちの行動は、師父の按排に従ったものなのか?  それとも自分たち人間の考えによるものなのか?
  • 私たちは本当にこの地域の修煉環境を安定させているのか? それとも、知らず知らずのうちにそれを弱めてはいないか?
  • 私たちは大法を実証しているのか? それとも、自分自身を実証しようとしてはいないか?

 時間は非常に貴重であり、師父のお教えはきわめて明確です。師父がベトナムの弟子たちに望んでおられるのは、決して騒ぎや目立つ動きではなく、冷静で、着実に内に向けて修め、向上することです。私たち皆で正念に立ち返り、内に向けて探す修煉の状態に戻り、学法発正念、着実な修煉を通して、互いに支え合い、そして、大法に背くあらゆる行為を止め、全体として真の成熟に向かって歩んでいきましょう。

 (修煉者同士の理性的な交流は、あくまでもその時点での個人の修煉状態の中での認識であり、善意な交流を通して、共に向上するためのものです。)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/12/492529.html
 
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