無意識に取った法に符合しない行動に注意しよう
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文/黒竜江省の大法弟子による口述

 【明慧日本2022年12月24日】今日は、自分が気付かないうちに、そして無意識に取った、法に符合しない行動を書き出して暴露したいと思います。似たような行為をしている同修が直ちに改めることを願い、他の同修への重視と注意喚起を引き起こし、自ら進んで大法を守ることができればと思っています。覚えておいてください! 法を絶対に乱してはいけません。

 一、起因

 私は今年70歳です。ある日、同修が家に来たとき、私は顕示心、歓喜心、自我を実証したい心に駆られて、思わず書き取っていた師父の説法(私は師父の説法から、自分にとって啓発的で役に立つと思うものを1枚の紙に書き写していました。そこには、同修の発正念に関する交流文の一部の内容もあって、びっしりと同じ紙の裏表に書いていました。また、説法の書き写しがある数枚の小さな紙切れと一緒に、私は透明なビニール袋に入れて保管し、一人でよく見ていました)を同修に見せました。今まで他の同修が来たときも見せましたが、誰も問題があるとは思っていませんでした。しかし、この度来た同修は、「どの説法から出たものかの明記もなく、同修の交流文と併せて書き写されているので、これではだめです。燃やさなければ法を乱すことになります」と指摘してくれました。その話に同意しながらも、思い切って燃やすことができなかった私は、このことを忘れてしまっていたのでした。

 私は、一昨年から頭に違和感があったのですが、それが2021年には悪化し、2022年に入るともっとひどくなりました。それはまるで、多くの工場で大きな機械が一斉に轟音を立てているようで、厳冬の中で凍らされた感覚でもありました。そのため、人の声がはっきり聞こえず、物もはっきり見えず、歩き出せば足元がふらふらして、安定して立っていられない時もありました。頭の中が混乱しており、気が狂いそうでした。私は、「そのようにはならない!」と絶えず発正念し、人に気づかれないようにしていました。そして、大法に泥を塗るようなマイナスの影響を与えたりしないようにと、学法煉功を強化しました。しかし、脳の正しい状態はますますひどくなり、言葉にならないほどの苦痛を感じていました。絶えず内に向けて探しましたが問題点が見つかりませんでした。

 二、どうしても紙を燃やせない

 その後のある日、期限切れの週刊誌と使われていない煉功音楽のテープを燃やそうと思い、私は野原に行ってきれいな場所を見つけました。マッチに火をつけて紙を燃やそうとした途端、火が風によって消されました。私の行動が鈍いと思った妹が試してみましたが、やはりダメでした。結局、マッチ1箱を使ってしまいましたが、なぜか紙1枚も燃やすことはできませんでした。不思議に思いながら、私たちは荷物を持って帰るしかありませんでした。

 帰った後、私は顕示心、歓喜心、他人のことが気に入らない心、利益心、私心、色欲心、いい加減に物事を行う人心などを見つけました。それらの心はすべて真の自分のものではなく、後天的に形成された観念だと分かって、排斥しましたが、それでも状態が変わらず、何がまだ足りないのかが分かりませんでした。

 三、やり遂げた後の変化

 師父は、私が真摯に内に向けて探しているのをご覧になって、ヒントを与えて下さいました。「その紙を燃やしていない」の考えがふと頭に浮かびました。私はさっそく「その紙」を探し出して破り、師父の写真の前にひざまずいて自分の過ちを認め、翌日燃やしに行こうと決めました。

 翌朝、眠りから覚めた私は、師父がすでに私の脳の正しくない状態を整理して下さったことに気がつきました。前回火がつかなかったものと「その紙」を野原に持っていくと、2本目のマッチも使うことなく火がすぐについて、すべてがうまくいきました。

 それから4~5日ほど経ったある朝、煉功を終えた私はしばらく横になっていました。寝ているのか寝ていないのかの状態だったのですが、夢で青空が見えました。そこに地図が現れ、様々な色の小さな点で構成された地図でとてもきれいでした。私は嬉しくなって見ており、皆にも見に来てと懸命に声を掛けました。地図はどんどん進んでいき、最後の残りの部分に「終点」の大きな2文字が現れました。夢から覚めた私は、全身の細胞が興奮していると感じ、慚愧の涙を流しました。

 四、意図しない法を乱す行為を正そう

 私のこの経験から皆さんもお分かりのように、私は厳粛な態度で修煉に取り組んでおらず、自分の好き嫌いに沿って物事を行い、大法の原則も考えていませんでした。

 師父はこのようにおっしゃっています。「法を乱すことには多くの形があって、その中でも内部の弟子が無意識に行なう破壊は最も気づきにくいものです。釈教の末法はこのように始まったのですが、教訓は深刻なものです」[1]

 大法をどう守っていくべきかという問題について、自分とは無関係だと思い、よく分からず、真剣に対処もしていませんでした。今は自分が適切でない行為をしただけでなく、同修に見せたりもしました。これが続いていけば大変なことになります。問題点を指摘してくれた同修を私の元に送って下さった師父に感謝しています。悟性が悪い私は、すぐに燃やさずに深刻な教訓を得ました。出所を明記せずに師父の説法を書き写し、しかも同修の言葉と同じところに書き込む行為が続けば、後世の人は誰が言ったことなのか分からなくなります。一見、大した問題ではないようですが、実は法を乱すことの始まりなのです。

 弟子として宇宙の大法を守らなければならず、絶対に乱してはいけません。これらの些細な行為にも気を付けるべきです。

 以上は個人的な体験に過ぎず、法に符合しない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「目覚めよ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/29/451800.html)
 
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