文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2025年1月12日】最近、中国共産党(以下、中共)と関係のあるアメリカのあるメディアが、いわゆる「調査」報告を掲載し、神韻が「金儲け」をしていると主張し、大法の師父が「金儲け」をしているとほのめかしました。この中共が1999年の迫害初期に行った古い手口が、旧勢力によって今日アメリカで再演されるように仕組まれたのは、アメリカ人に法輪功と神韻を誤解させ、救われる機会を失わせるだけでなく、正法の最終段階において、大法弟子が師父と大法に対する正しい信念を持っているかどうかを試すためでもあるのでしょうか?
これに関連して、以下のような問題を考えました。
1)根本的な執着を取り除く
そのアメリカのメディアは、神韻がどれだけの資産を持っているかを述べ、多くの大法弟子もこれに興味を持っています。学習者の報告では、師父は質素な生活を送り、お金も家も車も持っていないと書かれており、それを見て安心し、喜ぶ同修もいるようです。普段、同修たちは皆、師父に対して無限の感謝の気持ちを表し、心から師父が良い生活を送ることを望んでいますが、もし師父が本当にお金持ちで、家や車を持つ生活を送るようになったら、受け入れられない同修がいるのでしょうか?
師父が良い生活を送ることを望む一方で、師父が質素な生活を送ることを見て安心するという、この矛盾した心理は、私たちの中にある長期的で根本的な執着ではないでしょうか? これが、悪人が「金儲け」と中傷する原因の一つになっているのではないでしょうか?
師父は経文『精進要旨二』「圓満成就に向かって」で以下のように説かれました。
「大法は人間の科学に符合しているということに皆さんが執着すると、それらは邪悪な人を操って、大法は迷信であるというデマを流しました。大法は病気を治すことができるということに皆さんが執着すると、それらは邪悪な人を操って、大法は薬を飲ませないで 、1400人を死亡させたというデマを流しました。甚だしきに至っては、 大法は政治に参与しないと皆さんが言うと、それらは邪悪な人に、 大法と李洪志が国外の政治勢力と結託している、などのデマを流させました。大法はお金を取らないと皆さんが言うと、それらは師父が蓄財していると言います。皆さんが何に執着してもそれらは邪悪の徒を操って、何らかのデマを流すのです。甚だしきに至っては、皆さんが大法を破壊されることを気にしていると、彼らは偽の経文を作ります。皆さん、考えてみてください。現在のこの大きな試験は、師父がいないときに大法がどうなるか、学習者がどのようにするかを量る大きな審査なので、師父はどうして話をすることができるのでしょうか? どうして皆さんに何をどうするかを、これ以上、教えることができるのでしょうか? それらは邪悪な人を制御して人間の一切の心、あらゆる執着に対して全面的に漏もれることなく瓦解(がかい:物事の一部の崩れから全体の組織がこわれてしまうこと)するよう大法と弟子に試験を課しているのです。皆さんが修煉の中で真に人間の根本的な執着を捨てることができれば、最後のこの魔難もこれほど邪悪なものとはならなかったはずです。
2)覚者の貧富と自分の修煉との関連性
ある医者が瀕死の患者を救ったとき、患者はその医者の年収が10万ドルか100万ドルかを気にしません。ある心理カウンセラーが憂鬱な患者を開放し、日々の喜びを取り戻させたとき、患者はそのカウンセラーの家族が金銀を身に着けているか、ブランド品を持っているかを気にしません。嵐の中で溺れそうになった人が他人に救われたとき、その恩人が車や家を持っているかどうかを気にしません。それは、自分が絶望から救われることが最も重要であり、相手が貧しいか裕福かは関係ないからです。
人間社会に生まれた人は、修煉を通じてのみ自分の本来の故郷に戻ることができます。師父は無神論が蔓延する社会で、その大いなる智慧をもって私たちに神への正しい信仰を持たせ、人が修煉できること、修煉の方法を教え、私たちが帰るための天国への梯子(はしご)を築いてくださいました。真心から修煉する弟子として、私たちがすべきこと、できることは、業力を滅し、心性を高め、迅速に向上することだけです。心にあるべきは感謝と幸運だけであり、心配すべきは修煉の進歩が遅いことや、自分が先天の故郷に戻れるかどうかだけです。
もし自分が宇宙の塵の中の塵にも及ばない存在であることを本当に理解しているなら、他の生命、特に高次元の生命がどうであるかを考えるべきではありません。他人が良いか悪いかに関係なく、自分が修煉を成し遂げられなければ、永遠に塵の中の塵のままです。師父の貧富が自分の向上に何の関係があるのでしょうか? もし師父が清貧であれば修煉を続け、師父が裕福であれば修煉を放棄し、無限の輪廻を甘受するのでしょうか?
3)覚者は貧しいべきか、それとも裕福であるべきか
師父は『轉法輪』の中でこう述べておられます「異なる次元において法は異なる現れ方をするが、次元が高いほど真理に近く、次元が低いほど真理から遠いのです」。覚者が覚者である理由は、その境地、つまり仏道神の境地にあります。そして、私たちは最高の真理が『真・善・忍』であることを知っています。次元の高低を測る基準は、財産が多い少ないとは無関係なのです。
ミラレパ尊者は全財産を師に捧げました。師が自分よりも豊かな生活を送っていても、彼は謙虚に師に仕え、教えを請いました。それは、師が大いなる智慧を持ち、輪廻を超越する方法を持っていたからです。もしミラレパが師の質素な生活だけを見て心理的な平衡を得ようとしていたなら、どうして彼は謙虚に教えを請い、一生をかけて正法を学ぶことができたでのでしょうか?
常人社会においても、古今東西、多くの人が裕福でありながら徳を持ち、世の中に恩恵をもたらしてきました。一方で、貧しくても悪事を働き、社会に害を及ぼす人もいます。人の善悪は、その人が貧しいか裕福かには関係ありません。
師父は『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」でこう説かれました。
「ここまで話して、あることを思い出しました。この数年来、私は皆さんにある法をずっと説きませんでした。迫害が非常に厳しかったとき、特に2000年、中国の学習者は邪悪がでっち上げた師父に関する虚言と宣伝を暴露したとき、ある 学習者が言ったことは私に深い印象を与え、しかもそれは正さなければならない 認識です。魔の首魁と中共は学習者に向かって、先生が多くのお金を持っており、 北京と長春に豪邸があり、贅沢三昧な生活をしているとデマを言いました。当初中国で法を伝えたとき、私は非常に質素な生活を送っていました。中国のある学習者は「師父は最も素晴らしい人で、そんなことは決してありません。もし師父が本当にこういう生活をしていれば、私は承知しません」と答えました。これを聞いて、私は非常に辛かったのです。以前、世に下り人を済度する神がその時経験した苦を今までより分かるようになりました。修煉は自分を修めることであ り、なぜ他人を見るのでしょうか?」
以上は、現段階での私の個人的な認識です。不適切な点があればどうぞご指摘ください。